北海道支社×
北海道の歴史を辿る

2018年に命名150周年を迎えた北海道の歴史を辿るため、「北海道開拓の村」を訪ね、その歩みを体感するとともに、1937(昭和12)年の札幌出張所設立以来、北海道の地で、その発展に寄り添ってきた三菱電機の足跡をご紹介します。

2018年に命名150周年を迎えた北海道の歴史を辿るため、「北海道開拓の村」を訪ね、その歩みを体感するとともに、1937(昭和12)年の札幌出張所設立以来、北海道の地で、その発展に寄り添ってきた三菱電機の足跡をご紹介します。

REPORTER

事業推進部 企画課小松 綾子

詳細を見る

岩手県に生まれ育ち、北海道には約20年在住しています。旅行と美術館・博物館巡りが大好きな私が、北海道の歴史とこの地における三菱電機の歩みを辿ります。

HIGHLIGHT AREA

北海道支社

詳細を見る

北海道を中心にビルシステム、社会インフラ・交通をはじめ、電力・エネルギー、情報通信・セキュリティー、産業用機器など、幅広い分野において製品・システムを提供しています。

北海道支社 地域ビジネス活動

掲載されている情報は、2019年2月時点のものです

北海道命名と探検家・松浦武四郎

“北海道”という名称は、1869(明治2)年8月15日、明治政府によって命名されましたが、その名付け親として関わったのが、松浦武四郎と言われています。開拓使の役人だった松浦は、政府に対して名称を提案、その中に「北加伊道(ホッカイドウ)」という案があり、最終的に「加伊(カイ)」が「海」となって、「北海道」と命名されました。
北海道北部にある音威子府(おといねっぷ)村には、「北海道命名之地」と記された記念碑があり、前方に広がる天塩川流域の豊かな自然は、当時の面影を今に残しています。

開拓使時代へタイムスリップ!

〜北海道開拓の村

開拓使時代を実際に体感するため、「北海道開拓の村」を訪ねました。ここは、野幌森林公園内にある野外博物館で、明治から昭和初期にかけて建てられた北海道各地の歴史的建造物を各地から移築、復元されています。広大な敷地を市街地・農村・山村・漁村の4エリアに分け、開拓使当時の暮らし・文化・産業の様子を体感できるように村の情景や屋内の生活なども再現、まるで100年前にタイムスリップしたような雰囲気です。村を巡りながら、現在の北海道における三菱電機の導入事例などを織り交ぜて、北海道の今昔を紐解いていきます。

開拓の歩みと重なる、

北海道の農業「農村群」

北海道の開拓の歩みは、そのまま農業の歴史と重なります。当時、開拓の担い手となったのが屯田兵で、この地に家族とともに移り住み、普段は農業に従事しながら、兵士として北方警備という重要な役目も担いました。農村群の建物は、当時の家屋の内部まで再現されており、屯田兵家族の暮らしぶりを窺い知ることができます。北海道は今や酪農と農業が主力産業となりましたが、厳しい自然と向き合いながら、原生林に覆われた大地を切り拓いてきた先人の苦労と努力が伺え、胸に迫るものがあります。

「JAふらの向け」パレタイズロボット

開拓使時代の苦労が身を結び、北海道は広大な土地を活かした大規模農業を展開しています。当社は、総合電機メーカーという強みを活かし、工場内で使われるファクトリーオートメーション関連機器も手がけており、農業分野においても貢献しています。その一つとして、JAふらの(ふらの農業協同組合)様には、当社製のパレタイズロボットを納入しています。こちらの工場で生産加工されている豆類の袋はおよそ30kgありますが、以前は手積みによって、1日300〜400袋を4人で出荷用のパレットに積み上げていたそうです。それがパレタイズロボットの導入により、作業にかかるマンパワー(労働力)は約1/4に軽減。その分、他の作業に専念できるようになったと喜んでいただいています。

新しい札幌のランドマーク

〜さっぽろ創世スクエア

2018年、札幌の市街中心部に誕生した新たなランドマークが、「さっぽろ創世スクエア」です。時計台やテレビ塔など、札幌の代表的な観光スポットが点在するこの場所に造られた多目的複合施設は、高さ124m、地上28階・地下5階で、さまざまな施設が設置されています。ここには当社製の昇降機やサイネージが納入されており、施設を利用する人たちにタイムリーな情報を提供するなど、利便性や快適性の向上に貢献しています。

鉄道の元祖〜馬車鉄道

レトロな建物が並ぶ開拓の村の並木道には、中央に線路が敷かれています。ふと気づくと、後ろから白い道産子が客車を引きながらゆっくりと進んできます。馬が線路の上の車を牽引する馬車鉄道です。昔の鉄道は、こんな感じでのんびりとしたものだったのでしょうか。のどかな姿に心が和みました。

札幌の地下動脈・市営地下鉄の車両基地へ

札幌の地下動脈として人々の移動を支えている、札幌市営地下鉄。南北線と東西線のホームには当社製の可動式ホーム柵が設置され、東豊線と南北線の一部車両にトレインビジョンが納入されています。また、南北線と東西線へフルカラーLED表示器の納入に向けた準備も進んでいます。色弱の人にも見やすい表示を目指して札幌市が色のガイドラインを設定、当社はこれに対応したフルカラーLED表示器を通じて、色差を容易に判別できるカラーユニバーサルデザインを実現しました。日英中韓の多言語案内表示とあわせて、さまざまな人に安心して乗っていただけるようになっています。ホーム柵については2009(平成21)年に東西線で初めて導入、その後2017(平成29)年までに全線で導入されました。ホーム柵ができたことで、安全運行に貢献できたと思います。

北の大地への新しい道〜北海道新幹線

本州と北海道を結ぶ高速鉄道路線として、2016(平成28)年に開業した北海道新幹線。このH5系車両には、当社製の車載機器が導入されています。主回路システムでは、主変圧器や主変換装置、主電動機、情報・通信機器においては、車両情報管理装置や列車無線装置、そしてブレーキシステムや空調システムなど、新幹線という極めて高い性能が求められる領域において、安心・安全な運行を支え、人々をスピーディーに運ぶ移動手段として利便性の向上、地域の活性化に貢献しています。

北海道における三菱電機のルーツを訪ねて

北海道支社は、2017年に創立70周年を迎えました。北海道における三菱電機の歩みは、1937(昭和12)年の札幌出張所新設にまで遡ります。当時、三菱鉱業を中心とした炭鉱向けに納入された大型巻上機や大型電機品、中小容量のモーター・トランス等の電機品の改修対応を目的としてスタートしました。その後、本格的な営業所として活動を開始したのは、1947(昭和22)年8月1日の札幌営業所の開設から。この時期、戦後経済を立て直すための主軸産業として石炭産業が大きな役割を担ったことから、炭鉱向けの営業に注力するため、営業所が開設されました。北海道における三菱電機のルーツを辿るため、当時の炭鉱の様子を体感できる夕張市石炭博物館を訪ねました。

炭鉱を支えた鉄道〜三菱大夕張鉄道保存車両

次に訪ねたのは、石炭の輸送路として炭鉱を支えた三菱大夕張鉄道の保存車両がある「南大夕張駅跡」です。三菱石炭鉱業大夕張鉄道線は、1911(明治44)年に三菱大夕張炭鉱の専用鉄道として開通、その当時に走っていた車両が、廃線後も保存展示されています。「南大夕張駅」は、1987(昭和62)年に廃止された三菱大夕張鉄道の終点駅ですが、駅跡には車両が展示されており、車内を見学することができます。車両のボディには、しっかり三菱マークが記されています!

今回、開拓の歴史を辿りながら、北海道における三菱電機のルーツを訪ねたことで、北の大地の発展を支えてきた多くの人々の努力と苦労を知りました。そこに寄り添ってきた三菱電機の歩みを実感し、私も一歩一歩着実に歩みながら、これからも地域に貢献できる仕事に取り組んでいきたいと思います。