テキスト版ページへ
See the moon 2007

スペシャル対談 渡部潤一×鏡リュウジ 天文学と占星術が月で出会うとき 進行・構成:林公代

星を仰ぎ、宇宙と私たちの人間を考える。天文学と占星術の起源は同じだったはずなのに、残念なことに今や遠く離れてしまったようにも思えます。そこでDSPACEでは、月をテーマに天文学者の渡部潤一さんと占星術研究家の鏡リュウジさんに「再会」して頂きました。天文学と占星術の蜜月時代から、100億年後の月と人類まで、刺激的な話が満載です。
渡部潤一のプロフィール 鏡リュウジのプロフィール
月の写真(c)kanji Hayashi

第1回 占星術を生業にしていた天文学者たち。

渡部潤一先生と鏡リュウジさん

ガリレオも自分のホロスコープ(天宮図)を書いていた!

-今の天文学と占星術の関係は、鏡さんのブログの表現を借りれば「仲の悪い兄弟のようなもの」だそうですね(笑)。なぜそうなってしまったのでしょう?

渡部:元々、中世までの天文学者は占星術を生業にしてきた側面がありました。たとえば16世紀に生まれたケプラーは、占星術的な仕事をほぼ生業とする一方で、神が創ったこの宇宙がどのように成り立っているかを突き止める中で、惑星の運動の法則である「ケプラーの法則」を導いた。当時の天文学者たちが天文学と占星術をはっきりと分けて考えていたわけではないんですね。ところが自然科学が発達して、神が創った宇宙でなく「世の中がどうしてこうなっているか」を考え始めたときに、おそらく科学が宗教や民俗学的な視点から離れていった。天文学が飛び出していったんじゃないかと思います。

鏡:天文学と占星術は並ぶような学問ではないと思いますが、近代科学の成立のターニングポイントって、やっぱり天文学の出現だと思うんですよ。ルネサンスの時代はまさに占星術的な世界観が主だったのですが、その中から近代科学が自分自身を立ち上げていくときに、占星術の世界から天文学が切り離されていった。

渡部:ケプラー以前の天文学者たちは、必ずホロスコープ(天宮図)を書けましたよね。


鏡:ティコ・ブラーエもそうだし、ガリレオも自分のホロスコープを作っていましたね。

渡部:今の天文学者で書ける人はあまりいない。僕も含めてね(笑)。

-鏡さんは、今の発達した天文学をどんなふうにご覧になっていますか?

鏡:すごいなと思いますよ。去年、冥王星が話題になりましたが、その時代の社会や文化が持っている宇宙のイメージは、どうしても一人ひとりの世界観や人生観とリンクしてしまうところがあると思うんですよ。
 たとえば、天動説の時代、地球がこの世界の真ん中にでーんとあると思っていたときから一転して、地球がこの宇宙の中で、もしかしたらありふれた星のひとつかもしれないとわかったときの世界観はまったく違う。最先端の天文学は、人間がどういう存在なのかについて広い視点を与えてくれる。そういう意味では非常に大事ですよね。

宇宙に意味がなくなった時、人は自由になると同時に強くなることを強いられた

-天文学が非常に発達した一方で、占星術の人気が衰えないのはどうしてでしょう。

渡部:科学は、人類が集団として知を蓄積する仕事だと思う。だから(占星術のように)個々人の心の想いは扱わないし届くものではない。でも人間は誰しも弱いものなので、色々な障害にぶつかったり病気になったりしたときに、指針やガイドラインがほしい。それが宗教で、その一つ手前のところに一種のカルチャーとしての占星術があると思うんです。

鏡:サイエンスは個人の悩みを直接解決するところを禁欲したから成り立ちました。一方、占星術は個々人と宇宙とのつながりをどうしても見出したい、自分の人生に意味を見出したいというニーズに応えているんです。占星術的な世界観や前近代の、伝統的世界観を支えているのは宗教的感受性だといえるでしょう。「人生にも宇宙に意味がある」と考え、それが宇宙の運行によって美しく表現されていると考えたら、それはもう占星術です。宇宙自体がある種の目的を持っていて、そこに生きる人間が理解できる秩序があって、その秩序は一人ひとりの人間の生き方とか社会の構造にまで及んでいると。だから悩んだときに、星の動きを参照すればおのずと光が見えてくるのだと。キリスト教社会では、宇宙は神さまがつくったものだから宇宙の構造を解き明かすことで神が理解できると考えていた。
 ところが近代の科学は皮肉なことに、「ひょっとしたら宇宙に意味なんてないかもしれない。一人ひとりの人生それ自体に意味はないかもしれない」ことを明らかにした。でもだからこそ、狭い伝統的な世界観に縛られていたときには決して発見できなかったことをどんどん見抜いていける。人を自由にするのは近代科学なんです。その分、強い人間でないといけなくなってしまったわけですけどね。

鏡リュウジさんの写真
鏡さんが占星術や心理学に入ったきっかけは?「子どもの頃からタロットなどのオカルトや占星術の世界が好きでした。ところが高校1年で『迷信』だと気づいた。合理的に考えたら星と地上の世界がつながるわけがない。でも当たるような気がするのは確かです。自分のなかに二人の自分がいて、占いが好きな自分が嫌いだった。そんな折にユング心理学と出会った。中身はほとんど同じなのに心理学は学問としてみなされ、占星術は迷信扱い。そこで二つをくっつけようと宗教学や心理学の勉強もしたんです。」

宇宙は月を境に、二分されていた

-さて、そろそろ月の話題を。月は天文学や占星術でどんな存在ですか?

渡部:月は地球を回っている一つの衛星で、結構大きいために地球の進化に大きく影響を及ぼしています。たとえば地球の自転軸が安定して気候が安定したのも月のおかげだと言われています。満月のときに犯罪が多いとか、出産が多いとか、どこまでが本当でどこまでウソか、社会システムや医療が進みすぎた今は、その関連がよくわからないのですが、現在の暦などを筆頭に、月が一つの周期になっていることは確かですね。

鏡:昔の占星術的な世界観の一番大きな特徴は、月から上の世界と下の世界に分けられていたことです。地上から月までが「地上界」で、物事が生まれたり転んだりする不完全な世界。月の上の「天上界」は永遠普遍な完璧な世界。月は天上界の完璧な世界を地上界に伝える、中間の渡し舟の役割をしていたんです。また占星術の中では月も惑星なのですが、惑星の中で動きが一番早いので、色々なできごとのきっかけを作ると言われています。
 ルネサンスの頃の占星術のテキストを読むと、人間の魂は月を通って地上におりたり、あの世に行ったりしています。また伝統的な世界観では、月はお母さんです。女性の周期と月の満ち欠けのサイクルが似ていることに、おそらく旧石器時代頃から人類は気づいていた。だから命の誕生や死という生命活動と、月の満ち欠けは自然にオーバーラップしていたんですね。人が死ぬときは引き潮が多いといわれていて、統計的な根拠はありませんが、自然に口に出してしまうほど、月の影響は大きいのだと思います。

. 渡部潤一先生の写真
鏡さんとお話するのを楽しみにしていたという渡部さん。その理由は?「鏡さんの本には占星術が当たらないとちゃんと書いてある。それは正直だと思ったんですね。普通の占星術師がどういう人かは付き合ったことがないからわからないけれど、おそらく占星術は当たるということを押し出しているのではないかと。それはフェアじゃない。当たるあたらないを含めて、鏡さんは一つ広い視野で見ておられると思ったから。 」

世界中で、月をもっとも愛でてきた日本人

-それでは月と人類、あるいは月と日本人の関わりはどうですか?

渡部:たとえばエジプトではシリウスが昇るのを見て一年の始まりを決めてナイル川の氾濫を予測して、種籾を撒いていた。砂漠の人たちは方向や暦を知る術として星を見ざるを得なかった。ところが日本は山紫水明の国だから、あたりの山や川を見れば自分の位置がわかるし、四季があるから紅葉すれば秋だとわかるから、暦のために星を見る必要はない。だからメソポタミアやエジプトの人たちほど星を見てこなかったんですね。
 一方で、日本人は月を非常によく見てた。月は月読命(つくよむのみこと)が宿る神様だったので、あまり歌に詠まれることはなかったんですが、平安時代頃から天皇と離れた存在としてうたわれるようになりました。世界最古のSF、「竹取物語」も月をテーマにしていますし、月齢ごとに月の別名がありますね。そんな国は他にない。よく見てきた証拠ですね。

-鏡さんの著書で、生まれたときの月の形が支配する性格や運命の本がありますね?

鏡:ルネーションといって、20世紀に入ってからできた占星術の技法ですね。占星術はすべからく「○○みたいな」ということでロジックが展開します。宗教学的にいえば「象徴的思考」ということです。たとえば植物が育って枯れていくとか、人の一生とか、皆さんが体感するような、この世で起こる様々な変化のプロセスを月の満ち欠けと重ね合わせてみることができる。それを満月とか三日月とかいくつかのフェーズに分けて、たとえば「今は月が満ちていくような状態で」とたとえる。そこで単なる記号とドライに考えないで、月と同じようにみんなが生きているんだと考えることができるわけですね。

 

第2回:遠ざかる月。100億年後の別世界とは。