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「人生100年時代」の住宅は健康状態を常時見守る GAFAも注目のバイタルデータは医療・ヘルスケアを変革させる「人生100年時代」の住宅は健康状態を常時見守る GAFAも注目のバイタルデータは医療・ヘルスケアを変革させる

「人生100年時代」といわれるように、今後長寿命化がますます進む日本において、健康的に生活が送れる健康寿命を延ばすことは多くの国民にとって重要だ。そのためには、病気にかからないように日常から注意を怠らないこととともに、たとえ病気にかかったとしても迅速に処置を行い、重症化に至らないように工夫することが求められる。
ところが、「病気は病院で処置するもの」と考えられがちのせいか、日々を過ごす住宅において、病気の予防に対する工夫はこれまで皆無だった。これからの住宅に求められるのは、まずは家で事故や急性疾患が起きた際には迅速に発見できる仕組み。さらには、家人の心拍や血圧などのバイタルデータをセンシングにより自動で収集して、病気の発症リスクを予測したり、病気の予防につなげたりできる仕組みだ。
日々、リラックスして過ごせる住宅だからこそ、病院では取れないバイタルデータが収集でき、そしてそのバイタルデータには大きな可能性が秘められている。
医療・ヘルスケアの変革につながり得る、家ならではの予防の展望についてイーソリューションズ 副社長執行役員の藤本小百合氏に話を聞いた。

藤本 小百合さんの写真

イーソリューションズ 副社長執行役員 ライフデザイン事業部 兼 ライフサイエンス事業部 事業本部長

藤本 小百合(ふじもと さゆり)

東京大学文学部卒業後、投資顧問会社での秘書業務、日本の対外関係構築に関わるNGOでの事業企画・運営を経て、2017年にイーソリューションズ入社。農林水産業やプラットフォームビジネスの研究、住宅/IoTに関する新規事業開発を経験。東日本大震災からの復興機運の風化防止を目的に活動する「さくらプロジェクト」の経営にも携わる。2021年4月より現職。

家での事故死は交通事故死の3倍以上

――「人生100年時代」を迎えた今、健康な生活を送るために日本の住宅が果たすべき役割は変わってきているのでしょうか。

藤本 小百合さんインタビュー中の写真

 ご指摘のようにより寿命が伸びる中で、亡くなり方も含めて自分らしい生き方ができることがとても大切になっています。そして、人生の多くを過ごす住宅には、若い時だけに限らず、歳を重ねても快適に暮らせることが求められていると感じています。

 そんな中で、まずお伝えしたいのは、家の中での事故で大変多くの方が亡くなっているという事実です。家での事故には、ヒートショック、溺死、転倒、転落などが挙げられますが、そういった家の中での事故で亡くなられる方は、2014年に1万4000人ほどいました。1996年には約1万人だったので、その数は増えているのです。

 一方で、比較するために交通事故で亡くなられた方を例にあげると、1996年にはその数がやはり約1万人だったのですが、2014年は約4000人と大きく減っています。交通事故の3倍以上の方が家での事故で亡くなっているということになるのです。

 どうしてこのような差が生じてしまったのでしょう。交通事故に関してはエアバッグやABSといった技術開発によって、亡くなる方を減らそうという努力が積極的に行われてきました。主には自動車メーカーが中心に、交通事故死の削減を自分事として捉えて取り組んだわけです。その一方で、このような「家で亡くなる人が多い」という現実に対して、テクノロジーを活用した効果的な解決策はこれまで十分に考えられてきませんでした。

住宅の断熱性・気密性による違いの説明図
交通事故による死亡者が減る一方で、家での事故による死亡者は増える傾向にある(厚生労働省の人口動態統計と内閣府の平成29年交通安全白書からイーソリューションズが作成)

――交通事故の3倍以上の方が家での事故で亡くなっているのは驚きです。積極的な対策を施せば、この数は大幅に減らせるのではないでしょうか。

 その通りです。加えて、家で発症する急性疾患の対応も重要な課題だと考えています。例えば脳卒中は79%が、急性心筋梗塞は67%が家の中で発症しているというデータがあります。血液を全身に循環させるための心臓などの循環器は、いうまでもなく重要な臓器ですが、高齢化に伴って循環器系疾患の患者数の増加が見込まれています。そこで、住宅に期待される新しい役割の1つはこのような事故や急性疾患で亡くなる方を減らすことだと考えています。具体的な取り組みとして、家の中で起きる疾患を早期に発見し、そして早期治療につなげるプロジェクトが始まっています。

 脳卒中には、「アルテプラーゼ(t-PA)」という有効な治療薬が存在します。ただし、この治療薬の静脈内投与は発症から4.5時間以内に施さなければなりません。家の中で倒れているのが発見されて、そこから救急車で搬送や治療の準備などにかかる時間を考慮すると、発症から2時間以内に見つけることが望ましいのです。

 現状はそれが難しく、倒れていても気づかないことも多い。このため、脳卒中患者の7%が亡くなり、29%は寝たきりなどの重度の後遺症、26%は軽~中等度の後遺症を抱えています。早期に疾患の発症を見つけられれば、この数字を下げられる可能性があります。

家での事故を即座に検知し自動で通報

――そうした課題への対応として、「家での疾患の早期発見」を目指したプロジェクトの意義があると考えられるのですね。

 はい。脳卒中が発症する確率が高い場所は寝室で、時間帯は午前中が多いということがデータから分かっています。先ほどもお話したように、発症を早期発見できないことが早期治療を実現する上でのボトルネックになっているという課題に対し、積水ハウスが2020年に発表した世界初の急性疾患対応システム「HED-Net」は、新しい住宅の役割として非常に価値があると考えています。「HED-Net」では、寝室に非接触のセンサーを設置し、寝ている人の心拍や呼吸から異常を検知し、その結果に応じて自動で通報するシステムが提案されています。

 具体的には、寝室にいらっしゃる方に非接触センサーから電波を照射し、跳ね返った反射波を受信。波形の変位を分析することで、心拍や呼吸を割り出しています。明らかな異常値を検出すると、システムがコールセンターに自動で通報し、コールセンターから住人に向かって「大丈夫ですか?」と呼びかけ、応答がないなど異常事態が発生したとコールセンターの担当者が判断したら救急へ通報する仕組みになっています。さらに、救急車が到着したら遠隔でスマートロックを解錠し、搬送が完了したのを確認したら再度施錠する、というところまでをシステムが担います。

――対象の方はお一人で住んでいるかもしれないし、また家族がいても夜中で誰も起きていないかもしれないので、すべてが自動で進めば安心できますね。

 そうですね。現在は、積水ハウスがモニターを募集し、応募者の自宅にセンサーなどを取り付けて、システムの実証実験に取り組んでいる段階です。まずは戸建ての住宅が対象となっていますが、将来は単身者向けの集合住宅などにも導入できたらいいですね。

 また、30・40代でも高血圧や睡眠時無呼吸症候群などの慢性疾患を抱えていれば脳卒中のリスクは高まりますし、働き盛りの人が脳卒中で倒れると家族の負担も大きくなってしまいますから、早期発見・早期治療が重要なのは変わりません。若い世代では、「自分は大丈夫だろう」という過信もあるので、あらゆる世代に向けてシステムが応用されればと思います。

コスト削減効果は医療費などで3兆円

――このようなシステムを利用する人が増えれば、その人や家族がメリットを享受できるのはもちろんですが、社会的な効果も見込めそうです。

藤本 小百合さんインタビュー中の写真

 イーソリューションズと産業技術総合研究所では、このような早期に発見できるシステムが普及した場合に、どのような効果があるかを検証しました。具体的には「脳卒中」「心疾患」「転倒・転落」「ヒートショック・溺没」の4つを早期に見つけられた場合、①医療費②介護費③個人の労働損失額(本人の欠勤・死亡・生産性低下、家族の介護のための欠勤等による個人/家族の給与収入の損失)④企業の生産性低下(患者である従業員の退職や生産性低下にともなって本来得られるはずの収益の減少)――といった社会コストを削減できるという仮説の下で試算しました。その結果、約3兆円の社会コストを削減できる可能性があることが分かりました。おおよそ、医療費が1兆円、介護費が1兆円、労働損失額が6000億円、企業の生産性低下が4000億円です。

 ただし、こうした社会的な効果を得るためには、システムが普及していることが前提となります。そのためには、センサーの精度向上など技術的な開発を進めると同時に、さまざまなタイプの住宅に導入できるようにパッケージ化してコストも低減させるなど、様々な点を検討しなければなりません。

 それを達成した上で課題になるのが、国や企業などの支援です。例えば、「リフォーム減税制度」や「家電エコポイント制度」のように、早期発見システムを使う場合に減税したり補助金を出したりする仕組みがあってもいいのではないでしょうか。他には、企業が健康経営の一環として導入を補助するのも考えられますし、自動車保険のドライブレコーダー特約のように、住宅に早期発見システムがあれば保険料を下げる、といった方法も考えられます。

脳卒中の発生メカニズムが解明できる

――早期発見システムでは心拍と呼吸を判断の材料に使いますが、他にも体温をはじめ脈拍や血圧などのバイタルデータが取得できれば、様々な用途に広がっていきそうです。

 予防医学では、「一次予防」「二次予防」「三次予防」という段階を分けた考え方があります。一次予防は、生活習慣改善などによって病気にかからないようにすることを指し、一般的に使われる「予防」という言葉はこの一次予防を意味します。二次予防は、健康診断などによる早期発見と早期治療を指します。そして三次予防は、病気を発症した後に治療やリハビリテーションを受け、身体機能の維持・回復を図り、重症化や再発を防ぐ取り組みです。

 先ほど紹介した早期発見システムは、この中でも二次予防にあたります。住宅に期待される新しい役割として、次の段階では一次予防、つまり発症する前の予防にも範囲を広げることが重要だと考えています。例えば、取得したバイタルデータを常時モニタリングして、疾患の発症リスクを予測したり、健康診断のデータと紐づけたりして、疾病の予防につながる食事や運動、睡眠の提案に活用するといったことが考えられます。

 そうした予防行動を提案するだけではなく、実際にそれが住宅で受けられるようにサービス企業とつなぐということも、重要になってくるでしょう。例を挙げると、住宅で取得したバイタルデータを参照し、疾病予防のためのレシピを提案するだけでなく、ミールキットの宅配サービスまでをつなげるといった発展を考えることで、課題の解決に向けて社会全体が貢献できる新しいヘルスケアのモデルを創造できます。

 今はバイタルデータを手間なく取得する技術が発展しています。血圧を非接触で測る研究も進んでおり、また血糖値を数秒の接触で測定できる技術もあります。日常生活の中で触れる場所にこのような測定器を組み込んでおけば、自然な動作で自ずとバイタルデータが得られます。今はリストバンドのようなウエアラブル機器を身につけることで各種のバイタルデータを取得することが可能となっていますが、そういった機器を付けるのが面倒という人でも、負担を感じることなくモニタリングできるようになるわけです。

――一次予防の実現を目指す上では、日々の差分を取って変化を見られるということが重要ですが、住宅は住む人も決まっているので、そういった変化を取得するには絶好の場となりそうです。

 その通りです。やはりバイタルデータには個人差がありますから、個人の日常に対して変化を追うと、ささいな変化も捉えられると思います。他には、病院に行くと血圧が上がる「白衣高血圧」や逆に病院では血圧高値が出ない「仮面高血圧」と呼ばれる現象への対応としても有効かもしれませんし、また病院では異常は認められないけれど家で早朝に血圧が高くなる傾向など、病院では分からないことが住宅での常時モニタリングなら見つけられる可能性が高まります。

 さらに、一次予防の先には三次予防も視野に入ってきますが、これは医療の領域となるので、住宅側としてまずできるのは取得したデータを病院に提示できるよう準備しておくことだと思います。そのデータを医師にどのように活用していただけるかは、医療機関などと連携して動かなければなりません。

 バイタルデータの活用方法として、政府がマイナポータルに個人の健診・検診情報を紐づけて、その人自身だけでなく医師やケアマネージャーも閲覧できるようにする、という構想を明らかにしています。ほかにもオンライン診療への活用など、いろいろな使い道が考えられますから、住宅側はまず、データを蓄積しておくことが大事だと思います。

 実は、脳卒中などを発症した瞬間のバイタルの状態はくわしく分かっていないそうです。発症した後に救急車に搬送されて、その時点にならないとデータを取れないためです。バイタルデータを取得するシステムが普及すれば、発症の前後のデータを集められますから、疾病のメカニズム解明にも役立つかもしれません。

米国の大手IT関連企業に負けない
日本発のソリューションが生み出せる

――こうして用途の広がりについて話を聞かせていただくと、バイタルデータは宝の山ですね。

藤本 小百合さんインタビュー中の写真

 世界を見ると、アップルが「Apple Watch」を利用した心房細動の検知に取り組んでいますし、アマゾンもリストバンド「Amazon Halo Band」でユーザーのバイタルデータを集めようとしています。GAFAも着目するほど、バイタルデータには可能性があるということになります。

 先ほども言ったように、住宅をセンシングデバイスとして利用することで、ウエアラブル機器を装着したまま生活するのに比べてはるかにユーザーの負担は少なくなります。日本にはハウスメーカーという他国ではあまり見られない業態があるのですから、それを活かして、ハウスメーカー主導で日本ならではのソリューションを生み出し、普及させることが重要です。世界の中でも高齢化が進んでいて、課題先進国と注目されている中で、このような健康に関するサービスを日本発で提供できるのは、インパクトがあるのではないでしょうか。

――最終的には、どのような世界が訪れると考えていますか。

 各種のバイタルデータが検知できるシステムは、新築の戸建てだけではなく、賃貸の戸建てやリフォームにも対応できるとよいと思いますし、またサービス付き高齢者住宅や病院の個室などにもニーズがあると見ています。例えば病院の待合室にシステムを採用すれば、より状態の悪い患者さんを優先して診察できるようになるというアイデアもあります。プライバシーに配慮できるのでホテルでも取り入れやすく、持病があるお客様などでも安心して泊まれるようになるはずです。このように住宅以外でも応用できる場はいろいろあると考えています。

 「人生100年時代」と言われる今、自分らしい生き方・亡くなり方ができるということがたいへん重要な意味を持つと個人的には思います。それを実現するためには、緊急事態に対処して命を救う二次予防に加えて、自分の健康を少しでも長く保つ一次予防も大事です。

 それを国の目線から見ると、例えば医療・介護現場の就労人口が減っていく中で、住宅が一定の役割を担うことが現場の生産性向上や負担軽減につながります。デジタル技術を用いて家と病院がうまく役割を分担した結果、全体最適として社会コストが下がるというイメージです。

 システムの導入を拡大させて経時的にデータを集めなければならないので、実際の健康サービスの提供はだいぶ先になるのかもしれません。けれども将来、自動車にシートベルトやエアバッグが装備されているのと同じように、住宅には健康を見守るセンシング技術が当たり前に実装される時代が訪れることを期待しています。

(写真:吉成大輔)

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