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意思決定の裏にある「認知のクセ」「状況」「感情」 ビジネスに活かすためには「まずやる」ことも必要意思決定の裏にある「認知のクセ」「状況」「感情」 ビジネスに活かすためには「まずやる」ことも必要

 イスラエルの2人の心理学者、ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーが確立してから、およそ50年の歴史を重ねた行動経済学。これまで多くの理論が発見され、いろいろな用途で活用されるようになってきた。その一方で、理論の数が膨大になってきたがために、どの場面でどの理論を使用すべきか、悩む向きも少なくない。
 行動経済学を多くの用途で活用しやすいよう体系化に取り組んだのが、行動経済学コンサルタント、Behavioral Science Group, LLCの代表の相良奈美香氏だ。体系化のポイントと、それを元にしてどのように行動経済学を活かすべきなのかについて解説してもらう。

相良奈美香さんの写真

行動経済学コンサルタント、Behavioral Science Group, LLC代表、
GA technologies執行役員(Chief Behavioral Officer)

相良 奈美香(さがら なみか)

2002年、オレゴン大学卒業後、同大大学院心理学「行動経済学専門」修士課程、同大ビジネススクール「行動経済学専門」博士課程修了。デューク大学ビジネススクールのポスドクを経て、行動経済学コンサルティング会社である「サガラ・コンサルティング合同会社」を設立、代表に就任。2016年に世界大手のマーケティングリサーチ会社の行動科学センター創設者兼代表に就任。現在は、ビヘイビオラルサイエンスグループ合同会社代表を務めながら、行動経済学を中心とした行動科学に基づくコンサルティングを世界中に展開。2024年、GA technologiesに参画。

どうして行動経済学が最強の学問なのか

――著書のタイトルにもありますが、「行動経済学が最強の学問である」と思われる理由を教えてください。

 行動経済学は「人の意思決定を理解する学問」です。マーケティングはもちろんのこと、アプリやプロダクトの開発、コミュニケーションなど、人がかかわるすべてのことに応用できます。これが、私が最強の学問だと思う理由です。

 著書では、行動経済学を体系化することに挑戦しました。例えば経営学なら、経営戦略、マーケティング、会計などに分かれるように、おおよその学問は体系化がされています。ただ行動経済学は歴史が浅いため、体系化されていませんでした。ダニエル・カーネマンが1979年に打ち出した「プロスペクト理論」(※1)は、今日に至るまで行動経済学の核を成す理論です。それから約半世紀の間に、やはりカーネマンが提唱した「システム1 vs システム2」(※2)や、「アンカリング効果」(※3)など、さまざまな理論が生まれました。今では約500以上の理論があるといわれています。

(※1)不確実な状況下において意思決定を行う際には、事実と異なる認識のゆがみが作用するという、一見不合理とも思える人間の意思決定を説明するための理論。例えば、損失回避的な選択肢を過大に評価する傾向があるなど、最終決定に至るまでの価値は心理でゆがむとする考え方。
(※2)人間の脳は情報を判断する際、直感的、瞬間的に判断する「システム1」と、注意深く考え、分析する「システム2」を使い分けているとする考え方。
(※3)最初に提示された情報や数値などが基準になり、その後に続くものに対する判断が非合理的になるという考え方。最初の情報や数値が、海に錨(アンカー)をおろした船のようであることから名づけられた。

 これらの理論のどれをどのシーンで使えば良いのか分からない、多すぎて覚えられないという声をビジネスの現場で聞くようになりました。また、プロダクト開発、マーケティングなど1つのエリアに特化して行動経済学を応用するのなら個々の理論で対応することも可能ですが、総合的なアプローチを必要とするクライアントもいる。そこで、体系化に取り組んだのです。

「認知のクセ」「状況」「感情」が意思決定の要因

――体系化のポイントについて教えてください。

 人が合理的でない判断をしてしまうメカニズムには、「認知のクセ」「状況」「感情」という3つの要因があります。

 まずは「認知のクセ」。すなわち「脳の情報の処理の仕方」です。仮に人間の脳が、情報を素直に受け止めるのであれば、人は合理的な行動を取るはずです。ところが、情報を脳で素直に解釈できないのが人。ついつい歪んでしまうのが人間で、その結果、情報を歪めて処理してしまい、非合理な意思決定をしてしまいます。

 次に「状況」。人は「自分で考え、自分で意思決定していると思いたい生き物」です。朝食に何を食べるかから始まって、自分がどの服を着るか、年末年始をどう過ごすかなどに至るまで、「自分で決めた」と思いたい。ただ実際には、人間の意思判断は、「状況」という「脳の外」の要因に強く影響を受けます。

 3つ目は「感情」。感情というと私たちは「喜怒哀楽」のように激しい感情を思い浮かべます。もちろんそれも意思決定に影響を及ぼしますが、感情には「淡い感情」というものがある。日常の些細なことでちょっとテンションが上がるような淡い感情のことをアフェクト(affect)といいますが、このちょっとしたアフェクトが、意思決定に影響を及ぼします。行動経済学を考えるうえでは、アフェクトという淡い感情にも注意が必要です。

人が非合理な意思決定をする要因を3つに分類。そのうえで、これまでの多くの理論がどこに分類されるかを整理した(相良奈美香『行動経済学が最強の学問である』から引用)。

 このように、人がついつい「非合理な意思決定」をしてしまうメカニズムには3つの要因があり、これまでの理論も3つに分類できます。こうすることで、これまで混沌としていた各理論が整理・体系化でき、行動経済学の本質を導き出せたと考えています。

選択肢が多くても選ばせないネットフリックス

――行動経済学が活かされている具体的な例について教えてください。

 私が凄いと思うのは、ネットフリックスなどが導入している自動再生です。1つの動画を見終わると、次の動画が自動で再生されるシステムです。これには、「人は今やっていることをやり続けたいと思う生き物」、言い換えると変化を嫌う生き物だという、「現状維持バイアス」(※4)理論を導入しています。ネットフリックスでドラマを観ると、第1話の後に自動で第2話が再生されるので、ついついそのまま見てしまいますよね。「延々と観るのが当たり前」にするために、行動経済学でいうところの「デフォルト効果」(※5)の理論を駆使している。人間のレイジーな部分を狙ったビジネスにおける活用法です。

(※4)未知のものや変化を受け入れられず、今のままでありたいと望む心理傾向を意味する。現状維持バイアスを含め、先入観や経験則、直感などに頼って非合理的な判断をしてしまう心理傾向をまとめて「認知バイアス」と呼ぶ。
(※5)予め設定されている値などを変更することなく、提示されたデフォルトの値のまま受け入れてしまう心理傾向を意味する。

 ネットフリックスのトップ画面は、かつては多くのコンテンツを詰め込んでいる印象でしたが、今では視聴履歴を元にしておすすめの作品を再生するのがメインのシンプルな構成です。伝統的な経済学では、「人間は合理的な行動をする生き物、選択肢は多ければ多いほどいい」と考えるので、当初はそれに則ったのでしょう。ただ、選択肢が多すぎて選べず、結局は観ないで消すという状況が起きたのです。

 そこで行動経済学を取り入れ、どういう状況の時にネットフリックスを観ようとするのかを考えた。それは、暇な時や疲れている時、まったりしたい時。そのような時に、「システム2」を稼働して、多くの選択肢の中から、熟考して選びたいでしょうか。それは苦痛でしかありません。「システム1」で判断して、短い時間で楽にエンターテインメントの世界に没入したいはず。先ほどの三つの要因でいえば、ネットフリックスを利用する「状況」や「感情」を鑑み、そして「認知のクセ」をあえて有効活用するよう、「現状維持バイアス」や「デフォルト効果」に基づいて構成し直して、今の人気につなげたのだと思います。

 このような工夫は大企業に限ったことではありません。日本のある焼肉屋さんでのこと。私はワイン党なのですが、たいていの場合、ワインリストは1番お手軽な値段のものから順に書いてあります。ところがそのお店は、高い方から書いてあったのです。すると、普段だったら2~3万円のワインなんて「高い」と思って絶対に手を出さないのに、最初に何十万円という値段を見たせいか、「あれ、お手軽だな」と感じて3万円のワインを注文してしまった。これは間違いなく、「アンカリング効果」を使ったものだと思います。

大企業で改革を起こすための工夫

――大企業は現状維持バイアスがより強く働くなど、会社の規模によって行動経済学の作用に違いはあるのでしょうか。

相良奈美香さんインタビュー中の写真

 意思決定をする際、やはり大きい会社ほど、「現状維持バイアス」や「損失回避性」(※6)が働きやすくなります。では、大きな企業で何か変革を起こしたいと思った場合どうすればいいのでしょうか。

(※6)利益よりも損失を大きく感じる心理傾向を意味しており、プロスペクト理論の基盤となる概念。

 どの意思決定にもメリットとデメリットがありますが、人はデメリットに特に注目します。だから、「この意思決定をすることによって何を失うか」と考えがち。大企業になるほど「損失回避性」が大人数で共有されて増幅し、「怖い」となる。すると、さまざまな感情が出てきて脳が情報を歪めて処理してしまい、ますます「現状維持バイアス」が働くということになります。

 意思決定をポジティブに進めるためには、このデメリットに注意が行きがちな性質を上手に利用することです。紙に押印から電子署名への移行を例に考えて見ましょう。皆さんまず注意が行くのは、「電子署名に変えることによるデメリット」です。どこのフォルダーに入っているのかが分からなくなる、パッと一目で見ることができないなどデメリットを見るのです。であれば逆に「電子署名に変えないことによるデメリット」を考えるようにする。そうすると、紛失してしまう可能性がある、回覧するのに人手を要する、誰のところで承認が滞っているのかわからない、紙代や印刷代などがかかるなど、よっぽどデメリットが多いことが分かり、意思決定が進みます。これは同一の内容であっても何を強調するかによって受け手の意思決定が変わるという「フレーミング効果」(※7)理論を活用しているともいえます。

(※7)同一の内容であっても何を強調するかによって、意思決定が変わるという心理傾向で、認知バイアスの1つ。

感情が出てくる前にやってみるのが重要

――業務の改善などに行動経済学を活かそうと考えた際、どのように進めたらよいのでしょう。

 「感情が出てくる前に、とりあえずやってみる」、これが重要です。いろいろ考えてしまうと、デメリットに目が行って感情が出てきてしまい、行動するのが難しくなります。まずはやると決めて、次に「どうやるか」を考えるのかがいいでしょう。

 また、相手に何かをしてもらいたい場合、やることはデフォルトにしながら、相手には「自分が決めた」と思わせることが肝要です。例えば、親が子どもに皿洗いをしてほしい場合に、「食事の後に皿洗いをお願い」という頼み方だと、子供にしてみれば自分の意思がないので、反発する可能性もある。そうではなく、「皿洗いはスポンジでする? それとも水で流してから食洗機に入れる?」と頼むことで、皿洗いはデフォルトになりつつ、選択肢を提示することにより、子供は「命令ではなく、自身の意思決定なのだ」とポジティブに行動できるようになります。

 「あえて行動経済学と意識せずにやる」のもポイントでしょう。「新しいもの・見慣れないもの=リスク」と捉えるのは世界共通だと思いますが、とりわけ日本人にその傾向が大きい。新しい行動経済学というもので業務を変えようといっても、ちょっと待ってとなりがちです。行動経済学などとは言わずにまずはやってみて、後で種明かしをするというのも有効だと思います。

システム1を発動できる状況を揃える

――変革を考える際、認知のクセ、感情、状況という意思決定を決める3つの要因を切り口にすると解決策が見つけやすくなるということはありますか。

 問題の原因を突き詰めていくと、3つの要因に影響された意思決定に起因するものだった、ということはよくあります。例えばECサイトで「なんで買ってしまったのだろう」と後悔することがありますよね。行動経済学の知識があれば、疲れていたり悲しかったりして、それを紛らわせるための買い物だったというように、「感情」に起因する意思決定だったことが分かる。そこから、どのような「状況」や「感情」の時に不合理な行動に出やすいかを洗い出し、お腹が空いたときに下す意思決定にはこういう傾向があるという「認知のクセ」をつかむなど、対処法、解決法が打ち出せます。

 ただ人間も、行動経済学もパーフェクトではありません。私自身、行動経済学をずっと勉強していても、意思決定にバイアスはかかります。というのも、意思決定のあらゆる局面で「システム2」を稼働できるのが理想ですが、「システム2」を使えるリソースは限られています。だから「システム1」で判断する局面が多くなり、時には後悔することにもなります。

 では、どうすればよいのか。それは「システム1」で意思決定しても、最善の結果が得られるようにすることです。例えば、「朝は緑茶で始める」と決めてしまえば、朝起きて最初に飲む飲み物は「システム2」を使って、「緑茶かな、コーヒーかな、それとも寒いから簡易スープかな」と悩まずとも、「システム1」でスパッとヘルシーな緑茶を選べる。夕食も週末に食材を買いだめしておけば、コンビニなどに寄って高カロリーのお弁当やスイーツを前に、「システム2」で悩む必要もなくなる。このように、目的を達成するためにルーティンを作っておくと、「システム1」で最善の方結果を得られる、すなわち頭を使わなくても意思決定の質を上げることにつながります。

ビジネスへの応用が加速していく

――行動経済学は今後、どのように発展していくと思われますか。

 日本は長らく、「行動経済学は聞いたことがない」という人が大半でした。それが最近は、「行動経済学って面白そう」「本を読んだことがある」と変わってきました。とはいえ、面白がっているところで止まっているのが現状です。次のステップは応用で、行動経済学をビジネスに取り入れるというケースが、どんどん増えていくと思います。

 また、米国だとさまざまなアプリを見ても、「選択アーキテクチャ」(※8)や、「情報オーバーロード」(※9)など、行動経済学の理論を考慮した、本当に使いやすいものが多くなってきました。これに対して日本は、例えばビューティ系のアプリにしても、「多いほどお客様が喜ぶ」と信じて疑わないのか、情報やクーポンをぎっしりと詰め込んでいて、使い勝手の悪いものが多い。行動経済学の知見が生かされていないのが一目瞭然です。

(※8)選択者の自由意思にほとんど影響を与えることなく、選択者にあった判断へと導くための環境設計を意味する。
(※9)多くの情報を目にしすぎた結果、重要な情報が理解できずに、適切な意思決定ができなくなってしまう現象。

相良奈美香さんインタビュー中の写真

 先ほどもお話ししたように、意思決定はできるだけ「システム1」で最適にしたいもの。今後、情報は加速度的に増えていくので、自社製品やサービスに注目してもらうのはますます難しくなります。そうした中で、消費者の注意を引くための手段として、行動経済学に対する注目が一気に高まり、拡大する段階に来ています。アプリも変わり、店舗も変わり、お客さまとのコミュニケーションも変わってくるでしょう。なによりも、選択肢が多すぎる「情報オーバーロード」がなくなっていく。行動経済学が浸透することで、様々な局面から煩雑な手続きが解消され、日本はとても「楽な国」になると期待しています。

(写真:吉成大輔)
※本記事内の製品やサービス、所属などの情報は取材時(2024年12月)時点のものです。

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