Event Space
ホルストもホッとため息? 竹内 薫(たけうち かおる)1960年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒。
マギル大学大学院博士課程修了。理学博士。科学作家。著作、新聞・雑誌、テレビ、ラジオを通じて科学文化の振興につとめる。主な著作に「超ひも理論とはなにか」(講談社ブルーバックス)、「99・9%は仮説」(光文社新書)など。

 冥王星が惑星から降格されて、各方面から、さまざまなため息が聞こえてくる。実は、この件に関しては、私は、2003年の春からずっと「冥王星は降格されるゾ」と予言し続けてきた。「大人の科学」(学研)という雑誌には、

というわけで、今回のニュースは、「十番目の惑星セドナが発見された」のではなく「冥王星が惑星の座から滑り落ちて小惑星になっちゃった」というのが科学的な真相に近いのだ

とハッキリと書いたし、「99・9%は仮説」(光文社新書)にも、

さて、なにが複雑なのかというと、もし2003UB313を小惑星とすると、今度は冥王星まで小惑星にしなければいけなくなってしまうということなんです


と書いていた。(2003UB313は、その後「エリス」と命名。セドナやエリスといった新天体の発見が、今回の騒動の引き金となった。)

 だが、実をいえば、「そうはいっても、ここまで文化的に親しまれてきた冥王星を、いまさら小惑星に降格することはできないだろう」という読みもあった。だから、冥王星が(惑星と小惑星の中間の?)「矮惑星」という微妙な地位に降格されたときには、「苦肉の策だなぁ」という、憐れみに似た感情を抱いてしまった。  たしかに、純粋科学の問題としては、冥王星は公転軌道が大きく傾いているし、かなりちっちゃいし、周辺では、同じような天体が、これからもたくさんみつかりそうなので、惑星のままにしておくには無理がある。

画像:冥王星を含む太陽系惑星たち
 だが、科学の世界にも政治力学がはたらく。冥王星が、唯一、アメリカ人の発見した惑星であったことが、今回の問題の根底にあることも否定できない。

 当初のNASAの目論見は、九番目の惑星も十番目の惑星もアメリカ人による発見、ということにして、自らの宇宙探査計画の宣伝に使おう、ということだったのだろう。もし、そうだとすれば、十番目を欲張ったため、世界中の天文学者たちの反感を買ってしまい、九番目までも失うはめになった、というのが真相だろう。やぶへび、というわけである。

 科学のニュースは、ほとんど新聞の一面を飾ることがないが、「冥王星」という、誰でも知っている惑星が主役だったため、大勢の人がニュースに注目し、結果として、科学の振興に一役買うことになった。科学界も、科学ジャーナリズムも、痛しかゆし、という複雑な心境であろう。

 惑星といえば、イギリスの作曲家グスターヴ・ホルストによる組曲が有名だ。だが、ホルストの組曲が完成したのは1916年頃であり、冥王星の発見は1930年であり、結果的に、ホルストの組曲に、冥王星は入り損なった。  別人がホルストの組曲に冥王星を追加したこともあったが、2006年8月24日の国際天文学連合の決定により、ホルストのオリジナルな組曲が、科学的な惑星の定義と合うようになった。(ただし、ホルストの惑星には、地球は含まれていない。また、火星と水星の順番が逆になっている。そこには、占星術的な意味合いがあるとされる。)

 いずれにせよ、冥王星の降格により、いちばんホッとしているのは、やはり、あの世から冥王星の追加曲を苦々しく思い続けてきた(であろう)ホルストではないか、というのが、私の正直な感想なのである。  冥王星をめぐる攻防戦については、まだまだ、アメリカ勢による巻き返しがあるかもしれない。はたして、どうなるのか、今後の動向に注目してゆきたい。