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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

世界の飛行士を乗せて月を走れ!
—トヨタ×JAXA月面車の背景と道のり

3月12日、トヨタ自動車とJAXAは野心的な有人月面車プランを発表した。宇宙飛行士2人(緊急時は4人)が42日間、普段着で暮らせる四畳半の部屋をもった6トンの車。マイクロバス2台分もの大きな車2台を2029年に打ち上げる。2034年までに月面で科学的に興味深い5つの地点を探査する予定で、総走行距離は1万kmになるという!

トヨタ自動車が発表した有人月面ローバー。全長6m×全幅5.2m×全高3.8m(マイクロバス約2台分)居住空間は13m3で四畳半程度の広さがある。(提供:トヨタ自動車株式会社)

宇宙開発史上、人が乗って月面を走った車は3台しかない。1970年代のアポロ計画15~17号で月に運ばれた月面車だ。約210kgと軽量で、宇宙飛行士は宇宙服を着て操縦。最も長い走行距離は17号の月面車で約36km。3台合計でも100kmに満たなかった。それから半世紀を経た今、進化したテクノロジーで日本が挑むのは100倍もの走行距離。野心的で壮大な構想だ。

率直に言って、これまでJAXAが発表してきた計画と比べて、かなり飛躍した内容に聞こえた。なぜこのタイミングで発表? そしてなぜ2029年なのか?「確かにこれまでは、今ある技術の延長線上で確実に実現できそうなものを計画してきました。しかし、将来を見越してジャンプアップした新しいものを提案したいという要望が、JAXA有人宇宙技術部門にもあったのです」とJAXA有人宇宙技術センター長、筒井史哉さんは言う。

なぜ2029年なのか?「国際協力で進める月軌道の基地ゲートウェイができるのが2026年。(完成後)国際パートナーは月面に宇宙飛行士を送りたいと考えている。その次に来るのがローバー(月面車)だと思っている。アメリカやドイツの車業界が狙ってくるかもしれない。タイミングをはずせば、他のところに負けて我々がリーダーシップをとれない可能性がある」。

3月26日、アメリカの国家宇宙会議議長を務めるペンス米副大統領は、5年以内に宇宙飛行士を月に送ると発表。有人月着陸は加速しそうだ。そして月面に人類が拠点を作り、活動を広げる際には有人月面車が必須になる。国際宇宙探査の枠組みの中で世界の車メーカーとコンペで競り勝ち、「有人月面車は日本に任せよう」と認めてもらうために、日本が最初に名乗り出て準備を進めようというわけだ。確かにアウディは月への着陸を目指すドイツ企業に技術提供している。競争はもう始まっているのかもしれない。

3月12日、有人月面車について協力し検討を加速すると発表したJAXA理事若田光一宇宙飛行士(左)とトヨタ自動車寺師茂樹副社長(右)。

月で世界の宇宙飛行士を乗せて走る、メイドインジャパンの車。その実現のためにJAXAが最初のパートナーとしてタッグを組んだのがトヨタだ。「月面で車を走らせる構想はかなり前から頭の中にあった。トラディショナルな宇宙企業と議論してきたが、月には重力がある。(重力は)宇宙開発にとって新しい挑戦。地べたがある環境を技術的に克服するにはトヨタさんはじめ宇宙を専門としていない方々に入ってもらう必要があった。」(JAXA筒井史哉さん)

有人宇宙開発はこれまで国際宇宙ステーション(ISS)など無重力空間を主な舞台として、開発が進められてきた。地上の六分の一ながら重力があり、さらに地べた(地面)がある場所を走るのは新しい挑戦であり、走行について実績+経験+技術力をもつトヨタは最強のパートナーであることは間違いない。

五大陸を走破したトヨタ、六大陸目は最も過酷な月へ

一方、トヨタ内では若手社員が宇宙を目標に、独自に検討を重ねていた。「社内には将来技術を検討し、社長と副社長に提案する仕組みがあります。宇宙に技術開発の芽があると数年前から衛星や電池を検討したが、ローバーであれば我々の技術が生かせるのではないかと判断。その後JAXAと約1年間検討を重ねました」(トヨタ先進プロジェクト推進部主査 佐藤孝夫さん)

トヨタの寺師茂樹副社長は「宇宙開発は高度な技術力が試される『道場』」であり、技術を鍛え磨き上げて月面車を走らせるのは「エンジニアの夢」と言う。月面という過酷な環境から、宇宙飛行士を必ず生還させなければならないが、トヨタは過酷な環境を社員に体験させている。それが2014年から五大陸を社員が走る、五大陸走破プロジェクトだ。「道が人を鍛え、鍛えられた人が車を作る」のがその理念であり、品質、耐久性、信頼性を向上させてきた。そして六大陸目に挑戦するのが「月面」である。

有人月面車の探査活動イメージ動画。現在のプランでは有人月面ローバーはNASAのロケットSLSで打ち上げ、月に着陸させる。(提供:トヨタ自動車株式会社)

寺師副社長は、現時点で有人月面車に要求される性能について、3つの大きなポイントをあげた。

一つは水素を使った燃料電池の技術。月探査の難しさとして昼が14日間、夜が14日間続く独特の昼夜サイクルがある。14日間もの長い夜を乗り越えるため、エネルギー効率の高い動力源として採用したのが次世代燃料電池だ。水素と酸素を反応して電気を生み、水を排出する。満充填で月面車を1000km走らせることが可能という。燃料電池はアポロ計画やスペースシャトルでも使われ、副産物としてできる水は飲料水として宇宙飛行士が活用してきた。計画では地球から水素、酸素を運ぶが、月で水資源が見つかれば水素と酸素に分解して活用できる。発電による生成水をまた分解して燃料に使うという循環が実現する可能性がある。将来は月に水素ステーションができて、燃料を現地調達できるかもしれない。「地球より早く、月で水素社会のひな型ができるのでは」と寺師副社長は期待する。その技術を地上に還元できるはずだと。

二つ目は信頼性。「月面は道路の舗装もされていないし路面がどうなっているか、起伏もわからない。いかにそういう場所を走破できるか」。レゴリスという細かい砂で覆われた月面は滑りやすく、部品を痛めつける。さらにマイナス170度から120度という厳しい温度環境に晒され、放射線が降り注ぐ。地上で使っている部品が使えない可能性もある。

そして三つ目が自動運転機能。現在の構想では、月の5領域(画像で赤丸で示したところ)を探査予定だが、宇宙飛行士が月面車で活動するのは赤丸の探査エリアだけ。5ヶ所間の移動は、ローバーが無人で自動走行する。ローバーが目的地に到着後、宇宙飛行士が月軌道の基地ゲートウェイから着陸して乗り込むプランだ。

3月12日発表資料「JAXAが描く国際宇宙探査のビジョン~Explore to Realize~」より(提供:JAXA)

「(センサーやカメラでとらえた月面のデータを)地球に送って、また月に戻すのは月面での自動運転にとって致命的。自律走行できるような自動運転機能を持たせなければならない。とても難しいハードルになるのではないか」(寺師副社長)。道路もGPSもない月面で、例えば落とし穴になっている場所を察知し目的地に安全に到達できる技術を開発する必要がある。

超えるべき課題は多数あり、一つ一つつぶしていくことになる。JAXA理事・若田光一飛行士は「月面の厳しい環境で何千キロもの走破を実現するために、燃料電池をはじめ、信頼性高いトヨタさんの技術全体に我々は大きな期待を持っている」と語る。走ることを知り尽くしたトヨタと、宇宙を知り尽くすJAXAが知見をもちよる。さらに多数の企業の知見を結集し、チームジャパンが月という道場で技術を磨いていく。寺師副社長曰く「自動車は約3万点の部品があり、7割は仕入れ先から調達している。今回もタイヤについてブリヂストンさんに教えて頂いていて、仲間で作り上げていく」。

ホップ・ステップ・ジャンプで月面での活躍目指す—日本の計画

月を目指し、具体的に今後どう進めていくのか。トヨタには半世紀以上の実績をもち、耐久性において世界中で高い評価を受けるランドクルーザーや、量産車として世界初のセダン型燃料電池自動車となったMIRAIがある。しかし、有人月面車のベースとなる車は?と聞くと「なくて困っている」(トヨタ佐藤孝夫さん)。「走破性や耐久性という意味ではランドクルーザーのような車が適切ではないか。材料や構造は月面環境に合わせていくが、信頼性の考え方は生かせると思う」

宇宙で実証することも検討中だ。「JAXAには2021年に月にピンポイントで着陸するSLIM(スリム)ミッションが決まっています。2023年頃に月の極域に無人ローバーを走らせるミッションや、その後も検討中です。これらのミッションで、例えば月のレゴリスの滑り具合を材料レベルで検証できるかもしれない。ISSの日本実験棟『きぼう』には月面と同じ重力を再現する装置もあり、(実証)できることはあると思います」(JAXA筒井史哉さん)

そうなのだ。JAXAは月や火星探査に向けた様々な計画や構想を立てている。

「国際宇宙探査に向けて ~世界の動向と日本の取り組み~」(JAXA理事/宇宙飛行士 若田 光一)3月12日発表資料より(提供:JAXA)

まず、米国を中心に欧州やロシア等が参加予定の月軌道の国際基地「ゲートウェイ」。2022年に建設を開始し2026年に第一フェーズが完成予定。ゲートウェイという名前が示す通り、この基地を拠点にして月面に着陸し水資源などの月探査を行ったり、火星へ向かう宇宙船に燃料を補給したりする。各国が何を担当するかは調整中だが、現在の案では日本は補給船と居住モジュールを担当する予定だ。ゲートウェイはISSの6~7分の一の質量で、4人の宇宙飛行士が年間30日程度滞在する計画だ。現在のISSより小規模であり無人の期間も多いが、地球と簡単に行き来できない場所に、人類の深宇宙への探査拠点が初めて構築されることになる。

月や火星探査で人類がどのくらい活動を広げられるかという点で肝になるのが、水が月のどこに、どのくらいあるか。水氷を実際に掘り当てることを目的に、2020年代初頭には米国やロシア、中国、インドが月極域の水を探査する計画を立てている。日本も2021年に小型月着陸実証機SLIMでピンポイント(約100mの精度)に月面着陸する予定だ。

その後、日本は2023年にはインド宇宙機関と協力し、月の極域探査ミッションを行う計画だ。インドが月着陸機、日本が探査ローバーを担当、開発中のH3ロケットで打ち上げたいと検討を進めている。

「国際宇宙探査に向けて ~世界の動向と日本の取り組み~」(JAXA理事/宇宙飛行士 若田 光一)3月12日発表資料より。(提供:JAXA)

さらに野心的なのが2026年打ち上げを目指すHERACLES(ヘラクレス)ミッションだ。山川宏JAXA理事長は「有人月面探査に向けた無人離着陸実証を視野に、サンプルリターンを国際協力で進めることを検討している」と発表。日本は将来、有人月離着陸船を担うことを目指し、技術を磨きアピールする。欧州宇宙機関やカナダ宇宙機関等との国際協力で、日本が着陸機を担当する構想だ。着陸地は有人ミッションの候補地で、月の裏側にある南極エイトケン盆地。サンプルを地球に持ち帰り、科学的にも価値の高い探査を目指す。

2026年頃には「(月面車の)小さなモデルを持って行ってもらいたい」とトヨタ佐藤さんは期待する。それまでに試作車を作り、実験道で走らせる計画で、3~4年の間に数百人の体制を作っていく予定だという。

これは面白くなってきた。日本の技術を結集した月面車が世界の宇宙飛行士を乗せて、月を縦横無尽に駈け抜ける未来。さらにその技術が地上の水素社会を加速するかもしれない。

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