このページの本文へ

ここから本文

  1. Home
  2. 尾原和啓氏のDigital Ship
  3. Vol.1

第1回 ケータイ前後で世界はまるで変わってしまった
〜産業構造を根底から変える「DX」の本当の意味〜

尾原和啓氏の連載コラムDigital Ship - Vol.1 -
~明日のために今こそデジタルの大海原へ~

いまや「DX(デジタルトランスフォーメーション)」はブームの様相を呈している。
DXというと、繰り返し発生するタスクを自動化したり、クラウド化してリモートワークできるようにしたり、ハンコがいらなくなったり、といったことを思い浮かべる方も多いだろう。だが、それは既存業務のデジタル化にすぎない。いまある仕事をデジタルに置き換えただけでは、「トランスフォーメーション」とはいえないのだ。昆虫が幼虫からさなぎになり、羽化して成虫に変態(トランスフォーメーション)するように、DXはデジタル化することによって、それまでとはまったく別の姿に生まれ変わることを指す。

2021年4月30日公開

ケータイ+乗換案内+レストランレビューサイトで生活が様変わり

そんなことが可能なのかと疑う方には、ケータイ(携帯電話)がなかった頃のことを思い出してほしい。当時、誰かと待ち合わせをしようと思ったら、「渋谷のハチ公前に7時」と決めて、相手が現れるまでそこでじっと待ち続ける必要があった。

しかし、スマホやケータイで簡単にメッセージをやりとりできるようになると、アバウトな時間と場所だけ決めておいて、近くに来たら、「いまどこ?」とメッセージを送り合って合流できるようになった。先に来た人は、待っている間に街を歩きまわってショッピングを楽しむこともできるし、後から来る人も、少しくらい遅刻しても相手がどこにいるか探し回らなくてよくなった。生活パターンがガラリと変わったのだ。

その流れを加速したのは、乗換案内サービスとレストランレビューサイトの存在だ。以前なら、はじめての場所に行くときは、折りたためば定期入れに入るサイズの地下鉄路線図を持ち歩いて、どのルートで行くのが近いのか、自分で考えなければいけなかった。知らない駅の知らないレストランに行くのはさらに大変で、紙の地図をグルグル回しながら方角を確認し、目印となる建物をたどって目的地まで歩く必要があった。

見知らぬ土地に行くのがそれだけ大変だと、人はつい「いつもの」場所で満足しがちで、生活圏は自然と自宅と会社をつなぐ通勤ルートの範囲に限られた。

しかし、乗換案内とレビューサイトが出てきたことで、降りたことのない駅のはじめてのレストランでも、安心して行けるようになった。口コミを見れば「ハズレ」のお店を避けることができるし、店で待ち合わせるときも、相手にレビューサイトの地図を送れば、お互いに迷うことなく現地集合できる。以前は存在すら知らなかった店に実際に足を運んで食事を楽しむ。デジタル化によって、ユーザーの行動パターンが変わったのだ。

人間の行動パターンが変われば産業構造も変わる

変わったのは、ユーザーの行動パターンだけではない。食事を提供するレストランの側も大きく変わった。

それまでは、大勢のお客さんにお店に足を運んでもらおうと思えば、人が多く行き来する駅の近くのわかりやすい場所に出店する必要があった。繁華街など便利な場所で出店ラッシュが起きると、人気のあるエリアほど地価が上がり、賃料も高くなるので、その分を価格に上乗せしたり、材料費を抑えたりして対応せざるを得なかった。

ところが、乗換案内とレストランレビューサイトができたことで、繁華街から外れたところにあるお店や、住宅街の真ん中にあるような隠れ家レストランにも、(地元の常連客だけではなく)新規のお客さんが来てくれるようになった。そうした店は、賃料を安く抑えることができるので、その分、ホスピタリティにお金をかけたり、食材にお金をかけることで、お値段以上の価値を提供しやすくなった。

しかも、賃料が安くなれば、開店にかかる初期費用も抑えられるので、いままで資金不足でレストランを開業できなかった若い人たちが、続々とお店を始めるようになった。渋谷や新宿などのメジャーな繁華街でなくても、ある特定の層に強くアピールするような特色のあるお店をつくれば、お客さんは来てくれる。若いシェフがレストランのオーナーにチャレンジできる環境が整ったのだ。

テクノロジーによって人の行動パターンが根底的に変わり、人の行動が変わることで、サービスを提供する側のビジネスの構造も変わる。構造が変われば、新規に参入してくる人たちの顔ぶれも変わり、いままでやりたくてもできなかった人たちにも新たな活躍の場が広がる。これこそDXの正しい姿だ。

DXの変革の波を生き残るには

そう考えると、私たちはケータイの時代からすでに何度もDXを経験してきたことがわかるだろう。さらにこれから30年、こうした変化があちこちで続発し、そのそれぞれが既存産業に破壊的な影響をもたらすことになる。これが、私たちが考えるべきDXの本来の姿なのだ。

DXの変革の波は現在も続いている。たとえば、コロナショックの影響で、リモートワークを余儀なくされた私たちは、いまや、ビデオ会議ツールを使うことで、遠く離れたところにいる人たちと会議するのが当たり前になった。わざわざ出勤したり、客先を訪問したりしなくても仕事が回るというのは、デジタル化による大きな変化の一つだ。

また、フードデリバリーサービスが普及したことで、私たちは自宅にいながらにして、いろいろなお店の料理を楽しめるようになった。いままでテイクアウトや出前をやっていなかったお店でも、簡単に出前対応できるようになり、いまや、店舗をもたないテイクアウト専門、デリバリー専門の「ゴーストレストラン」と呼ばれる新しいタイプのレストランが登場してきた。さらに、夜だけ営業しているBARの厨房を借りて、昼にまったく別の人がランチ営業する「間借りカレー」なども出てきた。デリバリー配達員のアルバイトも、従来とはまったく異なるタイプの働き方だ。

このように、DXは仕事だけではなく、私たちの生活そのものを変えていく。産業構造も様変わりして、生き残る企業、淘汰される企業が出てくる。この連載では、都市や暮らしがどうなるか、移動がどうなるか、健康がどうなるかなど、毎回テーマを変えながら、企業はどうすれば生き残れるのかを考えていきたい。

IT批評家/フューチャリスト尾原和啓(おばら・かずひろ)

1970年生まれ。京都大学大学院工学研究科応用システム専攻人工知能論講座修了。マッキンゼー・アンド・カンパニーにてキャリアをスタートし、NTTドコモのiモード事業立ち上げ支援、リクルート、ケイ・ラボラトリー(現:KLab、取締役)、コーポレートディレクション、サイバード、電子金券開発、リクルート(2回目)、オプト、Google、楽天(執行役員)の事業企画、投資、新規事業に従事。経産省対外通商政策委員、産業総合研究所人工知能センターアドバイザー等を歴任。 現在はシンガポール・バリ島をベースに人・事業を紡ぐカタリスト。ボランティアで「TEDカンファレンス」の日本オーディション、「Burning Japan」に従事するなど、西海岸文化事情にも詳しい。著書に「ネットビジネス進化論」(NHK出版)、「あえて数字からおりる働き方」(SBクリエイティブ)、「モチベーション革命」(幻冬舎)、「ITビジネスの原理」(NHK出版)、「ザ・プラットフォーム」(NHK出版)、「ディープテック」(NHK出版)、「アフターデジタル」(日経BP)など話題作多数。