コラム
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2002年 9月分 vol. 1
月にあこがれ、月に眠る
ライター 林 公代 Kimiyo Hayashi


写真 月には地球から10人ほどの訪問者が訪れ、時にドライブやゴルフをし、最長で約3日間の楽しくも命がけの滞在を果たした。そして彼らがみな地球に帰ってきたあとに、月を訪れ、永久に眠っている人がいる・・。

 ユージーン・シューメーカー。名前に聞き覚えがありませんか? 1994年7月、木星に衝突した「シューメーカー・レビー第9彗星(SL9)」。21個の彗星の核が次々と木星に衝突する様子は「1000年に一度の天文ショー」と言われ、全世界が注目した。この彗星を1993年3月にパロマー天文台で発見した一人が、シューメーカー博士だ。

 もともとは地質学者であるシューメーカー博士は、クレーターを調べるために地球上の砂漠をまわっていた。月面のクレーターも細かく調べ月の地質学を切り開く。NASAの初期の月探査計画から関わり、アポロ計画では宇宙飛行士に講義を行い、飛行士の選抜にも関わったが、実は自分自身が月におりたちたいと、強く願い続けていた。実際に宇宙飛行士の試験を受けようとしたのだが、医学的な理由でかなわなった。

 アポロ計画終了後、彗星や小惑星の探査を始め、32個の彗星を発見。そのうちの一つがSL9だ。衝突の規模は予想より大きく、新たな謎も浮かび上がった。1995年2月には東京でシンポジウムが開かれ、博士は妻で月の研究家でもあるキャロラインと来日。日本でSL9観測の中心となった国立天文台の渡部潤一氏と対談した。キャロラインと仲良く並びニコニコ微笑む彼の姿から、2年後の悲劇を誰が予想できただろう。

 1997年7月、博士は隕石の調査に訪れたオーストラリアで交通事故のため亡くなった。69歳。月に行けなかったことを「人生最大の心残り」と悔やみ続けていた。

 翌年の1998年1月、NASAはアポロ計画終了から約25年ぶりに月探査機「ルナプロスペクター」を打ち上げることになった。キャロラインや教え子たちの願いがかない、探査機には、博士の遺灰30グラムを詰めた口紅ほどのカプセルが積み込まれた。
 1999年7月31日、月の地下に氷があることを確かめるために、ルナプロスペクターは南極のクレーターに突入。シューメーカー博士は月のクレーターで永遠の眠りについた。キャロラインは「夫の夢がかない、すばらしい」と語ったそうだ。