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同盟国でさえ伴う対外リスクにも慌てない力を養う 朝鮮半島情勢は小さい火種も見逃さない同盟国でさえ伴う対外リスクにも慌てない力を養う 朝鮮半島情勢は小さい火種も見逃さない

 米中冷戦、ウクライナ戦争、イスラエルとパレスチナ、台湾有事――世界情勢はかつてないほどに不安定な状況にある。そんな中でグローバル経済を読み解くためのキーワードであるのが「経済安全保障」だ。日本においては、世界に先駆ける形で2年前に「経済安全保障推進法」が成立し、自律性の向上や技術等に関する優位性の確保などを目指そうとしている。経済安全保障は今後、あらゆるビジネスパーソンが業務を進めるうえで意識せざるを得なくなってくる。一方で、経済安全保障の意義やポイントなどがなかなかつかみきれないのも現実だ。
 今回、経済安全保障の日本における第一人者である東京大学公共政策大学院 教授の鈴木一人氏と、経済安全保障を専門とする部署をいち早く立ち上げた三菱電機において執行役員 経済安全保障統括室長を務める伊藤隆氏の対談を実施。経済安全保障が重視されている背景や企業としてどのように対峙していくかなどについて議論を交わしてもらった。その内容を、前編と後編の2回に分けてお届けするその前編。

鈴木一人さんの写真

東京大学公共政策大学院 教授、
公益財団法人国際文化会館 地経学研究所長

鈴木 一人(すずき かずと)

2000年英国サセックス大学大学院ヨ-ロッパ研究所現代ヨーロッパ研究専攻博士課程修了。00~08年筑波大学大学院人文社会科学研究科で専任講師・准教授、08~20年北海道大学公共政策大学院で准教授・教授。12~13年プリンストン大学国際地域研究所客員研究員。13~15年国連安保理イラン制裁専門家パネル委員。20年から東京大学公共政策大学院教授、22年から地経学研究所長(ともに現職)。内閣府宇宙政策委員会委員(宇宙安全保障部会長)、日本安全保障貿易学会会長、国際宇宙アカデミー正会員、日本国際問題研究所客員研究員なども兼任。

伊藤隆さんの写真

三菱電機 執行役員 経済安全保障統括室長

伊藤 隆(いとう たかし)

慶應義塾大学法学部卒。1986年三菱電機入社。半導体事業で実務経験を積んだ他、業界再編、M&A、国際カルテル訴訟、通商摩擦等に従事。95~97年社団法人日本経済団体連合会(経団連)に派遣され、主に欧州政財界と日本財界の相互理解の醸成に努める。2020年、民間企業では初となる経済安全保障専門部署を立上げ、当該分野にかかわるリスクマネジメントプロセスを確立。メディア出演やシンポジウムへの登壇を通じて、経験を国内外に広く発信しつつ、民間における経済安全保障活動の質的向上を目指している。

他国からの経済的な圧力に備えることが経済安保の基本

――そもそも経済安全保障の定義とは何でしょうか?

鈴木一人さんインタビュー中の写真

鈴木:安全保障という言葉がつく限り、「何らかの脅威に対して対応すること」を意味していると思います。それが軍事的な手段なのか経済的な手段なのかという違いであって、軍事的な手段であれば軍備を整えるという形で敵に対する抑止を効かせることになります。これに対して、他国による経済的な圧力や威圧に対して、いかにして備え、対抗する能力を用意するかということが、経済安全保障の基本だと、私は理解しています。例えば、ある特定の国に依存せずにサプライチェーンを多元化していくのも経済安全保障のための手段ですし、自らの経済を強くし競争力を高め、戦略的な不可欠性を高めることで相手が威圧をかけにくくするのも、経済安全保障の手段として考えられます。

伊藤:経済安全保障の定義は、まさにその通りだと思います。一方で、国の行う経済安全保障、すなわち新聞などで伝えられている経済安全保障と、企業が実際の業務として行う経済安全保障が異なるという点が、企業の現場に多少の混乱を招いています。つまり、「特定の国や地域に高い依存をしないで済むようなサプライチェーンを構築して戦略的自立性を保ちましょう」という言い方をして訴えかけても、ビジネスの場ではなかなか通じません。それよりも、「自分たちの仕事を持続可能なものにするためにサプライチェーンを強靱化していく。そのために、どこかの国や地域に高く依存しているものは、複線化や代替化していきましょう」と提示する。すなわち「リスクマネジメントの一環」として説いていくのが、企業の人間にとっては分かりやすいのではないかと感じています。

鈴木:極めて重要なポイントですね。軍事の安全保障はそもそも国がやることです。企業は、防衛調達や技術開発など、さまざまな形でかかわりはしますが、実際のアクションは国や政府、その機関として存在する自衛隊なり軍隊なりがやる。これに対して、経済安全保障というのは、国だけで完結できることではなく、企業と一緒になって進めていかなければならないというのが難しいところです。

 事業を進めるうえで最適な選択をしようとするのが企業ですが、それが国としての最適な選択と必ずしも一致しない場合もある。例えば、サプライチェーンの複線化を進めるといっても、そこから買うとすごく高い、では国がどうサポートするのか、というようなことですね。日本全体の戦略として考えた時に、通常なら取らないであろう選択を企業が取ることに対して、どのようにインセンティブをつけていくかということが論点になると思っています。

伊藤:国と企業が協力していくことの大切さは最近、本当によくいわれるようになっています。サプライチェーンの問題にしても、国がすべてを把握しているわけではないですし、企業にしても、自分たちの調達先ですら1次、2次より先になると分からなくなっていく。国も企業もすべてを知っているわけではないので、補完し合うことが必要になります。お金をかければ代替調達ができるのか、お金をかけてもできないのかということをしっかりと見定めていくことも大事です。

激しくなる米中対立、その背景には先端技術

――日本は2022年5月、世界に先駆ける形で「経済安全保障推進法」を成立しました。経済安全保障を大変重視していますが、その背景には何があるのでしょうか?

鈴木:国際政治の観点では、国際社会の中で今、1つの基軸になっている米中対立を挙げることができます。覇権国として非常に強い力を持っていて技術的にも経済的にもリードしてきた米国に、中国が極めて速いスピードで追いつき、さらに先を行くような研究開発も行っている。米国の覇権に対する挑戦国という立ち位置になってきている中国の影響力を、米国のみならず西側諸国が強く警戒しています。

 一方で、経済の相互依存が進んで当たり前になっていた「政治が経済に介入しないグローバル化の仕組み」が崩れてきました。米中対立が激しくなる中で、例えば輸出規制をかけて相手が自分たちに依存しているものを止めてしまい非常に大きな経済的ダメージを与え、政治的な影響力を勝ち取ることが顕著になってきたからです。その結果、経済安全保障が重要になってきたという側面があります。典型的な例は2010年に中国が日本に対して行ったレアアースの輸出停止です。尖閣諸島をめぐる問題で、中国が圧力をかけてきた事例ですが、中国はその後、日本以外の国にも同様の経済的威圧を仕掛けてきました。このように最適な場所で最適な生産をして最適なところに売るという経済的相互依存やグローバル化を前提としたビジネスモデルを、自由に行える状況でなくなってきていることが、経済安全保障が重視される背景にはあります。

――企業においても、経済安全保障の位置づけはますます重要になっているのでしょうか。

伊藤:今の地政学や覇権の問題は、米国が4年あるいは8年に1回、政策や国際社会との関わり方を変えてきた中で起きたゆがみが、さまざまな形で紛争に発展してきた部分もあると思います。その一方で、清朝の時代に失ったものをもう一度取り戻し、中華人民共和国建国100周年の2049年までに米国を追い越し「中華民族の偉大なる復興」を通して「中国の夢」を実現するんだという中国の思いがぶつかって、軍事力や経済力でコンフリクトが発生していると理解しています。

 ただ、企業の立場からしてみると、対立の背景にあるのは技術だと思うのです。経済発展を支えたり、軍事応用ができたりと、技術はさまざまな方面の力に応用できることに米中双方が気付いた。これが、国際協調が必要だったはずのワッセナーアレンジメント(通常兵器の輸出管理に関する協定)をある意味踏み越える形で、米国が第三国経由であっても自分たちの技術を中国に渡さないという自国独自の規制を入れてきた2018~19年にかけての動きになった。確かに2010年の問題はあるのですが、経済安全保障という意味で大きな動きがあったのは、この2018~19年だったと感じています。

鈴木:2018年の輸出管理改革法(ECRA)と2019年の外国投資リスク審査現代化法(FIRRMA)という米国による投資規制のことですね。いずれも、中国に対する非常に強い懸念や、自らが優位性を持っている先端技術の輸出管理を強化するということで定めたもので、その意味で経済安全保障の考え方は、確かに米中の覇権競争の中で出てきたものではあります。

 さらにもう1つ忘れてならないのは、やはりコロナだったと思います。ロックダウンで人が外に出ることができず、物流や半導体の生産が止まるという中で、日本でも給湯器が手に入らない、自動車が1年以上納車されないというようなことが起き、経済活動は大きく混乱し停滞しました。この経験によって、仮に輸出管理などで供給が止まったり、サプライチェーンに攻撃があったりということがあれば、コロナと同じような状況が起こり得るんだというイメージや実感が人々の間に生まれた。このことが、経済安全保障を強く意識させ、前に進めなければならないという話が出てきたのです。

伊藤:リスクが顕在化してきて、企業にとって対処しなければならないことが明確に見えてきた、というのが最近の大きな動きですよね。

同盟国にも及ぶ規制等の影響、あらかじめの準備が重要

――米国や中国は覇権を争うために、具体的に何をしているのでしょうか? その動きは、日本やその他の国にどのような動きをもたらしているのでしょうか?

鈴木一人さんと伊藤隆さんインタビュー中の写真

鈴木:米国と中国の覇権争いには、いくつかの側面があると思います。1つはかつての冷戦時代のようなグループ化、陣営化です。西側諸国をまとめるためのG7、米国が主導する新たな経済圏構想「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」のような、「ミニラテラル」といわれる少数国で構成する協力枠組みです。中国サイドも上海協力機構やBRICS、さらには「一帯一路」のような形で、経済的なつながりを築き仲間作りをしています。

 ただ、かつてと大きく違うのは、両陣営の間を行ったり来たりするような国もあれば、例えばインドのように非常に多面的な外交をしてみたり、トルコのように米国の同盟国であり北大西洋条約機構(NATO)の加盟国であるにもかかわらずロシアとも関係があったりと、きっちり白黒分かれない、どちらの陣営に入るのかはっきりしないような、あいまいさの残る関係を持つ国があるということです。

 また、米中の経済的関係についても違いがあります。かつての米ソ冷戦時代では経済関係はゼロではなかったけれども非常に細いものだったのに対して、現在の米中経済関係は極めて太くなっている。日本と中国の関係も太いですし、陣営間の経済的なネットワークも極めて濃密です。このように、陣営間の関係が濃密で極めて強いがために、相互に依存している状態を相手に対して攻撃的に使うことも可能になっているのです。

 ただ一方で、米国は自国の利益をどう守るかが重要になってきている。2017年に就任したトランプ前大統領はアメリカファーストを主張し、自国の産業を守るために鉄鋼・アルミに関税をかけたし、その後のバイデン政権でもインフレ削減法(IRA)によって、自国で作った電気自動車(EV)、バッテリーであれば税制優遇するけれども、輸入してきたものは、日本を含む同盟国のものでもダメだとしました。さらには、2024年11月の大統領選挙を多分に意識したものではあると思いますが、日本製鉄によるUSスチール買収についても、たとえ同盟国の企業でも、安全保障上の懸念がないかを審査する対米外国投資委員会(CFIUS)の調査の結果、買収を拒否しうるとして、本来であれば敵国が買収で技術を盗まないようにするのと同様の措置を取る。冷戦の間も日米貿易摩擦はありましたが、同盟そのものを毀損することなく問題を解決するということがなされました。それが今、米国は内向きの側面が強く出ていて、必ずしも陣営作りを優先しているわけではないと感じます。

伊藤:サプライチェーンの問題のように、重要鉱物やエネルギーをいかにしてシェアリング、ショアリングしていこうかという話であれば、同盟関係を結ぶということが非常に大事になってくると思います。ただ、戦略的な自立性を保ちましょうという話が過度な産業政策に振り向いているケースがあって、例えば米国のCHIPS・科学法は、米国で補助金を受けて投資をすると、その企業は中国で10年間投資してはならないと定めている。もちろん企業の選択の問題ではあるのですが、企業の独自性や経営判断の自由度を損なってしまう可能性があると感じています。

 また、米中間での正面きっての規制の出しあいは、主に米国側が仕掛けているように思います。例えば2022年10月に米国は、先端半導体の生産を中国でしにくいように製造装置の出荷を止める規制を取り、オランダや日本も同様の規制を23年にかけて導入しました。これに対して中国は、どこかの国を標的にした規制ではないといってはいますが、同じ時期にガリウムやゲルマニウムの輸出管理を強化しました。これは米国の産業に対してより、日本の産業に大きな影響がある措置でした。この部屋の照明に使われているLEDランプにもガリウムが使われているわけで、こういったものが作れなくなってしまうという心配が出てくるわけです。ところが日本は鈍感なところがあって、カードを切られたのに、他人事になってしまっていた部分がある。そう思わせる中国のやり方は巧みだともいえるのですが、政府も含めてきちんと対処するよう変わっていく必要があると思います。

鈴木:なぜ日本は鈍感なのでしょう。ガリウム・ゲルマニウムが輸出規制されれば当然、それを使ってものを作る企業は困ったという声を上げるものだと思うのです。

伊藤:中国が具体的に規制したガリウム、ゲルマニウム、グラファイトを使っている企業は声を上げていると思いますし、三菱電機もゲルマニウムを使って加工機を作っていて、そのお客様には中国も含まれているのです。いずれにせよ、ある程度の在庫は持っていたのでしばらく大きな問題にはならないと思っていますが、ガリウム、ゲルマニウム、グラファイトで中国が非常に高いシェアを持っていることについては、あらかじめ察知しておくべきでしたし、何らかの形で輸出管理が強化された時に、どの産業にどのような影響が出るのかということを前もって検証しておく必要があった。日本企業は、起きてしまったことに対する対処は実に速いのですが、起きる前、すなわちある種のインテリジェンスの部分に弱みがあると感じることが多いですね。

「もしトラ」ではバラ色の世界は描きにくい

――米国では、この11月に大統領選が行われます。もしトランプ氏(共和党)が大統領に返り咲いた場合、経済安全保障という観点から、どのような事態が想定できますか?

鈴木:トランプ氏は第1期において、経済に対してはこれまでの常識では考えにくいようなことをしてきましたし、第2期に向けて展開している現在の選挙キャンペーンを見ても、例えば中国に対して60パーセント、その他の国には一律10パーセントの関税をかける、といったことを、起こる波風の大きさを考えずに平気でいってしまう。さすがにそれは無理だろうとは思うが、トランプ氏なら本当にやってしまうかもしれないということで、政策や対策を立てるにあたり、なかなか掴みづらいところがあるのが難しさです。

 もう1つは、中国との対立的な関係をより鮮明にする一環として、中国への経済的威圧をさらに強めることが考えられます。米国の投資家からは強く反対されるでしょうが、関税だけではなく、輸出規制や対中投資の規制などもあり得ると思います。場合によってはトランプ氏自身が習近平国家主席と直接話し合ってディールをまとめ、それが日本も含めて同盟国にとっては極めて不利な条件や内容のものになる恐れがある。これまでどちらかというと物の貿易や関税に重点を置いていたのが、今後はサービスや投資にも広がっていくことが考えられます。トランプ氏が大統領になった場合、我々にとっては、少なくともバラ色の世界が待っているという感じは受けません。

伊藤隆さんインタビュー中の写真

伊藤:今年7月、バイデン大統領が撤退宣言をされる前に、ワシントンの人たちと話をしてきたのですが、必ずいわれたのが、「大統領選挙はギリギリまで分からないよ」ということでした。ハリス氏が大統領候補になった今でも、それは変わりません。そういう意味では、いわゆる「もしトラ」「ほぼトラ」といった論調は控えるべきだと思っています。企業としては民主、共和どちらの党が政権を取ってもいいように、政策綱領や各候補の発言、閣僚候補と目される人たちを含めて彼ら・彼女らが過去に何をしてきたのか、できなかったのかを分析することで、対処の方法やリスクをミニマイズできる準備をしなければなりません。

 ただ鈴木先生がおっしゃる通り、経済のみならず国際関係についてもトランプ氏は独特のセンスをお持ちのようで、ロシアや中国から、西側諸国の欧州連合(EU)やNATOに対する考え方までこれまでのものとは違いますし、グリーンに対する考え方も違う。とりわけ、米国国内におけるグリーン政策がガラッと変わる、それもどちらかというと後退する方向に変わっていき、梯子を外されるような企業も出てくると見込んでいます。そうした中、米国国内及び国際関係に、その影響や矛盾がどのような形で表出してくるかを、当社は注目しています。自国の政策的な問題や経済的なリスクへの対処は企業が準備するべきことなのですが、それ以外のきしみについては、一企業ではどうしようもありません。その意味で、日本政府はトランプ・ハリスの両氏に対して、きちんとコミットメントしていくのが大事だろうと感じています。

影響力を強める北朝鮮、小さな火種が発展する恐れ

――ウクライナ戦争やイスラエルとパレスチナなど、地政学にまつわるリスクは米中冷戦以外にも様々あります。このような動きの中で、注目に値するものは何でしょうか?

鈴木:日本にとっての懸念は、やはり朝鮮半島情勢だと思っています。ウクライナとの戦争が続くことでロシアに対する制裁が続いている結果、武器・弾薬が足りなくなったロシアが、北朝鮮との関係を再構築して武器の供与を受けるようになってきている。北朝鮮は、これまでつれない態度だったロシアが味方になってくれる。これにより、今までは中国に依存しなければならなかった北朝鮮が、中国とロシアのどちらでも選択できる、ある種2つの国を手玉に取るような形になってくる恐れがある。

 さらにここで、大統領1期目で金正恩とも会ったトランプ氏が再び米国の大統領になって北朝鮮との関係を良くしようとすれば、リスクはさらに大きくなってくる。すると、韓国では「自分たちは守ってもらえない」という不安が高まり、実際既に「独自核武装をする必要がある」ということが話題に出るようになっている。韓国も独自核武装となれば、東アジアは極めて不安定な状況になってしまい、地政学的なリスクが一段違う次元に行ってしまう怖さがあるなと思っています。

伊藤:多くの日本人にとって、北朝鮮はなお「分からない国」でとどまっている印象があります。ですので、北朝鮮が中国とロシアとの関係の中で2枚のカードを持ち、さらにトランプ氏が大統領になれば3枚目のカードを持って、野心を実現するような自由度を高めていく恐れがあり、そこにはリスクがあるとの指摘は、非常に大事です。

 一方で、企業の感覚からすると、今そこで起きているリスクの方に目がいってしまいます。例えばパレスチナとイスラエルの問題でも、紛争そのものというよりは、紅海経由の航路が使えなくなるかもしれない。そうすると、喜望峰を経由して物を運ぶ必要が出てくる。その分だけ物流の足が長くなる、保険が高くなる、棚卸資産が増えていく等々、経営にダイレクトに影響を与えるような事象が起こってくることの方が問題になるわけです。

 ロシアとウクライナの戦争にしても、不幸にしてウクライナから多くの方々が難民としてヨーロッパ諸国に流れていくと、国によって違いはありますが、例えばドイツでは昨年の選挙において、バイエルン州とへッセン州で極右政党が非常に票を伸ばすというようなことにつながっています。私自身も昨年、ベルリンで実際に極右の方にお会いして話を聞いたのですが、会話が成立しなくて非常に困りました。戦争が市民社会に間接的な影響を与えることでヨーロッパにポピュリズムが根付きやすい環境が醸成されているのではないか。すると、今まで日本がやろうとしてきたミニラテラルの構築ができなくなり、経済安全保障における国際連携が難しくなる恐れがあります。企業にとってはそれこそがまさに地政学リスクになるという認識です。

 さらに、この夏にかけて気になっていたのは、領有権を巡って南シナ海のセカンド・トーマス礁で起こっていたフィリピンと中国の問題ですね。ご存知の通り米国とフィリピンの間には1951年に締結された相互防衛協定があります。今少し落ち着いていますが、何か小さいことが火種になって、米軍の出動が避けられない段階に発展してしまう恐れがある。中国と米国の間だけなら、所謂「ガードレール」があるので、直接的な衝突は生じにくいとは思いますが、留意しておく必要はあると感じています。

鈴木:ロシアのウクライナ侵攻から得られる1つの教訓は、「『ガードレール』があるから大丈夫」とか「こういうことは起きないだろう」と思っていても、ある権力を持った人、この場合はプーチン氏ですが、その人が物事を決定すれば、戦争に至るまでの距離は極めて短いということではないでしょうか。

 一方で、先ほど話題に出た中国とフィリピンの件もそうですが、我々の世界で「エスカレーション・コントロール」と呼ぶ、ここで打ち止めにしましょうというある種の合意や暗黙の了解がないと、紛争を制御するのは難しいのです。例えば中東で今年の4月にイスラエルとイランが相互にミサイルを発射しましたが、あれはとても不思議なやり取りでした。イスラエルがシリアのイラン大使館を爆撃し、それに対する報復としてイランがイスラエルに300発のミサイルを撃ちましたが、人のいないところを攻撃するという、ある種のメッセージ付きの報復でした。中東は長きにわたる紛争の経験から、双方にある種の相場感のようなものがある。「ここまでやったらこれくらいはやり返すだろう」というような互いの合意が暗黙のうちにあるのですね。

鈴木一人さんと伊藤隆さんインタビュー中の写真

 これに対して中国は、新たに台頭してきた大国です。南シナ海においても、前例に無いようなやり方で、影響力を拡張しようとしてきましたが、それゆえに、どの辺りで「撃ち方止め」のタイミングを計るのかという暗黙の了解をフィリピンとの間で形成できていませんでした。最近ようやく落ち着いてきているのは、両国が直接対話をして、この辺でやめておきましょうというある種の補助線を引いたことによるものです。対立関係は変わってないので安心できるとまではいいませんが、すぐに紛争がエスカレートしていくというリスクは少し収まったのかなと感じています。

※本記事内の製品やサービス、所属などの情報は取材時(2024年8月)時点のものです。

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