コラム
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2006年 3月分 vol.2
月面で日本製ハイテク宇宙服。イメージは「仮面ライダー」
― 毛利宇宙飛行士インタビュー ―
ライター 林 公代 Kimiyo Hayashi


 2月末、JAXAは「次世代宇宙服研究・開発に係るアイデア募集」を始めた。現在、NASAやロシアで使われている宇宙服はアポロ時代の技術がベースになっているため、使いにくい点も多い。日本に今ある民間の技術を結集すれば、短期間で優れた宇宙服を開発できるのではないか。そんな考えからJAXAでは調査・研究を始めようとしている。この「日本製ハイテク宇宙服」の背景や将来像について、毛利衛宇宙飛行士に聞いた。

宇宙服について話し合う、毛利宇宙飛行士(左)とJAXAの山方健士さん。 ― 日本独自の宇宙服について、いつごろから考えていましたか?

毛利:1992年に最初の宇宙飛行に行き、地球に帰ってからですね。有人宇宙活動推進室の室長になって、日本はどうやって有人宇宙開発を継続していくのかずっと考えていました。

私が宇宙飛行士になってから1986年にスペースシャトル・チャレンジャー事故、2003年にコロンビア号事故に直面しました。アメリカだから乗り越えられたと感じます。米国には新大陸を発見した歴史があります。一方、日本社会は宇宙という新しい場所に対して「死を乗り越えても行く価値がある」とは容認できない。技術的な問題ではなくて社会の期待の仕方とか、理解の仕方が違うのだと実感しました。だから日本独自で有人宇宙開発をやるのはまだ早い。他国と協力していかざるを得ないんです。

では他国と協力するときに日本がどれだけ貢献できるか、何を武器にするかを考えると、ただお金を払うだけでは技術も残らないし対等な関係にはならない。日本の得意分野を生かして、これまでの有人宇宙技術を次につなげていける分野はなんだろうと考えましたね。

― その結果が宇宙服、というわけですか?

毛利:人が宇宙で暮らすために欠かせないものの一つは輸送、つまり人間を運ぶロケット。もう一つは生命維持装置。その二つに集約されるだろうと。だけどロケットや実験室のような大きなものではアメリカに勝てない。細かいところまで気配りができる日本の文化が生かせるものはないかと考えているころ、'92年に選ばれた若田飛行士のNASAでの訓練を見ていたんです。そうしたら、宇宙飛行士の誰もが醍醐味を感じるのは「船外活動だ」と感じたんですね。'92年以降数年間は、シャトルが年に6回~8回も飛んで、華々しく宇宙遊泳を行っていた時代です。

宇宙服は、宇宙という極限状況で生きていくために生命維持の根本的なものを全てもつ「小さな宇宙船」です。小さいものを相手にするなら日本がぴったりだと思いました。

― 毛利さんも宇宙服を着てみたんですか?

毛利:自分自身もミッションスペシャリストの訓練で、宇宙服を着て水中で作業をしてみたんですが、「なんと動きにくいものか」と思いましたね(笑)。手袋の指一本一本を関節に合わせてひもで縛るんですが、指の長さがぴったりあわないと指の合間が痛くなる。バックパックの生命維持装置も重いし、ヘルメットも大きすぎる。それに一人で着られない。日本がアイデアを出せばもっともっといいものができるんじゃないの? と。

たとえばこんな宇宙服のアイデアが検討の中ででてきている。詳しくは次回のコラムで紹介。(提供:JAXA) ― めざす宇宙服はどんなイメージですか?

毛利:日本では子供たちにおなじみのヒーローにヒントがあるんですよ。仮面ライダーとかウルトラマン。体にフィットしたものを着て活動的ですよね。

― わかりやすい! 具体的にどう進めますか?

毛利:日本に既にある技術を集めたい。30年前は宇宙は未知の極限環境でしたが、今は真空で無重力で放射線があって・・・と既知の環境になり、必要な技術もわかってきました。だからこれまでのように宇宙用にゼロからお金をかけて開発するのでなく、ハイテク繊維や機能材料、触媒技術など今の日本にある技術を集めて、そこから一緒に作り上げていく。民間の知恵を総動員してそれらを集積するのがJAXAの役割です。日本の産業構造も活性化させて宇宙につなげたいと思っていますし、開発の過程で得られたものが地上でも活用できるでしょう。

― 実現の目標時期は?

毛利:国際宇宙ステーションがあるうちに、宇宙服を実証したいと考えています。そして2020年ごろ、人類が月を再び訪れるときに、世界の宇宙飛行士たちが、「やっぱり日本の宇宙服が使いやすいね」と言ってくれるような宇宙服を実現するのが目標です。


(続く)
具体的な日本製ハイテク宇宙服の検討課題や進め方は次回、ご紹介します。