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人類はどこまで天気をコントロールできるのか

社会の課題を素早く読み解くヒント集 3min column 人類はどこまで天気をコントロールできるのか社会の課題を素早く読み解くヒント集 3min column 人類はどこまで天気をコントロールできるのか

雨が続くと頭痛がひどくなるので外に出たくなくなる。そんな人も少なくないのではないか。天気によって気分や体調が変わり、行動まで左右してしまう。「そんな大げさな」と思われるかもしれないが、人の行動どころか歴史すら天候が変えてしまってきたのが人類の歩みだ。

社会の授業で歴史は誰もが習っただろうが、歴史の裏側に天候が関係していることは多くの人は習わなかっただろう。

例えば、ナポレオンがワーテルローの戦いで大敗したのは戦略の誤りではなく、エルニーニョ現象によるものだとの推論もある。日本でも気候が温暖化することによって、奈良時代の西日本では洪水・干ばつが相次ぎ、疫病も流行した。平城京を遷都した長岡京が廃絶されたのも、原因は大洪水だ。

文明の衰亡にも深くかかわっている。人類史における民族大移動はすべて寒冷期に引き起こされている。ゲルマン、モンゴル民族の移動がわかりやすい例で、大航海時代も民族移動と考えることができる。これはたまたまではない。寒冷化によって食糧の生産能力が低下するからだ。新たな生産地を求めて移動し、移動先の文明は壊されてきた。

現代と異なり、数十年や数年先の気候予測はもちろん、明日や今日の天気さえわからなかった時代が長く続いた。それだけ人々は天候に翻弄され続けた。

ちなみに、日本で初めての天気予報は1883年3月1日(明治16年)にさかのぼる。天気図の印刷と配布が始まった。1884年6月1日(明治17年)には観測や理論に基づく予報が始まる。観測地点22か所、等圧線は3本のみ(現在では降雨量を観測する無人観測所だけで1300)。気象庁の前身である東京気象台が「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」という一文を発表する。予報はその一文しかなかった。

気象観測の歴史をさかのぼると、16~17世紀のイタリアでガリレオ・ガリレイが温度計を、エバンジェリスタ・トリチェリが水銀気圧計を発明したのが科学的な観測の始まりだとされる。トリチェリはガリレオの弟子で晩年に失明したガリレオの秘書もしていた。
もちろん、それ以前も、狩猟や農耕が始まった頃から、明日の天気がどうなるかは大切な問題だったに違いない。その頃は、空や風、生物の変化などから天気を予想する「経験則」が頼りだった。

ガリレオの時代から約400年を経て、天気予報は進歩を遂げた。わずか半世紀前にはコンピューターの能力の低さから、24時間後の予報でさえ、使いものにならなかったが、予報精度は高くなっている。コンピューターの演算処理能力が、当時とは比べものにならないほど上がり、膨大な計算量が短時間で可能になったからだ。

とはいえ、天候の予測ができ、私たちは雨や暑さ寒さに備えられるようになったが、天候をどうにかできるものではない。できるならば、冬はもう少し暖かく、夏はもう少し涼しく、せめて出勤、通学時や気分が落ち込んでいる時は「晴れてほしい」と願っているが、それはこれからも人類の解決できない悩みであり続けるであろう。一方で、人類は自然をコントロールできなくても、天候に関わらず、「本物の青空」を再現するような工夫も始めている。

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