和食シリーズ企画第3弾

これからの和食を考える。

ユネスコ無形文化遺産に登録された和食文化。 未来へつなぐために、今できること。ユネスコ無形文化遺産に登録された和食文化。 未来へつなぐために、今できること。

第17回 鮪
長い苦闘の
歴史が生んだ
近大マグロという奇跡

近畿大学水産養殖種苗センター特命教授 岡田貴彦さん

2002年、不可能と言われたクロマグロの完全養殖を実現した近畿大学水産研究所。
世界最先端のまぐろ養殖に取り組むその現場で「マグロの未来」について
特命教授の岡田貴彦さんに伺いました。

初代総長が遺した「海を耕す」という思想

編集部
現代日本人にとって、鮨や刺身に欠かせないマグロはもっとも身近なごちそうとも言える魚です。一方、近年では食資源としての危機も叫ばれています。2014年には太平洋クロマグロが絶滅危惧のレッドリストに載ってしまいました。近畿大学水産研究所はいつ頃からクロマグロの養殖に取り組み始めたのでしょうか。
岡田さん
(以下敬称略)
スタートは1970年です。この頃、多くのマグロ資源が減ってきていると言われ、大型魚類の養殖技術を開発しようというプロジェクトが水産庁主導で行われました。当初は天然のマグロを捕獲しての産卵をめざしたり、近縁のサバやカツオなどの生態をクロマグロの養殖に活かそうとしたんです。しかし、3年では結果が出ず、どちらも一度は立ち消えたんです。
編集部
近畿大学のほか、いくつかの機関が参画したプロジェクトですね。3年間の期間終了後も近大だけが「海を耕す」を合言葉に完全養殖の道を模索し続けたと聞いています。
岡田
近大は、クロマグロの養殖プロジェクト以前から様々な魚種の養殖に取り組んでいました。1965(昭和40)年にはヒラメの人工ふ化、種苗生産にも成功しています。
編集部
魚における「種苗生産」とは親と同じ形になる全長数cmの稚魚期まで育成することを指しますよね。
岡田
そもそも「海を耕す」という理念は1948(昭和23)年、臨海研究所――現在の白浜実験場を立ち上げる際、初代総長の世耕弘一先生が提唱したものです。戦後日本の復興には食料確保が第一。だが日本の国土は決して広くない。そこで「海を耕す」という概念が出てきたんです。遠洋漁業中心の時代に、海での栽培事業に乗り出した。戦後の復興期に海で「獲る」から「作る」へと発想を転換するような取り組みを始めたのは慧眼だったと思います。
編集部
そうした素地があったから、他の機関が撤退した後も、クロマグロの養殖事業を継続できたのでしょうか。
岡田
そうですね。理念がしっかりしていたことに加え、当時すでにハマチなどの養殖で実績と収益があったので、継続しやすかったという事情はあるかもしれません。またプロジェクト終了翌年の1974(昭和49)年に獲ってきたヨコワ(クロマグロの若魚)がいけすに餌付いてくれて、比較的早期に養殖への道筋が見えたのも大きかったと思います。完全養殖への道筋は、いけす飼いでの産卵を経て初めて見えてきますから。
編集部
外海から稚魚を持ってきているうちは、天然資源への依存から逃れられない。すなわち、資源枯渇のリスクから逃れられていないということになるわけですね。
岡田
幸い、いけすのクロマグロも1979(昭和54)年に産卵してくれたので、その時点で種苗開発をスタートすることができました。もっともそれから数年間、産卵はすれども6~7cmまで育てては全滅、を繰り返すことになるんですが。
編集部
せっかく卵が生まれても、種苗のサイズまで育てるだけでも、並大抵のことではない、と。
岡田
しかも1982(昭和57)年を最後に11年間、まったく卵が採れなくなった。もっともその当時、日照時間や水温などさまざまなデータを精査し続けたことが、その後の完全養殖成功につながっていく。何事にも時間は必要ということかもしれません。
編集部
転機はどういう形で訪れたのですか。
岡田
1994(平成6)年、久しぶりに産卵してくれたんです。その年は猛暑で水温が高く推移した。そこからが再スタートでしたが、結局数cmまで育つとやっぱり全滅してしまう。そこにはさまざまな要因がありました。例えばクロマグロは肌が弱い。人間の手で触ると、その形にやけどして弱ってしまう。幼魚期には共食いもするし、回遊魚だから何かのきっかけでいけすの網に激突して死んでしまったりもする。夜間に車のヘッドライトに反応した魚が網への激突死を起こすなどといった事象が起き、その都度、試行錯誤を重ねました。
編集部
完全養殖に成功するのは産卵から8年後の2002年ですよね。
岡田
そうですね。1995年生まれの6尾と1996年生まれの14尾が2002年まで生き残り、100kgクラスまで育ってくれた。この計20尾を直径30mという巨大ないけすに入れたところ、2002年6月23日に産卵があり、完全養殖が達成されました。
編集部
完全養殖の成功に至る経緯をざっと伺っただけでも、たいへんなご苦労があったと思います。しかも一度「完全養殖ができた」からといって、安定的な完全養殖が保証されるわけでもありませんし、安定供給や市場が求める質の担保などはその先にある話ですよね。
岡田
そのとおりです。例えばいま、われわれは種苗を生産して養殖業者に販売するというモデルにも取り組んでいますが、養殖はまだ天然ものと比べるとややひ弱なんです。天然は斃死(へいし※)率が低く、養殖は天然より少し高い。もっともその理由もわかってきています。その差の理由は個体としての強さというよりも、月齢によるものだと考えられています。たとえば、ここ串本よりも、南の温かい海で産まれる天然のほうが産卵期が早い。その分、同じ月齢だと天然のほうが大きな個体になっている。結果、生存率が高くなると考えられています。
※動物などが突然死ぬこと

向上し続ける近大マグロの味わい

編集部
安定した生産はもちろん大切ですが、消費者としては味も気になるところです。
岡田
あはは。そうですよね(笑)。実は味については当初、ボロカスに言われたんですよ。最初は餌のやり方もわからないし、そもそもどういう餌がいいのかもわからない。ひたすらイワシをあげていたら「養殖臭がきつい」「頭ばっかりデカくて、らっきょうみたい」と散々叩かれて値段もつきませんでした。太らせようとして、たくさん餌を食べさせたら全身トロのようになり「脂でベタベタしている」とも言われました。
編集部
そこでもまた試行錯誤を繰り返された。
岡田
そうですね。いろいろ分析したら、どうやら餌は組成の似ているサバが良さそうだという話になり、餌をイワシからサバに切り替えました。するとマグロらしい、適度な筋肉と脂のバランスが取れるようになった。でも完全養殖を目指すなら、天然資源の魚ではなく配合飼料で味をコントロールする必要がある。実はクロマグロの完全養殖が実現した頃、ブリ向けの配合飼料は実用段階にあったので、似たもので試したことがあったんですが……。
編集部
成果が得られなかったんですか。
岡田
そうなんです。繰り返すうちに、クロマグロの消化器官は配合飼料の熱変性したタンパク質を消化できないらしいということがわかってきて、専用の配合飼料開発に乗り出しました。現在では配合飼料でも脂の質や量のコントロールができるようになりつつあります。
編集部
現在、近大マグロの食味はどういうレベルまで来ていると考えてらっしゃいますか。
岡田
少し前に行われたブラインドでの天然との食べ比べでは、養殖のほうがおいしいという結果も得られるようになりました。「全身トロ」と揶揄された身質も、赤身、中トロ、トロなどの違いも作ることができるようになってきた。「配合飼料」での味の完成を目指すとすると、いまは2~3合目というところでしょうか。でもそう遠くないうちに、配合飼料での味わいも一気に引き上げられると考えています。
編集部
ちなみに岡田さんが好きなクロマグロの召し上がり方は?
岡田
刺身はもちろんですが、塩こしょうとガーリックでステーキなんていいですね。焼き加減はミディアムがいいかな。少しピンクが残るくらい。漁師は味のしっかりした部分が好きみたいで、血合いを生姜と煮付けたり、ハツ(心臓)の刺身を塩とごま油で食べたりします。おいしいですよ。養殖でも天然でも、やっぱり漁師はクロマグロのおいしい食べ方を知っているんですよ。
編集部
最後に、和食や日本食とマグロという魚の関わりの未来について聞かせてください。
岡田
「魚食」という意味では国内消費は減っていますが、世界的にはむしろ魚食は増えている。そうした広がりのなかで、和食や日本食につきものの魚食の知見も世界に発信されていくでしょう。そうなったとき、われわれ日本人とマグロの関係もまた見直されるようになってもらえるといいですね。

取材・文/松浦達也 撮影/魚本勝之

2018.03.01