ついに打ち上げ。日本技術の集大成が宇宙の常識を変える

未知の宇宙を探索する職業として、憧れられる宇宙飛行士。だが、味気ない宇宙食しか食べられず入浴もできないなど、制約の多い生活を強いられる印象もあるのではないか。ところが近年、国際宇宙ステーション(ISS)での生活の質は、大きく向上しているという。
その背景にあるのが、水や食料、実験装置をISSに届ける「補給船」の進歩だ。その補給船の新型が「HTV-X」。日本のものづくり企業の知見を結集して開発され、2025年10月26日(日)に打ち上げられた。
HTV-Xの何が革新的なのか。補給船の進化により、宇宙での暮らしはどう変わったか。宇宙飛行士の野口聡一氏と、HTV-X開発に参画したJAXA、三菱重工、三菱電機の3社と共に、宇宙開発の進化と未来を考える。
INDEX
- 宇宙の余暇、実は地球と変わらない
- なぜ宇宙で新鮮な野菜を食べられるのか
- 日本製品は圧倒的に「静か」だ
- 「運ぶだけ」では終わらない
宇宙の余暇、実は地球と変わらない
宇宙空間の開拓や研究という重大な責任を背負い、ミッション達成に励む宇宙飛行士。
従来は任務遂行が最優先とされ、彼ら自身の生活環境は二の次とされてきた。だが宇宙での長期滞在が主流になった現在では、その前提も見直されている。
最新の宇宙での暮らしについて話してくれたのは、宇宙飛行士の野口聡一氏だ。
2005年から2020年の間に計3回も宇宙に飛び、多岐にわたるミッションを遂行してきた、宇宙飛行士のなかでも稀有な存在だ。
「基本的に、宇宙空間は過酷です。無重力による身体への負担はもちろん、地上から離れた閉ざされた空間で暮らす精神的ストレスも大きい。
特に心理的な負担は、任務遂行の成否や質にも影響しかねません。
実際にJAXAも、宇宙飛行士のストレスを軽減すべく、生活の質を向上させる必要性を10年以上前から唱え、さまざまな手を打ってきました」(野口氏)

では、実際に宇宙でのQOLはどれほど向上しているのか。
ISSは地上約400kmを周回する特異な環境だが、「いまや日常の楽しみ方は地球とほとんど変わらない」と野口氏。
たとえばISSにはWi-Fiが通っており、音楽や映画といったエンタメは、地球と同じ品質とタイミングで楽しめるようになっているという。
ISSに複数回滞在経験がある野口氏は、その進化を肌で感じてきた。
「2005年にISSに滞在したときは、好きなCDを10枚ほど持って行って電池式のCDプレーヤーで聞いていました。
それが10年にはiPodを持ち込めるようになり、20年にはWi-Fiが通ってストリーミングで音楽を楽しめるようになりました。映画も同様です。
20年の宇宙滞在時は、宇宙を舞台としたドラマ『マンダロリアン』シーズン2の放送と重なっていたので、毎週100インチのプロジェクターの前に7人のクルーが集まって、配信を待ち構えていたものです」(野口氏)
エンタメも重要だが、QOLを決める重要な要素は、なんと言っても食だろう。「宇宙食」と聞けば、パサパサと乾燥した味気ない食事を想像するが、それは一昔前の話。

宇宙でコーヒーを嗜む野口氏 (C)合同会社未来圏/JAXA/NASA
現在では、フリーズドライの食品だけでなく、コンビニに売っているようなパウチに入ったレトルト食品もメジャーな宇宙食となり、メニューも豊富。
JAXAの認証を取得した「宇宙日本食」だけでも50品目以上ある。そして驚くことに、新鮮な野菜や果物も食べられるようになっているそうだ。
「そもそも宇宙食は、①常温で保存できる ②一定程度賞味期限が長い ③宇宙で食べられる(無重力の環境で調理、摂取が可能な形状や包装である)という条件を満たしていればいい。意外に幅広いんです。
食品加工技術の高まりにより、パウチタイプのレトルト食品の大部分が宇宙に持ち込めるようになりました。20年の長期宇宙滞在時は郷土料理も食べられたほどです。
「フレッシュ・フード」と呼ばれる生の野菜や果物が宇宙で食べられるのは宇宙飛行士にとって一番の楽しみといえますが、これはISSに迅速かつ定期的に安定して物資を届ける『補給船』のおかげ。
もちろん補給船が到着した後数日のみの贅沢ですけど、本当に嬉しいし活力になりますよね」(野口氏)

宇宙で新鮮な果物を楽しむ様子 (C)合同会社未来圏/JAXA/NASA
なぜ宇宙で新鮮な野菜を食べられるのか
野口氏が語る「補給船」とは、宇宙飛行士の水や食料、実験装置などの物資をISSに運ぶ無人の宇宙船のこと。宇宙飛行士の生活やミッション遂行を支えるのに不可欠な存在だ。
日本は09~20年まで、「HTV(愛称:こうのとり)」と呼ばれる9機の補給船をISSに送り出してきた。
その新型機である「HTV-X」が、24年12月に公開され、今年中に打ち上げ予定だ。
開発においてはJAXA(宇宙航空研究開発機構)が全体を統括し、三菱重工や三菱電機など日本を代表するものづくり企業が実務を担う。

補給船の最新機「HTV-X」は、宇宙でのミッション遂行および宇宙飛行士のQOL向上に、どのように寄与するのだろう。
HTV-Xは、物資を積み込む貨物スペースである「与圧モジュール」と、エンジンや通信、データ処理などを担う「サービスモジュール」の2つの区画から成る。
「与圧モジュール」側の開発を担う三菱重工チームを統括する則武諭氏は、HTV-Xの進化のポイントを、「シンプルに『より多く、より多様なもの』を運べること」と話す。
「補給船は、ISSへ物資を運ぶ『片道ミッション』です。よって一度に何を・どれだけ運べるかが、大きな意味を持ちます。
具体的には、搭載量を旧型の約1.5倍まで増やしました。
貨物スペースへの電源供給を実現したのも大きな進歩です。電気が通ることで、温度・湿度管理や換気が必要な小動物なども運べるようになりました」(則武氏)
補給船の「搭載量が増えた」「積み込める物資の種類が増えた」。我々一般人にとってはどちらも漠然と「すごいこと」だが、実現に至るにはいくつもの困難があった。
たとえば、ロケットが運べる重さには限りがあり、全体の軽量化が打ち上げの成否を左右する。
「積載量を増やしたければ貨物スペースを大きくすればいい、という単純な話ではないんですよ。HTV-Xでは機体全体の構成を抜本的に見直し、重さを緻密に計算した上で、貨物スペースを最大限確保できるよう設計しました」(則武氏)

貨物スペースへの電源供給も「電気を通せばいい」ということだけではない。電気を通す際は、発生した熱を逃がす必要があるが、そのための新たな機構を設けると大幅な設計変更が必要で、多くのコストや時間がかかってしまう。
そこで三菱重工は、従来の設計を保ったまま熱を逃がし、電源を最大限に使える方法を割り出し、実装までこぎつけた。
技術の詳細はさておき、さまざまな制約のある補給船でこれらを実現したことこそが、大きなブレイクスルーなのだ。
一方、三菱電機が開発を担当したのは、HTV-Xの頭脳部「サービスモジュール」だ。ここには、エンジンや通信、データ処理などの機能が集約される。

実は、野口氏ら宇宙飛行士を大いに喜ばせた「新鮮な野菜・果物の輸送」には、サービスモジュールの進化が関わっているという。三菱電機でHTV-Xの開発をリードする佐々木洸氏はこう話す。
「旧型では頭脳部機能が機体全体に分散していたため、貨物スペースとの接続に多くの配線や作業工程が必要で、打ち上げ準備に時間もコストもかかっていました。
HTV-Xでは頭脳部を『サービスモジュール』として集約し、接続部分をシンプルに設計。
結果として、射場での接続作業は大幅に短縮され、限られた打ち上げ準備期間でも、より多くの物資を発射直前まで積み込める柔軟性が生まれたのです」(佐々木氏)

具体的には、旧型では発射の80時間前に物資の搭載を完了する必要があり、食べられる品質で宇宙に野菜や果物を届けるハードルは高かった。
他方、HTV-Xでは24時間前まで物資の搭載が可能に。機体側の変更だけでなく、搭載作業や機体最終作業のオペレーションも抜本的に見直したのだという。
日本製品は圧倒的に「静か」だ
こうしたサービスモジュールにおける機能集約や接続部分の簡素化には、三菱電機が得意とする人工衛星開発のノウハウが大いに活かされている。HTV-Xの進歩は、ものづくり企業のある種の集大成と言える。
それに加えて三菱電機には、実際の宇宙環境を模擬的に再現した実験環境の設備が整えられている。
「宇宙空間は、温度差が激しく修理も許されない過酷な環境。地上でいくら優れた技術を開発できたとしても、宇宙で機能しなければ意味がない。
宇宙で通用する高いレベルのものづくりをするには、限りなく宇宙に近づけた環境下で、あらゆる負荷をかけた検証ができる場が欠かせません」(佐々木氏)

HTV-Xを宇宙空間を模した設備の中で実験する様子
こうした日本企業の緻密かつ妥協のないものづくりは、宇宙飛行士の間でも高く評価されている。野口氏は、宇宙空間での印象的なエピソードを語る。
「ISSには、実験場や居住スペースなど、それぞれに異なる機能を持たせた『モジュール』と呼ばれる区画があり、モジュール内には空調やファン、モーターが設置されています。それらに少しでも緩みやガタがあると、すべて振動や騒音となって出てくる。
ですが、日本製のものはすごく静かなんです。同僚から日本のものづくりを褒められると、誇らしい気持ちになりますね」
「運ぶだけ」では終わらない
補給船は「片道ミッション」と言ったが、実はHTV-Xに新たに追加された重要な機能がある。
それが、ISSに物資を届け終えた後、最長で1.5年、宇宙空間を飛行する機能。その間、HTV-Xをさまざまな実証実験の場として活用できるのだ。
HTV-Xの運用を取りまとめているJAXAの近藤義典氏によれば、すでにいくつもの計画が進んでいるという。
「日本にはさまざまな宇宙関連技術があり、宇宙空間で実証実験をしたいとのニーズは高い。また高性能な補給船をつくったのに一度物資を届けただけで任務完了、ではもったいないという思いもありました。
実際に、宇宙太陽光発電システムの実現に向けたアンテナ展開の実験、スペースデブリの除去技術につながる実験、小型衛星を放出して軌道に乗せる実験など、今後の宇宙開発、ビジネスにつながる実験が計画されています」(近藤氏)

JAXAは、HTV-X開発に関わる企業を中立的な立場で取りまとめ、具体的な設計やフライトルールに落とし込む全体取りまとめの役割も担ってきた。
有人のISSに物資を届ける以上、補給船には高度な安全性が求められる。安全性を担保するための仕様の面では、NASAとも密に連携している。
「NASAと日本企業の間に入り、互いの要求・要望を調整して橋渡しをするのもJAXAの役目です。
いまは、『万が一この部位が故障したらどこで補うか』といった最悪の事態も想定しながら、NASAと日本企業間、そして日本企業同士の最終調整を進めています」(近藤氏)
HTV-X開発は、日本のものづくり企業の叡智の結集というだけでなく、国境を超えた一大プロジェクトなのだ。

HTV-Xは完成を迎え、2025年10月26日(日)に種子島宇宙センターから打ち上げられた。新たな機能によって、今後の宇宙開発の発展を支えていくのは間違いない。
三菱電機の佐々木氏は、さらにその「先」を見ている。
「今後も、宇宙空間での人間の活動は広がっていくでしょう。
たとえばISSのような拠点が宇宙空間に複数設置されたり、月に人が滞在したりする時代が来るかもしれません。民間人の宇宙旅行も、夢物語ではなくなりつつあります。
そんな時代に、宇宙に物資を届ける補給船の役割はさらに広がるでしょう。有人の補給船をつくるとなれば、さらなる進化も求められますね。
宇宙で人が滞在するために欠かせない補給船を発展させることで、地上の人の当たり前を実現できる宇宙のインフラをつくり、人類の発展に貢献できれば」(佐々木氏)
HTV-Xは、次は宇宙に何を届けてくれるのだろう。
(執筆:横山瑠美 デザイン:田中貴美恵 編集:金井明日香)
