2026.10.29
“分かった”が生まれる瞬間を信じて。MelBridgeⓇが現場に架ける、言葉の橋
多様な言語を話す人々が働く製造現場には、見えない障壁がある。それは、言葉の壁だ。
三菱電機はこの壁を越えるため、言語の異なる人同士の対話と理解をリアルタイム翻訳でサポートする「MelBridgeⓇ(メルブリッジ)」ブランドで、2つのサービスを展開している。サービス誕生の背景にあるのは、現場の声に耳を傾け、ユーザー起点のアイデアを盛り込み、単なる翻訳ソフトを超えたコミュニケーション支援ツールとして生み育てていった真摯(しんし)な取り組み。その中心となり、今もサービスの改善に向けて全国を奔走し続ける開発担当者の歩みを追った。
目次
現場に足を運んで、初めて見えた課題
三菱電機には、もともと発話した言葉を指でなぞった軌跡に沿って表示する「しゃべり描きⓇUI」というツールがあり、聴覚障がい者向けに利用されていた。2021年に入社し、統合デザイン研究所に配属された岡村衣里子さんは、入社時から「しゃべり描きUI」の新たな用途や市場、ビジネスとしての可能性を広げる検討に携わってきた。
大学でサービスデザインを学び、「何かを企画するのが好き」と話す岡村さん。大学時代は、高校生向けに対話を通してキャリア教育を行うNPOや地方創生に関わるNPOで教育イベントの企画などを行ってきたという。
「入社したときから、新しい事業をつくり、ビジネスを広げていくのが夢でした。しゃべり描きUIには外国語の翻訳機能が追加されていたので、教育や途上国向けのサービス提案など、聴覚障がい者向け以外の用途にも使えないかと考えました」
しかし、教育での活用について調査したものの、すでにタブレット端末をはじめとする多くのツールが普及していた。途上国との交流についても検討したが、具体的な活用方法を描き切れず、いったん断念することになる。
それでも、新しいサービス創出をあきらめたわけではなかった。新たな用途を模索する中、自社工場で外国人従業員とのコミュニケーションに活用できるかもしれないという話を聞いた。岡村さんは、すぐに「現場を見てみたい」と上司に伝え、チームで検討を重ねた。2022年、統合デザイン研究所のメンバーとともに、静岡製作所の家電製造の現場を訪問。入社2年目とは思えない行動力だが、岡村さんは次のように話す。「学生時代に企画を行うとき、はじめは机上だけで考えがちでした。ただ、現場に足を運ぶと、実際に目にするものやその場にいる人々との会話から、これまで見えてこなかったたくさんの“気づき”を得ることができたのです。机の前に座っているだけでは見えてこなかった“気づき”が現場にはあふれていました。それからの私は、実際に現地に足を運ぶこと、現場の人々と対話することの重要性を強く意識するようになったのです」
しゃべり描きUIを翻訳ツールとして使いたいとの要望があった工場に行き、岡村さんはメンバーとともに1週間、現場に入った。しかし、実際に現場で業務を観察し、日々製造に携わる班長や外国人従業員にヒアリングを重ねると、ツールの導入以前に、外国人従業員とのコミュニケーションに課題があることが分かった。
その言葉は、現場の全員に届いているだろうか
「現場の課題を聞くと、単に翻訳ツールがあれば解決するというレベルのものではありませんでした。例えば朝礼では、班長の日本語の指示が伝わらない。班長は『聞いていない』と感じ、外国人従業員は『聞いているけれど、言葉が理解できないので分からない』と感じている。お互いの認識がかみ合わないという状況が起きていました。朝礼はその日の生産台数や作業の変更、安全に関わる留意事項など重要なことを話しているのに、それが正確に伝わっていないのは大きな課題だと考えました」
朝礼以外にも、コミュニケーションをうまく取れないことによる課題が見えてきた。面談では、通訳が間に入るとプライベートなことを話しにくいといった声が聞かれた。また、社員向け教育では資料がすべて日本語で書かれているため「日本語を話せるけど、読めない」外国人従業員には内容が十分に伝わっていないことが分かった。
静岡製作所での課題整理を終えて間もなく、今度は群馬の工場に1週間入り、現場調査とともに、静岡で見つかった課題を検証した。
「群馬の現場でも、静岡と同じコミュニケーション上の課題が見られました。そこで、両場所に共通する課題を整理し、解決すべき点を絞り込みました。しゃべり描きUIの技術ありきで考えるのではなく、現場のニーズを起点に新たなサービスの構想を描き、その構想をもとに関係会社でアイデアを検証。ここから、プロジェクトが本格的に動き始めました」
静岡製作所で最初に課題を聞いてからおよそ3カ月。ここから、後にMelBridgeの名を冠することになる「MelBridgeⓇ翻訳サイネージ™」(以下、翻訳サイネージ)、「MelBridgeしゃべり描き翻訳Ⓡ」(以下、しゃべり描き翻訳)という2つのサービスの開発プロジェクトが具体的に始動することになる。
「これでは使えない」の一言が、開発を前に進めた
翻訳サイネージは、朝礼、研修など「一対多」の場面におけるコミュニケーションに適したツールで、大画面ディスプレイに複数言語の翻訳を同時に表示できるというもの。一方のしゃべり描き翻訳は「一対一」の説明や面談、教育などに適しており、発話した言葉をリアルタイムに翻訳して表示する。
岡村さんは、まずは簡単なプロトタイプを開発し、静岡や群馬の工場に持ち込んで検証に着手した。
「各現場に協力を依頼して検証を進める中で、普段パソコンは使うものの、パソコン操作にあまり慣れていない従業員から、使いにくいという指摘を受けました。使う人の視点に立った画面デザインをしなければならないと改めて実感した瞬間です」と当時を振り返る。
なかでも岡村さんの記憶に強く残っているのが、静岡製作所の班長から受けた言葉だ。
「これでは使えない」という率直で厳しい言葉だった。聞いた当初は悲しかったという岡村さんだが、その一方で「申し訳ない、という気持ちになりました。これは、本当に困っていて、課題を解決したいという強い思いがある実際のユーザーから直接声を聞ける貴重な機会です。ありがたい指摘だと感じました」
実際、指摘された点を改良し、再度検証を依頼したところ、その班長から返ってきたのが「良くなったね」という言葉だった。「やっていて良かったと、心から感じました」と岡村さん。
一方、画面の見づらさなど、改善すべき点が残っていた当初のプロトタイプでも、外国人従業員は母国語が画面に表示されることを喜んでくれたという。「自分の母国語が画面に表示されただけで、とても喜んでくれるんです」
その反応は、取り組みの価値を確かめる瞬間だった。厳しい指摘も喜びの反応も、現場の課題解決に向けた、使いやすさのさらなる向上と、機能改善につながっていった。
「MelBridgeⓇ翻訳サイネージ™」は、2023年12月から群馬の工場で朝礼における実証運用を開始し、2025年4月に正式リリースされた。また、「MelBridgeしゃべり描き翻訳Ⓡ」は2025年11月に提供を開始した。現在、両サービスは社外の累計75社に加え、三菱電機の各拠点にも導入されている。
その開発プロセスで最も大切にしたことを聞くと、次の答えが返ってきた。
「とにかく、現場の人の役に立つものをつくりたい。製造現場の日本人と外国人従業員が抱える課題をしっかり解決したいという、“人起点”の思いでした」
岡村さん自身は2024年10月にビジネスイノベーション本部へ異動し、現在は「しゃべり描きプロジェクトグループ」に所属。静岡や群馬、名古屋、福山など、全国の三菱電機の生産拠点や導入いただいているお客さまの現場を訪ねながら、両サービスのさらなるブラッシュアップに日々取り組み続けている。その後も、当初の現場調査と同じように、大学時代に積極的に対話した経験が活かされているという。
「人起点の取り組みの原点は、もちろん人に話を聞くこと。私は人に話を聞き、なぜそう考えるのかを知ることが大好きなんです。同僚からは、現場で人に話を聞いているときの私は、オフィスにいるときよりもイキイキしているとよく言われますね」
“これがあればもっと楽になる”をこれからも
入社後すぐにしゃべり描きUIのビジネス拡大に向けて積極的に取り組んできた岡村さんは、両サービスの正式リリースを前にビジネスイノベーション本部への異動を希望した。
「もともとどのようなプロダクトも“事業化してからが勝負”と考えていたので、事業化を推進できる部署への異動をお願いしました。今は開発に携わった両サービスをこれからもずっと使い続けてもらい、単なる機能拡充だけでなく、より根本的な課題を俯瞰(ふかん)的な視点でとらえること。そこからユーザーの本質的な業務改革や価値創造に貢献できるサービスへと進化させていきたいと考えています。そのためにも、ユーザーである“人”を見続け、困っていることに耳を傾け、“これがあればもっと楽になる”を見出して、実現につなげていきたいと思っています」
そう語る岡村さんが、現場で好評だという機能を紹介してくれた。
「翻訳サイネージでは、複数言語の翻訳結果をリアルタイムに一画面で表示でき、複数の言語を話す従業員と、同時かつスムーズにコミュニケーションを取れる点が大きな特長です。また、翻訳結果を発話者の言葉にリアルタイムで再翻訳し、内容を確認できる『折り返し翻訳』の機能は、翻訳サイネージに加え、しゃべり描き翻訳にも搭載されており、ユーザーの皆さまから大変喜ばれている機能です」
両サービスのブランド名は「MelBridge」。Melは「メルコ」、すなわち三菱電機を表し、人と人との間に橋を架けるという意味が込められている。
「このプロジェクトを通じて、現場で生の声をしっかり聞き、“分かったつもり”にならず、ユーザー目線で考えることの大切さを、より強く実感するようになりました。今後も社会課題の解決につながる、ユーザーの困りごとの解消に取り組み、新しい価値をつくっていく、明るい未来への架け橋になりたいと思っています。」
INTERVIEWEE
三菱電機株式会社 ビジネスイノベーション本部 ビジネスイノベーション統括事業部 事業推進部 しゃべり描きプロジェクトグループ
岡村 衣里子
翻訳サイネージ/しゃべり描き翻訳のサービス企画、プロダクト改善、導入後の定着支援などを担当。ユーザーに真の価値を届けるための仕組みづくりや、サービスが目指すべき中長期的な方向性の検討にも携わる。
* 「 MelBridgeⓇ」および「しゃべり描きⓇ」は、三菱電機株式会社の登録商標です。
* 掲載されている情報は、2026年10月時点のものです。