アジャイル開発は、企業のDXが加速するなか、一般的な手法・アプローチとして広がりつつある。とはいえ、もともとはソフトウェア開発の手法として誕生し発達してきたこのアプローチを、他の職種や業界の文化に適用するのは簡単なことではない。

今まさに、アジャイルを拡充しようとしている三菱電機では、その価値をどうとらえているのか。どのように課題や壁を乗り越えようとしているのか。

アジャイルが誕生した20年以上も前から、そのアプローチに魅了され、企業への導入に尽力してきた2人。三菱電機が新しく打ち出したデジタル基盤「Serendie(セレンディ)」を推進するDXイノベーションセンター(以下、DIC)で開発・品質管理部 部長の細谷泰夫と、同じくDICでプリンシパルアジャイルエキスパートを務める市谷聡啓に話を聞いた。

アジャイル開発の本質はユーザーニーズへの反応の速さにある

三菱電機が進めるSerendieと、その先に見据える循環型 デジタル・エンジニアリング企業への変革において、重要なキーワードの1つがアジャイルです。まずはアジャイル開発について簡単に教えてください。

市谷アジャイル開発とは、ソフトウェア開発のやり方であり、あり方です。20年以上前にソフトウェア開発の世界でこの言葉が見出されました。

従来の開発ではウォーターフォール型が主流でした。この手法は、要件定義からリリースまで、上流から下流へと順番に開発を進めることから「ウォーターフォール」と呼ばれています。しかし、要件定義の段階でユーザーのニーズや提供価値を全て見通すことは難しいため、要件を定義して半年〜1年かけて開発を進めたとしても、最終的にユーザーのニーズとずれるリスクを伴ってしまいます。

一方、アジャイルでは、1〜2週間の短いスパンでソフトウェアをつくります。そして、ユーザーの反応などをみながら迅速な改善を重ねて開発を進めていきます。要件定義の段階では全てを見通せない場合がある、この前提に立って、不確定な内容を徐々に明らかにしながら、ソフトウェアを成長させるアプローチが特徴です。

私はよく、ウォーターフォールは(開発を)終わらせるための作戦、アジャイルは(開発を)続けるための作戦、と説明しています。

細谷アジャイル開発は、俊敏性などを意味するアジリティ(Agility)を語源としていることからもわかるように、ユーザーや社会のニーズへの反応の速さが際立ちます。それは、ゴールに向かって進んでいくときに、軌道修正がすぐにできるということ。その結果として、開発全体の速度もアップします。

アジャイル開発の最大の利点は、開発全体の速さというよりは、ユーザーや社会のニーズに応える反応の速さにあるということですね。また、アジャイルというアプローチ自体は決して新しいものではないと伺いましたが、なぜ昨今注目されているのでしょうか?

市谷近年では、DXの影響があると考えています。新しい価値を生み出すことがこれまで以上に求められている一方で、自社のアセットの何が価値になるのか、そもそも価値とは何なのか、そのために何が必要なのかがわかりにくい時代になっています。

そのような状況下で、ユーザーにとっての価値を探索する営みとしてアジャイル開発が有効だと考えられるようになってきました。さらに、ソフトウェア開発だけではなく、事業開発や開発以外の業務、さらには組織の運営に及ぶまで、アジャイルを取り入れる動きがあります。開発の話だけではなくなっているところに、アジャイルが注目されている流れを捉えることができます。

細谷日本が成長期にあった時代は、高機能な製品をつくれば売れていました。企業に市場の主導権があったのです。それが今は、ユーザーや社会のニーズに迅速に反応しなければならないし、多様性も求められています。さらに、市谷さんがおっしゃったように、DXが大きな節目になっているでしょうね。

循環型デジタル・エンジニアリングにとって、アジャイル開発は不可欠

三菱電機では、これまでもアジャイル開発に取り組んできたと伺いました。

細谷私は2001年に三菱電機にキャリア入社したのですが、最初にアジャイル開発に取り組んだのは2002年のことです。入社後に通信関連部門で開発リーダーを務めることになり、その際にアジャイルを取り入れました。その後も、私が関わる部門やプロジェクトなどでアジャイルを活用し、導入支援も行ってきました。こうして今に至ります。

今、Serendieを進めていくにあたって、アジャイルの重要性や役割をあらためてどう捉えていますか?

Serendieについて、その流れを簡単に説明しますと、三菱電機は2023年に「循環型 デジタル・エンジニアリング企業」への変革を表明しました。循環型 デジタル・エンジニアリング企業とは、顧客のデータを集約して企業内で共有・活用することで新たな価値を生み出し、顧客や社会の課題解決に還元しながら成長していく企業を指します。われわれにとって大きな変革になるはずです。

その変革を加速させるためにリリースしたデジタル基盤「Serendie」によって、仮説の検証や軌道修正を重ねながら、ようやく新たな価値を提供できるようになります。このプロセスは一度で完結するものではなく、継続的に進化していく必要があるため、アジャイルなアプローチは不可欠になるでしょう。

三菱電機の社員の皆さんのマインドセットを、どのようにアジャイル開発にフィットさせていくのかという課題もあるのではないでしょうか?その点について、具体的な取り組みなどがあれば教えてください。

細谷アジャイル開発を推進してきた第一人者である市谷さんを中心に、社内にアジャイルのイロハやそのためのマインドセットを広める取り組みを始めています。また、Serendieによる新規事業創出では、社内のいろいろな立場の方々に参加してもらい、短期間で仮説検証を行うことを計画しています。

そこでは、われわれDICのメンバーが伴走しながら、アジャイルなアプローチでプロジェクトを進めていくつもりです。実際にアジャイルを経験する社員が増えることで、少しずつ社内にも変化が起こるはずで、そのためのガイドラインの策定も進めています。

市谷三菱電機に入社して約2カ月が経ち、ある程度予想はしていたものの、三菱電機の組織の大きさと階層構造を実感しています。このような大きな組織で、どのようにしてマインドセットの変革を進めていくか、試行錯誤を繰り返しているところです。

z 例えばどのようなことでしょうか?

市谷今考えているのは、中間的な組織や場をつくることですね。価値創出の拠点となり、経営層と現場をつなぐ「基地局」の役割を果たす場所を設けることで、変革を促進できると考えています。

価値創出とは、データ・情報を取り入れ、仮説を磨きながら新たな価値を生み出していく活動です。これには、現場だけでなく組織としての方向感も必要となります。つまり、経営層と現場が連携し、現場に権限が委譲されて主体的に動ける体制が整って初めて、アジャイルの特徴である迅速な探索適応が可能になるのです。

それを進めるための中間的な場を複数設け、それぞれの場で価値創出が進む構図をつくりたいと考えています。そこから生まれる具体的な事例こそが、マインドセットの変革を進める上で重要な要素になるのではないでしょうか。ただし、これ自体も1つの仮説であり、私自身も今後、模索と挑戦を続けていきます。

また、仮説検証を繰り返す営みにおいて、すぐに成果が出ないことはよくあります。ですが、目先の結果だけで成功か否かを判断してしまうのではなく、その営みを通じてアジャイルの経験を積むこと自体も1つの成果であることを伝えていくつもりです。

目の前にある結果を失敗と捉えるのか、今後につながる挑戦と捉えるのか、そこのマインドセットを変えることは特に難しそうです。

市谷難しいでしょうね。ただ、コストや生産性といった従来の物差しだけでアジャイルの成果を測るものではないと思っています。

そして、そうした認識を変えるために効果的なのが「ふりかえり」です。単にアジャイルを取り組み進めるだけでなく、その後に「この営みをより効果的にしていくにはどうするとよいのか」「どのようなことが発見できたのか、学びは何か」といったふりかえりを通じて、徐々に認識に影響を与えられるものになると考えています。

三菱電機は“芯”からアジャイルな大企業へ

Serendieに不可欠だというアジャイルについて、今後の展望をお聞かせください。

市谷以前から「日本の組織を“芯”からアジャイルにしたい」と考え、働きかけていきました。そして、三菱電機には、僕がアジャイルな組織に重要と考える3つの要素がそろっています。

1つ目はアジャイル開発の実例があること。三菱電機には、細谷さんがこれまで取り組んできた実績があります。2つ目は価値を探索するための仮説検証の方針と武器を揃えていっていること。3つ目は価値仮説の立案のために必要なデータ分析の基盤があることです。

これらの要素がそろい、その総合の具体的な取り組みとしてSerendieが始動している三菱電機だからこそ、“芯”からアジャイルな大企業へと変わっていけると信じています。

細谷三菱電機がアジャイルな企業へと変革することで、海外のパートナーや関連会社との協業がさらに増えることも期待できます。全く新しい価値を創出する機会を広げ、それによって顧客や社会によりよいインパクトを与えられたら嬉しいですよね。

市谷新しい価値の創出は、モヤっとしていて手がかりの少ないけもの道を進むようなものです。Serendieは、その道の領域に切り込んでいくコンセプトであり、アジャイルと表裏一体の存在といえるでしょう。この取り組みは、多くの企業にとって参考となるはずです。みなさんと一緒に、その未来を築き上げていきたいと考えています。

思えば、細谷さんとの出会いは約20年前、アジャイル開発の勉強会の場でしたね。当時、僕は従来型の開発に限界を感じていて、アジャイルに出会ったときは大きな衝撃を受けました。細谷さんと僕は、その後もそれぞれの場所や立場でアジャイル拡大の活動に取り組みながら、活動のなかで時折お会いする関係性でしたが、こうして一緒に挑戦をすることになりました。これは、まさに「セレンディピティ(偶然の出会いのこと。Serendieの由来となった言葉)」ですよね。今回のプロジェクトにぴったりのエピソードです(笑)。

細谷確かに、Serendieにぴったりのまとまりかたですね(笑)。偶然でなく必然を感じます。これからも精力的にアジャイルを進めていきましょう。