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武田信玄の水害対策

社会の課題を素早く読み解くヒント集 3min column 武田信玄の水害対策社会の課題を素早く読み解くヒント集 3min column 武田信玄の水害対策

水大国。日本は水環境に恵まれている。家庭では気兼ねなくお風呂に浸かることができ、水道水も美味しい。
そんな日本は水害大国でもある。現代において「水害」というと、まず台風をあげる方は多いのではないか。年々、台風の被害が甚大になっている。台風が発生する赤道付近の海水温が地球温暖化により上昇し、急速に威力が増しているからだ。

9月に発生した台風15号による甚大な被害は記憶に新しい。静岡県では観測史上最多の雨量を記録。河川の越水による浸水被害や土砂災害が相次いだ。豊かな水環境は人々に恩恵を与えるとともに、悪影響も及ぼす。

時は遡り戦国時代。戦国武将たちもまた、水害に頭を悩ませていた。
明智光秀が平定した丹波の地は、由良川の氾濫により度々洪水が起きた。光秀は、濁流の衝撃を和らげる藪を設けた約500メートルの堤を築くなど、治水事業に精を出した。しかし、その甲斐も虚しく、今日も由良川氾濫の被害は続いている。

一方で、武田信玄は治水事業に成功した武将と言えよう。信玄は約20年もの年月と膨大な費用をかけて「信玄堤」を築いた。扇状地を流れる御勅使川(みだいがわ)が大雨により氾濫し、その度に住民を苦しめていた。信玄は住民のため、そして国の繁栄のために治水事業に精を出した。御勅使川の流れを真っ直ぐに固定し、堅固な岩などで勢いを止めた。その水流を二分しさらに水勢を弱めてから主流に流し込む。知恵と技術を総動員した。信玄は、無理な人工物によって自然に対抗するのではなく、自然と技術を掛け合わせて水害対策をした。「信玄堤」は今もなお、治水の役割を果たし、住民の命を守っている。

戦国時代が終わり400年以上経った現在も、引き続き日本は水害に悩まされている。特に昨今は気候変動による台風や暴雨によって、洪水や河川の氾濫が相次いでいる。そして決壊するのは河川だけではない。

農業用水を確保するために作られた「ため池」の崩壊が、近隣住民に著しい被害を及ぼしている。ため池は、雨が降らない地域や大きな河川が近くにない地域に多くみられる。農業従事者が管理することが多いが、農家の減少や高齢化により管理不十分になりやすい。水の供給のために山の上にあることが多いため暴雨で決壊しても気づきにくく、知らぬ間に住居が浸水してしまう。人的被害を与える可能性があるため池は、全国に5万5千カ所以上あると言われている。

ため池の決壊は、河川の氾濫に匹敵するほど危険な水害だ。そしてため池による水害を防ぐのは、戦国武将の頭脳ではなく技術の力だ。信玄堤のように、先人たちが築いた水害対策は今日を生きる私たちの命を守っている。そしてまた、現代の技術が未来の命を救っているのだ。

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