コラム
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2009年 10月分 vol.1
月に激突!第一号から50年
ライター 林 公代 Kimiyo Hayashi


ルナ3号が1959年10月7日に送信してきた「月の裏側」。荒い写真ながら、表側と異なる様子が全世界に驚きをもたらした。(提供:NASA)  月には果たして水があるのか否か。2009年9月9日午後8時31分(日本時間)、NASAの月探査機エルクロスは切り離したロケットを月南極近くに衝突させることに成功。期待されたほどの噴煙は観測されなかったようだが、得られたデータに水蒸気が含まれるかどうか、今後解析されることになる。月への探査機衝突と言えば、今年はちょうど50年にあたる。1959年9月14日、旧ソ連の月探査機ルナ2号が月の「晴れの海」に激突、人類が初めて他天体に送り込んだ人工物体となったのである。

 1957年10月4日、人類初の人工衛星スプートニク打ち上げを契機に、火蓋を切った米ソの宇宙開発レース。特に半世紀前の1959年は「月探査元年」と言っていい。1958年にアメリカは月探査機パイオニア0~4号を打ち上げるがいずれも失敗。対するロシアは、ルナ1号を1959年1月2日に打ち上げた。月に衝突させる予定が実現できず、月から5000kmを通過し、太陽を回る人工惑星になった。ルナ1号には人工惑星を記念するペナントが積まれており、今も太陽系のどこかを飛んでいることだろう。続いて飛び立ったルナ2号は、9月14日に月の表側の「晴れの海」に見事、命中したのだ。

ルナ3号。モスクワ郊外のエネルギア博物館で。ロシアの探査機ってデザインが可愛いのです。  さらに世界を驚かせたのはルナ3号だ。10月4日に打ち上げられた3号は10月7日に史上初めて月の裏側を見せてくれた。月から6200kmの距離から29枚の写真を撮影、そのうちの7枚を送信してきた。最近の高画質画像と比べれば、とんでもなく荒い画像ながらも、裏側と表側の地表がまったく異っていたという事実は衝撃的であったという。

 地球から見える月は「表側」だけ。海と呼ばれる、黒い玄武岩が覆うエリアが、まるでウサギがおもちをついているように見える。だから地球から見えない裏側も同様に海があると思っていたら、海が少なく、白い高地が広がっていたのだ。月の裏側には「モスクワの海」、「ツィオルコフスキークレーター」、「コロレフクレーター」など旧ソ連の地名や偉人の名前が多いのは、裏側探査で旧ソ連が圧倒的にリードしていたからである。

 月探査元年から半世紀。その後月面に衝突や軟着陸した探査機は30機を超える。月旅行した暁には、「過去の探査機を巡る歴史ツアー」が実現するほどだ。 今では日本や世界の探査によって、月についてかなりの事実がわかってきた。謎であった裏側も、エベレストを越える標高10.75km、マリアナ海溝に迫る約9kmもの深い谷底があり、標高差約20キロと言うダイナミックな地形が広がっていることも観測で明らかになり、ますます興味深い。

 だが、「果たして水があるのか」などもっとも知りたいコアな部分は未解決のまま。今回で結果が出るかどうかわからないが、今後の月ラッシュで明らかになることは多いだろう。