中国国籍を持ったまま海外に居住する人を意味する華僑(かきょう)。海外で成功をし、お金持ちの代名詞ともいわれている華僑は、国籍を滞在先に変更した華人を含めて6000万人おり、その資産規模は2兆5000億ドル以上だと推定されている。※
その華僑に弟子入りをして、成功を収めたのが前仲原物産代表取締役の大城太氏だ。華僑のボスの教えは日本人にとっては目に鱗。ただし、それらの教えは、中国に古くから伝わる古典を原点としている。それらを正しく実践することによって、華僑は財を成してきたわけだ。華僑のボスの教えの一端を、大城氏に聞いた。
※2017年3月31日付け、日本経済新聞の庄国土アモイ大学特任教授のインタビューより
前仲原物産代表取締役
大城 太(おおしろ だい)
1975年2月8日生まれ。大学卒業後、外資系金融機関、医療機器メーカーで営業スキルを磨き、起業を志す。起業にあたり、華僑社会では知らない者はいないと言われる大物華僑に師事。厳しい修行を積みながら、日本人唯一の弟子として「門外不出」の成功術を伝授される。独立後、医療機器販売会社を設立。アルバイトと2人で初年度年商1億円を達成。現在は医療機器メーカーをはじめアジアでビジネスを展開する6社の代表および医療法人理事を務める傍ら、ビジネス投資、不動産投資なども手掛ける。
INDEX
3回の転職を経て華僑に弟子入り
――華僑に弟子入りしようとしたのはなぜですか。
お金持ちになるためにはユダヤか華僑か印僑か、という、いわば都市伝説のようなところが出発点です。
卒業後に会社員として勤めていたのですが、20代で3回転職しました。会社員が合わなかったからです。3つ目の会社を辞める時には疲弊していて、妻に「会社員はもう無理だ」と弱音を吐いたほどです。ただ当時はまだ、定年まで勤め上げるのが主流の時代。会社員を辞めることは「脱サラ」と呼ばれていましたが、私の場合、「脱サラリーマン」ではなく「脱落サラリーマン」の方がピッタリくるほどでした。
脱サラするのはいいけれども、食べていけない。そこで、とにかく食べるためにビジネスやお金儲けを学ぼうとした際に、ユダヤや印僑ではなく、地べたに這いつくばってでもお金儲けをするイメージのあった華僑だと考えたのです。私は関西系なので、お金持ちといえば神戸にいる中華系の人たち、という印象が定着していたことも大きかった。また、地理的、文化的に中国は日本に近いため、ユダヤや印僑の人たちよりも知り合うチャンスも多いだろうし、教えも理解しやすいのではないかと考えたことも影響しました。
――華僑の「ボス」にはどこで知り合われたのでしょうか。
私のボスは、在日華僑の中でも大物中の大物といわれる成功者です。今から約20年前、紹介の紹介の紹介というような形で探し回った末にたどり着きました。当初の目論見通り、華僑と出会うチャンスは決して少なくなかった。ただ、とびきりの大物華僑を探すのは容易ではありませんでした。ようやく巡り会っても、最初は弟子入りを断られ、ようやく許可していただいたのは出会ってから2年後のことでした。
――弟子入りの決め手は何だったのでしょう。
「お金のためなら何でもやります」といった人間をボスは認めていませんでした。要するに生活は十分できているけれども、プラスアルファで儲けたいというヤツになら教えるということ。ボスと出会って2年後の頃、私はアフィリエイトで儲かりだして、月に50万円程度は収入が得られるようになっていました。そこで、会社員を辞めてもこれだけのお金が入ってくるようになりましたと伝えると、「明日から来なさい」とお許しが出たのです。
最初の修行で分かったお金の大切さ
――修行では、どのようなことをされたのですか。
最初の修行は街角に立って靴下を売ることでした。大阪の堺筋や本町にはたくさん問屋があるのですが、「飛び込みで行って、不要な商品をくださいと頼んで仕入れてこい。そして、街角に立って売ってこい」と。つまり、「知らない問屋で仕入れた知らない商品を、知らない場所で知らない人間相手に売る」という修行です。
時は20年前。格安店でも4足1000円、1足当たり250円で靴下を売って安いといわれた時代に、私は1足100円という、あり得ないような破格の値を付けた。しかし、初日は1足しか売れませんでした。その後もしばらく、何をやってもダメということが続きました。そしてこの修行にかかる仕入れ等の費用は、失敗すればすべて私の自分持ち。一方で、上手く売れればボスに90%を上納し、自分に入ってくるのは10%のみという苛酷なものでした。
――そこにはどのような華僑の教えがあるのでしょう。
サラリーマンは、会社の名刺で会社の名前で会社のお金を使って仕事をして、損をしてもノルマを達成できなくても、ペナルティーはないし首にもならない、自分自身は痛まない。一方で利益が出た時はボーナスが欲しいと主張する。ボスは、サラリーマンだった私に、会社員では味わうことのできない、お金の痛みや、お金を丁寧に扱うことの大切さを叩き込んでくれたのです。
守りができるから攻められる
――ボスの教えで、今でも揺るがない信条は何でしょうか。
1番にいわれたのは「後院失火」(ごいんしっか)という言葉。「院」というのは「家」のことで、「背後で自宅が火事になっていたら戦えない」という意味です。家の中や親族の争いごとはもちろん、社内でいさかいがあったら外の敵とは戦えない、だから家内や社内の火種は消しておけと散々いわれました。
ボスに弟子入り志願していた際、私は「家に帰らず事務所に泊まり込みで仕事をするからビジネスを教えてください」と頼んだのですが、「1番身近な人間である家族を犠牲にして笑顔にできない人間が、お客さんを笑顔にできるわけがない」といって私を追い返したのです。家族、同僚、お客さんと近い人から順番に笑顔にしていくのだよという教えで、こんなことは日本の会社では習ったことがない。やっぱり華僑は違うなと実感しましたが、これも後院失火の考え方から来るものです。
お金は守るのが難しいもの。攻める、つまりお金を稼ぐには体力が要りますが、守るのにも体力が要る。守るのに体力を使いすぎる人は稼げないのです。
兆しを見つけたら根負けせずにやる
――後院失火、すなわち守れていない状況にあることの証左なのですね。
その通り。そして、失火につながるような火種がわずかにでもあって、これを見つけたのに面倒くさいからと見逃すと大損するし、見逃さない人は龍になる。すなわち火種を見逃さない人が成功するという教えが、中国古典の『四書五経』の中でも最も古い『易経』にあります。
「吉凶とはその失得の言うなり。悔吝(かいりん)とはその小疵(しょうし)を言うなり」という言葉です。私もボスから耳にタコができるほど繰り返し聞かされた言葉です。華僑がとても大切にしている教えなので、少し詳しく説明しましょう。
まず「吉凶とはその失得の言うなり」は、「凶は失う、吉は得る」ということ。そして「悔吝とはその小疵を言うなり」は、「些細なトラブルやクレーム(小疵)を悔い改める(悔)か、手間をケチる(吝)、すなわち面倒くさがるかで結果が違ってくる」ということです。
ここで注意してほしいのは、易経では些細なトラブル(小疵)をいきなり凶とはしないということです。「吉と出るか凶と出るかはその後の姿勢が決めるのだ」というのです。
例えば小さなクレームがあったとする。この時、「悔」すなわち起こった背景を悔い改めれば吉となるし、面倒くさがって出来事への対処を惜しんでしまえば、それは凶への入り口になる。これをボスは自分の言葉で私に、「兆しを見逃すな。そして、面倒くさいと思われているところにこそチャンスがあるのだよ」と繰り返し叩き込んでくれました。
――この教えが成功につながった事例はありますか。
私は中国から医療機器を輸入して歯科業界に売るという事業をしています。これを真似て参入した業者は大勢いましたが、残っているのは私たちだけ。なぜか。今でこそ大分改善されましたが、中国との医療機器ビジネスは不具合が多い等々、非常に面倒くさいので、皆そこに耐えられず根負けして辞めてしまうのです。トラブルやお客様からの言葉に1つひとつ丁寧に応えていくことを続けていく、そこだけは面倒くさがらずにやってきたことが今につながっていると思っています。
とはいえ、兆しを見逃して儲け損なったというケースは枚挙に暇がありません。例えば、同業者から「会社をもらってくれないか?」と持ちかけられたのに、グズグズ決断できなかった。今では当時の30倍のお金を出さないと手に入らなくなってしまったということもありました。
不安の兆しは恐怖に変える
――兆しを感じながらも決断できなかったのはなぜなのでしょう。
これも華僑の教えですが、「『不安』を不安のままにして『恐怖』に変えることができなかったから」です。例えば登山に行くと、どことなく不安になるものですが、何が起きるかが分からないから不安なのです。一方で、山中で実際に熊に遭遇したら、それは不安ではなく恐怖に変わります。そこで気付くわけです、不安の元は熊という恐怖の存在が原因だったのだと。不安という兆しを放置せず、面倒くさがらずに知識や情報を駆使して事前に特定して恐怖にすれば、対策を立てることができます。ひょっとすると、「熊に出会う確率はごく微々たるもの」というデータを見つけることができれば、恐怖が恐怖でなくなり、不安を減らすこともできるのです。
身近なところでいえば「老後2000万円問題」。老後を過ごすのに今の貯蓄などの状況では足りないと不安に思う人がいます。ただ、それは限られた情報に踊らされているだけかもしれません。例えば医療費でも限度額適用制度があり、入院しても報酬月額28万円未満なら自己負担限度額は5万7600円で済む、といったデータを面倒くさがらずに探せば、恐怖は消えて、あなたの不安の兆しは減るかもしれません。
今の若者には、年金がもらえなくなるという不安を抱えている人もいるでしょう。ただ、30年後、40年後にそれが現実になったとして、年金がなくなるのはあなただけではなく全員です。本当にそうなったらデフレで家賃相場は下がり、損をするのは不動産をたくさん持っている富裕層や不動産収入のある大企業。すると貧富の差は限りなく小さくなる。こうして恐怖を突き止めて不安を減らし、年金の心配をするよりも目の前の仕事であるとか、プライベートの充実に意識を向けるなど、やるべきことはいくらでもあるはずです。
うまくいかない方法にはこだわらない
――「何となく不安」は最悪で、不安の元にある恐怖を面倒くさがらずに特定しなさいということですね。
日本人は、うまくいかなくても、それを乗り越えた先に幸せがあるよと、その道にこだわるように教育されることにも通じる話です。ただ、そのこだわりが、そもそも間違いだというのが華僑の教えです。「正しいのであれば、壁に当たらないはず。壁に当たったのなら、そのやり方、すなわち選択が間違っているということだ」と。日本人は、例えばAという提示をして、相手を納得させられなくても、努力や誠意で困難を乗り越え、あくまでAにこだわって伝えようとする。そうではなく、AがダメならB、BがダメならCやDと繰り出していく方が、スピード感を持って解決できる確率が高いということを、ボスから度々いわれました。
例えば日本人は、「予算未達です」となると、「営業担当者の能力や努力、スキルが足りないのではないか」という話に終始しがちです。ですが、「最近よく眠れているか?」「プライベートで困っていることはないか?」と話題を予算から離すことで、「実は最近悩みがあって眠れないのです」というような話が出てくることがある。すると、仕事に集中できるような環境を整えてやることが先決だということが分かる。この場合、スキルにこだわっていたら、いつまで経っても問題は解決しません。目的を達成するためには、1つの選択肢に固執するのをやめることが肝要です。
お金の儲け方も選択を考える
――選択肢を増やすことは、お金を儲ける手段を考える上でも重要ですか。
世代によって受けている教育や育った社会の環境が違う、すなわちお金のことを考える上での前提条件が違いますから、前提条件によって、選択することが必要です。
例えば、すべてが競争だった私たちの世代は、競争に勝てばお金が得られると思っているフシがあります。これに対して、ゆとり教育を受けて育った今の若い人たちは、そもそも競争したことがないので、お金を得られるのに競争は関係ない。どちらかといえば「オイシイのは何だろう」と探すのが特徴です。この世代がビットコインなどに向かうのはさもありなんです。
ただこれは良い悪いの問題ではありません。お金を儲けるためなら時には友達でも蹴落とそうというのが私の世代ですが、勝ち負けに価値観を置かない今の若者にはそれがない。とはいえ、詐欺的なことに手を出しやすい傾向があるので、そこは注意が必要です。
――世代の特徴を生かした今の若者ならではのお金儲けの選択にはどのようなものがあるのでしょうか。
競争せずに物事を淡々と進めることができるという特徴は、投資に向いています。投資は勝つ可能性と負ける可能性が50%ずつ。従って、勝ったときの額が100円、負けたときの額が50円、これをマメに交互に繰り返せば大勝ちです。今の若い世代なら、勝ち負けにこだわって熱くならないので、淡々と損切りができて利益を出せる。勝ち負けにこだわるから欲が出て、損が出てもグズグズ持ち続けてしまう私の世代との違いです。
ただ一方で、相対的に大企業で働くことには向いていないともいえるでしょう。大企業は内部で競争する部分が大きいですから。逆にいうと、競争率は昔よりも低い、換言するとがら空きなのだから、この世代で競争や勝負が好きだという人は、逆張りでここに進むと勝つ可能性は高くなる。すなわち、すべては華僑のボスの教えである「選択」の問題につながってきます。
直接計算なら誰でもできる
――華僑に実際に弟子入りしてみて、事前のイメージと違ったということはありますか。
華僑は地べたに這いつくばってでも、というステレオタイプのイメージがあったとお話ししましたが、華僑が不屈の精神力に頼るのは最終手段。その前に必ず「計算」するのが、現実主義かつ合理主義の華僑なのです。そして計算は「直接計算」と「間接計算」に分かれるのですが、華僑が大切にするのは間接計算です。
直接計算は、品物を販売して代金を得るという商売におけるシンプルな計算のことを指します。また、人付き合いの面では、「この人を大事にすれば、自分に仕事をくれたり誰かを紹介してくれたりするだろう」と考えるのも、直接計算です。
これに対して間接計算とは、例えば中国に投下した資本を5年後に日本で、さらに10年後にアメリカで回収するにはどうすればいいのかというように、場所や時間を超越して計算することを指します。人付き合いでは、例えば取引先で肩書きのない若い人がいたとして、その人を邪険にするのではなく、丁寧に対応することで、後に私の子供を助けてくれるかもしれないという風に考えろということです。私のボス曰く、「直接計算なら誰でもできる。間接計算ができるかどうかがカギだ」ということです。
――中国の人間関係というと、巨額の賄賂がからむ事件がよく伝えられますが、人間関係を築くに当たって、お金は必要だというのが華僑の思想にあるのでしょうか。
贈り物文化はあります。物をあげることで、自分の時間を節約できる。言い換えれば、物をあげないのであれば、自分の時間を削って何かをしなければならなくなるということです。そして、物をあげるにはお金があったほうが便利。ですから人間関係を築くのに、お金が大切であるには違いありません。高級車に乗ったり、高級時計を身に着けたりすることは、相手を安心させるためでもありますから、そのためのお金はむしろ惜しむなという考えです。
ですが、人間関係を築いて自分のお金儲けにつなげるという以前に、華僑をはじめとする中国人は国民1人ひとりが「天下を治める」ことを考えています。天下というと日本人は天下国家を想起しますが、中国人の言う天下とは自分に関わる人すべてという意味。子供の学校の先生、PTA、町内会、会社の同僚、同窓会というようなもの。これらの人々と上手くやることが人生の成功であり、そのためにはお金も使う、という順番です。
どんな仕事でも自分に向いているように振る舞う
――サラリーマンにせよ起業するにせよ、若い人は社会に出て働いていくわけですが、仕事をして行く上で、こうすると上手くいくという秘訣のような華僑の教えはあるのでしょうか。
皆さん、自分に向いている仕事を探そうとするのですが、それよりも、今している仕事を、あたかも自分に向いているかのごとく振る舞った方がいい、ということです。
野球で例えれば、自分が野球に向いているかどうかはさておき、まずは向いているかのように振る舞いながら、キャッチボールや素振りをして基礎を身に着ける努力をする。練習を積み上げて型が身に付いてくると、自分の型が今までいかに間違っていたかというような欠点も見えてきます。
それが、「オレはこの仕事に向いてない」「オレはなんでこんな仕事をしているのか」という態度だと、上司や周囲から「向いていないなら辞めたら」といわれておしまいです。ところが、向いているかのように振る舞っていれば、「実は苦手なのにそれを隠して頑張っていたのか」と評価され、「なんとか得意なところを見つけてやろう」と、あなたに光を当ててくれるかもしれない。それで仕事ができるようになり成果も上がってくれば、上司や周囲のためにもなる。できるかのように振る舞うというのは、すなわち「偽る」ということですが、この字を分解すると「人」と「為」。まさに「人のため」になるのです。
上司やお客さんに気に入られていないなと思っても、気に入られているかのように振る舞えばいい。うまくいかないと落ち込んでいても、落ち込んでいないように振る舞えばいい。そうすることで、あなたの光に気付いた周囲が、あなたに注目するようになる。まさに光を見に来る「観光」と同じです。若い人には是非実践して欲しいと思います。
お金には何の価値もない
――お金を稼ぐことについて、特にこれだけは伝えておきたいということはありますか。
皆さんお金そのものに価値があると思いがちですが、お金は単なる情報、数字に過ぎません。お金で買える「物」や「こと」の方に価値があるのであって、「お金そのもの」に価値があるわけではない。何かを買おうと思って100万円貯金したけれども、10%のインフレで110万円に値上がりしたら買えなくなってしまうのですから。無人島で100億円あげるからここに残れと言われるよりも、1億円しかあげないけれども脱出する船に乗せてあげると言われたら、前者の100億円より後者の1億円の方に価値がありますよね。
伝えたいのは、「自分が人生において欲しいもの、自分にとって価値があるものを見出せた人が勝者だ」ということ。見つける時期は若ければ若いに越したことはありませんが、50歳でも60歳でも気付けばいい。とうとう最後まで気付けなかった人が、「お金があったから幸せだ、無かったから不幸せだ」ということをいうのです。お金がたくさんあれば、したいことがたくさんかつ早くできるのではないかという人もいますが、それは思い違い。時間を買うことはできないからです。本棚を埋め尽くすだけの本を一時に買うお金はあっても、知識や教養にするには一定の時間が必要で、瞬時に価値に変えることは不可能。お金と時間が合わさって初めて力になるわけで、お金だけ持っていても価値はありません。
――お金に左右されずに価値を見出すには、どうしたらいいのでしょうか。
人と比べないことに尽きます。そのためには、お金だ、高級車だ、偏差値だ、高級住宅街に家があるだ等々、すべてを数値に置き換えるのを止めること。もっと情緒的にやる方が幸せになれます。
そして幸せって、定義はないのです。私の場合、好きなことと幸せはイコールです。自分が幸せだと感じたら、それが幸せ。幸せは「探すもの」ではなく、「なるもの」なのですから。幸せを探している人は、人と比べて一喜一憂しているのでしょう。
――「幸せは探すものではない」というのはしかし、「選択肢を増やせ」という教えと一見矛盾するように思えます。
ボスの教えが矛盾に満ちているのは修行中から既に感じていました。でも、ボスはいうのです。「矛盾上等だ」と。「お前たち日本人はとにかく融通が利かな過ぎるのだよ。定義したり決めたりした方が、思考停止すればいいのだから、ある意味楽だろうさ。でもな、成功したり金を儲けたりするには、いい大学を出て、大企業に行って出世する王道しか道がないのだと固定されていたら、お前なんかそもそも勝ち目はなかっただろう?そして、『そうじゃない道だってある、自分にも勝ち目はあるのだ』と、王道から見れば矛盾した手法で挑もうと思ったからこそ、お前は今、起業して、オレとここにいる。そうだろう?」と。
(写真:大亀京助)
※本記事内の製品やサービス、所属などの情報は取材時(2024年2月)時点のものです。








