今日の夕飯は自炊するか、おかずを買って副菜と主食はつくるか、それとも外食するか。人は日常生活のあらゆる場面で選択を迫られている。自分でやるか、人と一緒にやるか、人に任せるか。企業の研究開発もある意味、その選択の連続である。
2003年に経営学者のヘンリー・チェスブロウが発表した概念は今や産業界のトレンドになっている。オープンイノベーション。企業内部と外部のリソース(ヒト、モノ、カネ)を結合させて、意図的に新たな価値を創造する概念だ。
外部の知識や技術などを取り入れ、自社の技術と併せて活用したり、自社のビジネスモデルにはまらない知識や技術でも、価値があるものを外部と連携して実用化したり。いずれにしろ共通するのは製造業に長く染みついた「自前主義」との決別だ。
自社で開発したモノやサービスをつくって、売る。洋の東西を問わず、製造業を支えたモデルだが、歴史を振り返れば開発の自前主義は何も必然ではない。
現代の企業の「自前主義」の源流は19世紀末から20世紀初頭のドイツに確認できる。それ以前は企業が発明家や大学から研究シーズを買い取る例が珍しくなかった。
企業規模が拡大するにつれ、有望な大学の教授に投資するようになる。先端の知識を独占し、教授の研究室の卒業生を自社の研究施設に採用するようになる。
最先端の実験装置などを備えた中央研究所も欧州や米国で相次いで設立される。20世紀半ばにかけてはデュポンの研究所がナイロン、AT&Tの研究所がトランジスタという歴史に残る技術を発明する。実用化され、企業に莫大な利益をもたらしたことで企業の研究機能の内製化はより強固になる。
だが、誤解してはいけない。決して内製化という手法が優れていたわけではない。「安かった」のだ。
1930年代末に「取引コスト」という概念が経済学では使われ始めていた。内製化を取引コストの概念に当てはめれば、単純に市場で調達するよりも自社で開発した方が割安だったに過ぎない。当時はインターネットもなく、法制度も整っていない。提携相手を探して、交渉し、契約を結び、契約が守られているか点検するには、莫大な時間と手間と金がかかった。
それから半世紀以上経ち、オープンイノベーションが叫ばれ始めたのは、外部環境が整った側面が大きい。必要な技術や知識を外部に求めてもコストはごくわずかで済むようにインフラが整った。かつて、技術を囲い込むのが合理的だったように、今は技術を市場での取引対象と認識する方が合理的なだけなのだ。それに気づかずに「自前主義を貫く」と説くのは自社の時計の針が100年前から動いていないことを公言しているに等しい。
もちろん、外部に全てを求めれば、それはそれでコストが割高になる。冒頭の話に戻せば、常に夕飯が外食ばかりではコスト高になる。食事は栄養、味のバランスはもちろん、コストも重要だろう。
オープンイノベーションも同じだ。なぜ、オープンイノベーションをするのか。形にこだわりすぎて目的を忘れてしまっては本末転倒になってしまう。バランスを考慮し、活用することが重要だ。

