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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

日本初の量産宇宙機「こうのとり」、2号機からの苦闘

12月9日(金)、国際宇宙ステーション(ISS)に向け日本の貨物船「こうのとり」6号機が打ち上げられる。他国の貨物船が次々打ち上げに失敗する中、「こうのとり」だけが5号機まで事故なく完璧な成功をおさめ、米ロの宇宙大国からも絶大な信頼を得てきた。6号機が「バッテリー」を運ぶ大役を任されたのはその証といえるだろう。バッテリーがなければISSは機能しない。つまりISSの生命線と言えるからだ(詳細は次回)。

国際宇宙ステーション(ISS)にドッキングした状態の、宇宙ステーション補給機「こうのとり」。画像下に広がるのはオーロラ。(提供:JAXA/NASA)

世界が頼る日本の「こうのとり」(HTV)。ここでおさらいしておこう。「こうのとり」は大きく、荷物を積む部分、「頭脳」部分、「推進」部分に分かれ、それぞれ異なる企業が担当している(写真)。頭脳部分にあたる「電気モジュール」は、秒速約8km(東京—大阪間を約1分で飛ぶほどの超高速)で飛ぶISSとの位置や距離を測りながら、安全に接近するための誘導制御、通信、計算機器などを搭載した、いわば「こうのとり」の要。三菱電機が担当している。

「こうのとり」の概要。荷物を積む部分は「補給キャリア与圧部(宇宙飛行士が入って作業できるよう、空気で与圧されている)」と「補給キャリア非与圧部(宇宙空間に晒された部分)」。航法、制御を行い頭脳となるのが「電気モジュール」、軌道変更や姿勢制御を行うのが「推進モジュール」。(「こうのとり」6号機ミッション概要資料より 提供:JAXA)

もっともユニークなのはその接近方法だ。どんな事態でも決してISSに衝突し宇宙飛行士に危害を及ぼさないように、ISSの下(地球側)から接近し、最後はISSから見て相対的に止まっている状態にして並走(←互いに秒速約8kmで飛びながら手をつなげる状態)、宇宙飛行士にロボットアームで捕まえてもらうという、前例がない独自の方法を切り拓いた。今ではその手法を米国の民間宇宙船も取り入れ、今ではISS貨物船のスタンダードとなっている。

宇宙を飛行中の「こうのとり」。ISSと直接通信が可能な領域(ISSから23km)に到達すると、近傍通信システム(PROX 三菱電機が開発)との通信開始。その後、PROXやGPS信号を用いてISSの下約500mに移動、ISSまで10mに接近した地点で噴射を止めて停止。最後は宇宙飛行士がロボットアームを操縦し、キャプチャ(捕獲)!(提供:JAXA/NASA)

「こうのとり」の初飛行は2009年9月11日。その開発は約15年前から始まった。有人宇宙船を開発したことのない日本に対してNASA(米国航空宇宙局)の要求は厳しかった。

国際宇宙ステーション(ISS)への接近の要となる、電気モジュールの誘導制御用計算機を担当し、NASAとの交渉のテーブルについた三菱電機鎌倉製作所宇宙製造部の千葉隆文さんは、「NASAにはソフトウェアの安全基準バイブルがあるのですが、最初はその『解釈』がわからなかった」という。たとえば、「間違って送信されたときに大きな問題が発生するようなコマンド(指令)には3つのステップを設けなさい」とバイブルに書いてある。それがABCの3つのスイッチを用意することか、そのスイッチをどのように設定すればいいのか、またスイッチを動かすためにどのように機能を分離しなければいけないのかがわからない。「NASAは納得できる回答を持って来てください。と言うだけでどうすればいいかは教えてくれなかった。今考えると、日本がどの程度のものを作ろうとしているのか、言った通りの物が作れるのかNASAもわからなくてアドバイスのしようがなかったのかもしれません」(千葉さん)

宇宙飛行士が生活する有人施設に、無人の貨物船がドッキングするという経験はNASAにとっても未知数だった。時にはありえないような無理難題を課され、日本が本当に難度の高い宇宙船を開発できるのか、力が試されていると感じたこともあった。頂上が見えず雲をつかむように課題を一つ一つクリアする日々。周囲からは「HTVに関わらない方がいい」「NASAの安全審査を通せるものが本当にできるのか?」というささやきも聞こえてきたという。

「こうのとり」初号機の電気モジュールで誘導制御用計算機を開発した、三菱電機の千葉隆文さん。「こうのとり」2号機からの量産プロジェクトマネージャー。11月の「ひまわり9号」、12月の「こうのとり」6号機打ち上げでは三菱電機の種子島出張所統括責任者。趣味はバイク。大学時代からバイクに乗っており、今は40年前に製造されたハーレーダビッドソンに乗っている。「個性があって、乗りにくいところがいい」。

だが、スペースシャトルが引退することが決まり、大きな物資を運ぶ輸送手段がなくなることで風向きが変わり始めた。NASAも否定するより日本と協力し、プロジェクトを成功させようと議論が進んだ。そして2009年、初号機成功!千葉さんたちは「山を登り切った」安堵感を得た。

ISS内でロボットアームを操作し、「こうのとり」初号機キャプチャ作業を行うニコール・ストットNASA宇宙飛行士。(提供:JAXA/NASA)
「こうのとり」初号機成功で、抱き合って喜ぶJAXAの運用管制チーム。(提供:JAXA)
「こうのとり」3号機内部。星出飛行士(右下)もキャプチャ作業に参加。(提供:JAXA/NASA)

設計・製造図面が不明点だらけの状態でスタート
—日本初の「量産宇宙機」

初号機成功の興奮も覚めやらぬ中、三菱電機の工場では「こうのとり」2号機用の電気モジュール製造や試験の最終段階を迎えていた。「こうのとり」は2号機から7号機まで「量産」することがISS国際パートナー間で決められていた。初号機が成功したのだから、2号機以降は同じように作ればいいのでは?と思うかもしれない。だが、開発要素が多い初号機では潜在している問題を、あらかじめすべて取り除くことは困難であり、製造・試験段階で手順を変えるなど試行錯誤で作ったところが多々あった。実は、初号機成功のあとの「量産」が大変だったことが意外に知られていないのだ。

「こうのとり」2号機からの量産プロジェクトマネージャーを務めたのが、千葉隆文さんだ。千葉さんは先に書いたように、宇宙機や衛星同士を接近・ドッキングさせる「誘導制御」が専門。千葉さんは「こうのとり」(HTV)でいきなりこの技術を獲得したわけでなく礎となる二つのプロジェクトで計算機の設計を担当している。一つが宇宙実験機SFU(1996年、若田飛行士がスペースシャトルのロボットアームで捕獲)、もう一つが1998年の七夕に二つの宇宙機を自動で接近・ドッキングさせた「おりひめ・ひこぼし」(ETS-VII)だ。その技術で「こうのとり」初号機も担当。その後、技術課や品質管理課などの課長を歴任し、製造や品質管理部門などとネットワークがあることから、量産プロマネに抜擢された。

1995年に打ち上げられた宇宙科学研究所(当時)の宇宙実験・観測フリーフライヤSFU。96年1月に若田飛行士がスペースシャトルのロボットアームで捕獲した。
(提供:JAXA/NASA)
1997年に打ち上げられた「おりひめ・ひこぼし(ETS-VII)」(想像図)。宇宙で二つの宇宙機を離した後、接近・ドッキング。3回にわたって行い技術を習得した。
(提供:JAXA)

「二流の人間が作っているのか」

「こうのとり」初号機は日本にとって新しく、しかも難易度の高い開発要素が多く、とにかく成功させることが目的だった。だから「設計通りに動くか動かないかのシステムの成立性に着目され、ちょっとした製造ミスはそれほど着目されなかった。しかし、2号機以降は『動くのが当たり前』。そうなると細かな品質の課題が目につくようになってくる」(千葉さん)。

初号機では、開発過程で問題がでるたびに修正を重ね、なんとか成功に導いた。そのため、組み立て手順は分かりやすいとは言い難い状態だった。「わかりやすく言えば手が入らないとか、ねじが締めにくいとか。たとえば自動車の場合には、新しい車を開発するとその後に『量産設計』というフェーズがあって、なるべく少ない工程で短時間に作りやすく製造するために製造工程の見直しを繰り返します。でも宇宙機の場合には、量産機(HTV2号機以降)の製造の中で製造の手順を作りこんでいくしかないのです」

もちろん2号機以降に向けて、製造の順番を整理したマニュアルを作った。しかしそれでは不十分だった。図面の解釈が人によって違い、誤差が出る。そのためトラブルが起こり、追加の検査が必要になった。「開発の時は一流の人間が作っていたのに、開発が終わったら二流の人間が作り始めたのか」など、屈辱的な言葉も耳にはいってきた。

「こうのとり」3号機と宇宙飛行士たち。(提供:JAXA/NASA)

100人を集めて訴え、一体感が生まれる

千葉さんにはやるべきことはわかっていた。「図面の総点検」だ。ただし総点検をするとなると、関係するたくさんの部門の人たちに、相当な労力と時間を割いてもらわないといけない。踏み切る自信がなかった時、品質管理の部長に「腹をくくってやっていこう。」と後押しされ、関係する約100人を集め、声を詰まらせながら訴えた。「不具合を起こそうと思って起こしているわけではないし、今起きたことを責める気持ちはない。ただ二度と同じ間違いを起こさないようにするのがみんなの責任。協力してほしい」。そこから「こうのとり」チームに一体感が生まれた。手順がはっきりしていなかった箇所について製造部門が取り組み力を合わせ、約3か月かけて完璧なマニュアルを作り上げた。それが「こうのとり」連続成功を支えた。

「こうのとり」5号機打ち上げ前には他国の貨物船の打ち上げ失敗が相次いだ。搭載できなかった荷物を積んでほしいと、NASAから緊急物資が種子島に到着。こうのとり5号機に搭載された。(提供:JAXA)
油井飛行士が日本人で初めて「こうのとり」のキャプチャ作業を担当。こうのとり5号機は新鮮なフルーツを宇宙に届けた。(提供:JAXA/NASA)

しかし、なぜ「量産」は難しいのだろうか?量産とは同じものを作ることだが、「同じ」の精度が世の中の常識と違うのだという。千葉さんはコーヒーを例にあげて説明してくれた。「同じようにコーヒーを淹れてください」といえばふつうは豆をスプーンに摺り切り1杯入れて、90度のお湯を150ccほど入れる。しかし同じことを宇宙機レベルで行えば、豆はグラム±0.1ミリグラム、お湯は±0.1度、コーヒーを入れるカップの温度も±0.1度・・・という精度にすべてそろえなければならない。

こうした高い精度が求められる宇宙機を、誰が作っても同じようにする難しさもある。開発から含めると20年以上経った今、世代交代の問題もある。「こうのとり」は6号機で打ち上げスケジュールが遅れたが、その一因には「世代交代」があることをJAXAも言及している。「料理と一緒でシェフが変われば、同じ食材、同じレシピで作っても微妙に味が変わる。宇宙機も『図面に書ききれない部分=人に宿る部分』が存在する。マニュアル化に頼りきらずに、一緒に仕事をして学ぶ機会を与えることが大切です」と千葉さんは指摘する。

火星まで行ってほしい

これまで連続成功を収めてきた「こうのとり」。頭脳部分には、通常の人工衛星で二つの計算機を搭載しているところ、3つの計算機を搭載。地上からの指示を待たず、自分で多数決を行い、自動で迅速にトラブル対処する「賢い」宇宙船だ。万が一、二つの計算機が壊れた場合には、ISSから遠ざかるなど安全を図るよう設計されている。そしてこの計算機、過去に一度も、一つも壊れたことがない。それは高い信頼性の証ではあるものの、千葉さんは内心「一つ壊してみたいですよね」と笑った。「一つの計算機をわざと壊れた状態にするコマンドを送っても、問題なく動くはず。やってみたいんですよね・・・誰もやりたがらないけど(笑)」

2012年3月、宇宙飛行士が船外活動中に撮影した「こうのとり」3号機と「きぼう」日本実験棟(画像右下)。(提供:JAXA/NASA)
「こうのとり」後継となる「HTV-X」イメージ図。宇宙での実験や、軌道間輸送など様々な可能性が検討されている。
(提供:JAXA)

「こうのとり」の量産の先には何があるのだろう。千葉さんが期待するのは?「空想かもしれないが、火星まで行ってほしい。HTVの技術があれば、火星の宇宙船に燃料補給もできるかもしれない。火星飛行につながるアプローチがあればいいなと思います」。火星ですか!それは楽しみ。その日を夢見て、まずは6号機打ち上げとその後のミッションに注目しましょう。次回は種子島で実際に見た「こうのとり」6号機詳細についてのレポートです!