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2007年 10月分 vol.1
スプートニク50周年。そして生誕150年の「宇宙旅行の父」とは?
ライター 林 公代 Kimiyo Hayashi


「宇宙旅行の父」ツィオルコフスキー(左)は今年生誕150年。カルーガにある彼の生家(右上)と、彼の部屋(右下)。耳が聞こえないながらも、数々の宇宙理論を発表。「地球は人類のゆりかごだ。しかし人類は永遠にそのゆりかごに留まってはいないだろう」は彼の有名な言葉だ。  1957年10月4日、人類初の人工衛星スプートニクを旧ソ連が打ち上げた。ロシア語でスプートニクは「旅仲間」とか「人生の伴侶」とかいう意味がある。(20世紀を代表するピアニストの一人、スヴャトスラフ・リヒテルは奥さんのことを「スプートニク」と呼んでいたそうだ。)なるほど、衛星は地球と一緒に宇宙を旅する仲間、あるいは道連れ。なかなか洒落たネーミングではありませんか。

 NASAもウェブサイトで大々的に50周年のお祝いをしている。だがロシアではどうだろう? 4月のロシア取材で知り合った、高校生のクレメンティーナに「50周年おめでとう!」とメールしてみる。すると「ありがとう! モスクワではパーティーがいっぱいあって、父もその一つに出かけたわ」と返事。彼女のお父さんは宇宙滞在総日数748日を誇る、ロシアの英雄宇宙飛行士、セルゲイ・アウデエフ飛行士なのだ。

 実は今年のロシアは祝典続きなのである。スプートニク50周年がその目玉には違いないが、さらに今年は、スプートニク打ち上げやガガーリンの人類初の宇宙飛行を実現した「チーフ・デザイナー」、セルゲイ・コロリョフの生誕100年、そして、宇宙ロケットの理論を100年以上前に発表し、宇宙ステーションの構想をも打ち立てた「宇宙旅行の父」、コンスタンチン・ツィオルコフスキーの生誕150年でもあるのだ。

彼の考えた宇宙ステーションの模型がカルーガの宇宙博物館にあった。上が全景で下が居住部のアップ。一番上がキャビン、2段目がおふろ。3段目がエンジンルーム。おふろはカプセル状になっている!  スプートニクは超有名だが、コロリョフやツィオルコフスキーの名前はあまり一般には知られていない。とりわけツィオルコフスキーは、もっと讃えられるべきだという気がしてならない。1857年9月17日に生まれた彼は、9歳のとき猩紅熱のために聴力を奪われ学校を退学、独学を続けた。そして1897年、「ツィオルコフスキーの公式」を発表。これはロケットが高速で飛ぶ原理を、噴射ガスや質量比等との関係から世界で初めて理論的に示したもの。しかし今は画期的だといえる彼の理論も、当時は相手にされなかったという。彼が認められたのはロシア革命後の1919年。60歳を過ぎてようやくソ連科学アカデミーの会員に選ばれたのだ。彼は飛行実験は行わなかったものの多段式ロケットや液体ロケット、さらに宇宙ステーションなど現在主流となっている宇宙活動を、当時から理論的に予言していることに、驚くばかりだ。

 モスクワから南に約200キロのカルーガという町にある、ツィオルコフスキーの生家を訪れたことがある。緑色の小さな家の2階の部屋でまず目に入ったのは、机の上におかれた大小の「じょうご」のような手製の補聴器だった。彼の耳は地球上のわずかな音しかひろえなかったかもしれないけれど、頭の中には宇宙や、そこで活躍する人類の姿がくっきり描かれていたに違いない。その証拠に彼の描いた宇宙ステーションは具体的かつ遊び心に溢れている。その想像力は感動的だ。

 ところで今のロシアの若者たちは、宇宙に関心があるのだろうか。クレメンティーナによると「私の友達の何人かは、宇宙に興味をもっているわ。宇宙に行きたいというよりロケットの研究をしたいみたい。でも私は宇宙に行きたい。宇宙から地球を見られるなんて、驚くべきことじゃない?」。 いいですねぇ。

 宇宙ヨットまで考えたツィオルコフスキーの想像力に、まだ私たちは追いついていない。 今後50年、私たちは偉大なる先人たちの未来像を超え宇宙に拡がっていくことができるだろうか。