このページの本文へ

ここから本文

デザインしたのは、心に寄り添うパートナー

三菱電機株式会社 統合デザイン研究所
プロダクトデザイナー
荒井 美紀

病院内搬送ロボットの真のニーズはどこにあるのか?

2020年2月、一本の電話がありました。「病院向けの搬送ロボットをデザイン開発したい」。自動車機器事業部に新設されたモビリティ未来イノベーションプロジェクトグループからの依頼です。ベースとなるのは、三菱電機特機システムが開発した自律搬送ロボット。人や障害物を避けながら目的地まで自動走行するもので、この動力を足回りに使い操作部や荷台を追加して病院内の用途に最適化させるのがミッションでした。3月にキックオフ、6月には図面を引き、7月にはプロトタイプを完成させ、8月に病院にプレゼンするという異例の特急スケジュール。折しも新型コロナウイルス感染症が拡大しつつあり、先行きの見えない中でプロジェクトはスタートしました。

病院内での搬送業務は非常に多く、専門のスタッフも配置されているほど。ここにいち早く着目した同業他社は、十数年前から搬送ロボットを製造しています。しかし、未だ普及には至っていません。まずはこの理由を探ろうと、病院にヒアリングすることからスタートしました。そこで浮き彫りになったのが「既存の搬送ロボットは容量が少ないうえ、搬送できるものが限られている」という課題です。これをクリアできれば、現場で求められるものになるはず。「大容量で、多様な搬送物に対応できる荷台をデザインする」という前提が決まりました。

次のステップは市場調査です。病院では何をどのくらい運ぶのか。その際にどういう什器が使われているのか。搬送のルートや頻度は? 現場の実情を探るなかで、患者さんの薬を管理する「与薬トレー」の存在を知りました。患者さん一人につき一つトレーを用意し、薬剤師さんが向こう一週間分の薬をセットして、週に一度ナースステーションに搬送する。そして投与のタイミングで看護師さんが薬を取り出し、病床に持っていくのです。入院患者さんの人数と同じだけ与薬トレーがあるわけですから、その搬送量は膨大になります。この与薬トレーに狙いを定め、搬送用ロボットのプロトタイプを開発することに決めました。

医療の現場を優しく支えるフレンドリーなデザインを

機能やデザインの検討に着手したのは2020年4月。パンデミックが深刻化し、1回目の緊急事態宣言が発令された時期です。連日のニュースでは、感染拡大状況とともに、逼迫する医療現場の様子が繰り返し報じられていました。過酷な現実を前にして、「ユーザーである医療従事者にいかに寄り添えるか」がロボット開発の一つの指標になりました。

そこで生まれたアイデアが、既存の医療用什器をそのまま使えるようにするというもの。日ごろ使い慣れた道具類がベースになっていれば、導入のストレスも最小限で済むはずです。医療現場での使用に耐えうる耐薬品性や耐久性がすでに確認されているため、私たちは既存の什器を積載する脱着カートとロボットの開発に専念できるというメリットもありました。
通常、ロボット本体に荷室がついていることが多いですが、三菱電機ではロボットに荷物カートを着脱する仕様にしました。用途に合わせてカートを取り替えれば、一台のロボットでもさまざまな搬送物に対応できます。搬送物をカートごと受け取り、ロボットだけ返却することもできるので、積み替えの手間もありません。業務の効率化も実現できるはずです。

もう一つ、こだわったのはスタイリングでした。最先端の技術が詰まったロボットですから、シャープで洗練された意匠も考えられます。しかし、スタイリッシュな表情は、ときに冷たく感じられるものです。シビアな局面を迎えている医療現場では、支え合えるパートナーのような佇まいが良いのではないだろうか……。そこで提案したのが、フレンドリーなデザインです。とがった部分がなく、優しさやぬくもりを感じられるフォルム。ロボットの顔は様々な感情に寄り添えるように口を描かずに目だけで表現しました。さらに、圧迫感のない高さにすること、若手からベテラン看護師まで迷わず操作できる直感的なUIにすること。「優しくて、力持ちで、寄り添ってくれる同僚」。そんなパーソナリティーを吹き込みながら、デザインを固めていきました。

もちろん、自律走行ロボットとしての機能も追求しています。安全に走行できるのはもちろん、進行方向などを床面に投映して、周囲に注意喚起できるのが特徴です。三菱電機が提供するスマートシティ・ビルIoTプラットフォーム®に接続すれば、施設内のエレベーターや入退室管理システムなどと連携し、ロボットだけでエレベーターを呼び出して乗り降りすることも可能になります。

超短納期スケジュールのなか、モビリティ未来イノベーションプロジェクトグループ(現:三田製作所所属)の堀口氏が足繁く病院に通い、方向性を提案しては修正することの繰り返し。大変でしたが充実感もあり、非常に熱がこもった開発でした。そして2021年3月には大学病院で実証実験を実施しました。愛称は「MELDY®(メルディー)」。現場ニーズに沿ったロボットとして非常に高く評価され、そればかりか「MELDYほどのものが作れるのであれば、こういったものは実現可能だろうか」という発展的な打診までいただきました。この声にお応えする形で、すでに新たなプロジェクトも立ち上がっています。

モビリティ未来イノベーションプロジェクトグループ
(現:三田製作所所属)の堀口氏と

経験の積み重ねが未来を変える力になる

プロトタイプの提案は成功に終わり、次はブラッシュアップです。細かな動作調整や管制システムの作り込みに加え、サウンドデザインも行いました。ガイダンス音声には、しっかりしているけれどあどけなさも残る子どもの声を採用。この子が鼻歌まじりに歩いているような、ほのぼのした走行メロディを搭載しました。これも好評で、「病院はたのしい場所ではないので、さりげなく明るい雰囲気になるのはいいね」というお声をいただき、大変嬉しかったのを覚えています。

現在は、複数の病院でMELDYの実証実験を行い、そのフィードバックを活かした量産モデルを開発中です。食事やリネン、酸素ボンベなど、搬送物に応じたカートデザインの開発も検討しているところ。ありがたいことに全国各地の病院から引き合いをいただいて、大きな手応えを感じています。
未曾有のパンデミックを背景に、医療従事者は多忙を極め、患者さんと向き合う時間が圧迫されていると聞きます。MELDYが普及すれば、看護師さんは人間にしかできない看護の仕事に専念できるのではないか。そんな期待を持っています。

このMELDYをはじめ、新たなモビリティサービスが社会に実装されることで、暮らしはもっと楽しいものになっていくはず。より良い未来のために、これからもデザインの力で貢献していくのが私の目標です。最近では、育児を通して得られた新たな視点や経験が、未来に向けた発想の源になっていると感じています。変化する暮らしのなか、都度感じた課題を仕事で解決する。大きなやりがいがありますし、飽きることがありません。デザイナーとして20年以上の経験を重ね、今あらためてデザインの楽しさを噛み締めています。

「スマートシティ・ビルIoTプラットフォーム」「MELDY(メルディー)」は三菱電機株式会社の登録商標です。

三菱電機株式会社 統合デザイン研究所
プロダクトデザイナー

荒井 美紀

1999年入社
携帯電話、AV機器、車載情報端末、搬送ロボットなどのプロダクトデザインに従事。現在はモビリティを中心としたコンセプトデザインの研究・開発も手掛ける。