コラム
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世界宇宙飛行士会議開催記念コラム
チャレンジを続けよう。
2003年 12月分 vol. 4
ライター 林 公代 Kimiyo Hayashi


世界宇宙飛行士会議で、宇宙活動に貢献した人に贈られる「クリスタル・ヘルメット賞」を受賞したローナ・オニヅカ氏。チャレンジャー号事故で亡くなったオニヅカ飛行士の夫人で全米に教育施設チャレンジャーセンターを展開中。  もうすぐ2004年。「お正月はハワイで」という方もおられるでしょうか? もしかして世界で一番宇宙に近い場所、ハワイ島のマウナケア山? 標高4205mの山頂には、すばる望遠鏡など各国の望遠鏡が立ち並ぶ。宇宙ファンなら一度は行ってみたい場所ですよね。

 マウナケア山頂に向かう時、中腹に「オニヅカ・ビジターセンター」という休憩所がある。ハワイ島生まれの宇宙飛行士、エリソン・オニヅカ飛行士にちなんだ名前。オニヅカ飛行士はコナ出身の日系三世。機械いじりが大好きで満天の星空を見て育ったエリソンは中学生の頃コーヒー畑で『月に行きたい』と行って祖父の吉平を驚かせている。

 その後、彼はハワイ出身で初、日系人で初の宇宙飛行士に選ばれる。そして2回目のフライト、1986年1月のチャレンジャー号打ち上げ73秒後、命を落とした。チャレンジャー号には教師のマコーリフさんが搭乗しており、宇宙から授業を行う予定だった。

 オニヅカ夫人のローナさんも教師をしていた。事故後、ローナさんたちは宇宙を通した教育で彼らの遺志を継ごうと、体験型の教育施設チャレンジャーセンターを設立。全米・イギリス・カナダ・メキシコに次々と展開し2003年秋に米イリノイ州に57番目のセンターをオープンしている。

 その地道で息の長い活動に対して、第18回世界宇宙飛行士会議でローナ・オニヅカ氏に「クリスタル・ヘルメット賞」が贈られた。毛利衛氏によると「日本でもチャレンジャーセンターを作りたいという希望は以前からあるが、ネックになるのが英語。沖縄に作れないか検討中」とのこと。

 ローナ・オニヅカ氏は事故後、旧宇宙開発事業団(現JAXA)ヒューストン事務所で仕事をしている。向井万起男さんの著書「女房が宇宙を飛んだ」(講談社)にはローナさんがしばしば登場する。万起男さんによるとローナさんは「明るくて元気いっぱい」で「事務所にとっては欠かすことのできない人」。彼女のおかげで雰囲気が明るくなる、そんな人だそうだ。

 ローナさんは事故後10年のライフ誌のインタビューで「私は残りの人生を怒りながら過ごすこともできたと思う。でも私の夫は自分のミッションが命をかける価値があると思っていたのよ」と語っている。またクリスタル・ヘルメット賞受賞後のスピーチでは「宇宙の新しい世界を開くことが、想像力を掻き立て、人々の心を開く。そして子ども達に勇気を与える」とのべた。私達もローナさんのようにオープンで前向きでありたいですね。

 それでは良いお年を! 2004年にまたお会いしましょう。


写真提供:世界宇宙飛行士会議実行委員会事務局