コラム
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2005年 3月分 vol.4
詩人×天文学者が感じる「宇宙と私との距離」
ライター 林 公代 Kimiyo Hayashi


すばる望遠鏡がとらえた深宇宙。宇宙は約127億光年の広がりをもつと考えられている。でも、それは私達が認識できる範囲でしかない。本当の宇宙はどこまで広がっているのだろう。(提供:国立天文台)  小さい頃、「自分は何処から来たのかな」という不思議な感覚をもったことはないですか?「この身体に入っている自分は本当は誰なんだろう」と。夜、お布団に入ると感じたそんな感覚を、谷川俊太郎さんの詩を読むと思い出す。自分という存在の不思議さとちょっとした寂しさ、浮遊感と宇宙とのつながり。例えば「芝生」という詩は、どこかから不意にやってきた「私」が人間の形をして芝生の上に立っている、と宇宙的視点で描かれている。谷川氏はこの詩を理詰めでなく、気がつけば『夢遊病的に』書いていたという。

 3月18日(金)夜、東京・お台場の日本科学未来館で谷川俊太郎さんと国立天文台の海部宣男台長のトークセッションが開かれた。テーマは「Where am I ?- 宇宙の中の私の位置」。詩人である谷川さんと天文学者である海部さんが、宇宙の果てや人間の存在の意味について語りあった話はどれも「こんな話を聞きたかったー」と胸に染み入るものばかり。

 谷川さんは高校を出たばかりの頃、まさに『Where am I』というテーマについて考えていたという。その頃、住んでいた杉並から東京、関東、日本とどんどん視点を引いていき地球を出て宇宙の広がり20億光年という座標を考えた時、自分の存在について納得することができたそうだ。そして処女詩集「二十億光年の孤独」(1952年)を出す。谷川さん曰く「『Where am I』というテーマを宇宙の文脈の中で考えたのは、自分が一人っ子で母親に非常に愛されていて、社会との人間関係が希薄だったことが関係しているように思う。周りの社会を飛び越えて、一個の生物として宇宙にいることにリアリティーを感じた」。

 谷川さんの宇宙観には、幼い頃から夏をすごした北軽井沢の星空が影響している。「不気味なほどに星が張り付いている夜空」に畏怖の念を感じていたそうだ。そして夜空を隠す「青空」をテーマにした詩も書いている。「青空は遠いところが見えてしまう真実の星空を隠す嘘ではないか? と。美しい青で虚無的な星を隠していると思ったんです」。確かに、昼間の青空の美しさに、私達は騙されているのかもしれない。そうでなければ日常の様々な雑事をこなすことなんて、できやしない。

若い頃は、宇宙は真空で寂しい空間であって、自分から遠い広がりであると感じていた谷川さんも、年齢を経て3〜4年前から宇宙は自分の鼻先にあると感じるようになったそうだ。「外の宇宙が体の中に入ってきた感じ。宇宙は無ではなくエネルギーのようなものが充満していて、肉体が滅んでも一体になれるように感じている。」

「宇宙に果てはあるのですか」という谷川さんからの問いかけに海部さんは「宇宙の果ては人間の知識で広げてきたもの。人間のもっている概念に他ならない。古代の人間にとっての宇宙はギリシャ半島でしかなかった。そこから地球、太陽系、銀河系と科学の発達で認識できる『果て』を広げてきた。今認識できる先に宇宙がないということでは決してない。」

 では宇宙の中で私達人間が存在する理由は? とトークショーの参加者から問われて海部さんはこう答えた。「私が何故ここにいるか、そこには物凄い偶然がある。私の父と母が出会った偶然に始まり、網の目のように偶然が重なった。一方、宇宙はある物理法則に従って展開し銀河や惑星が生まれ、生き物が生まれた。想像を絶するような偶然とその中を貫く必然、ある種の法則のようなものがないまぜになって私達が生まれている。宇宙にどんなに長い歴史があっても、私という存在は他に二人といない。その数々の偶然に感謝すること。『生きてやろう』と、ね。」谷川さんも「ここにいることを『いかに楽しむ』か。幸せになるのはほとんど使命感と感じる」と語っている。そうだよ、幸せにならなくちゃ。

 ところで、谷川俊太郎さんの数多くの詩集の中で、オススメを一つ。「はだか」(筑摩書房 1988年)は箱に入った赤い布の表紙で、絵は佐野洋子さん。すべての詩はひらがな。社会の人間関係が希薄だったという谷川さんが、子どもの射るような視点で家族や友だち、自然、そして孤独を書く。一つの「宇宙」がこの本には豊かに広がっている。