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イノベーションの創出が目的、アート思考ありきではない 顧客が想像できない価値を創造できる人材育成がカギイノベーションの創出が目的、アート思考ありきではない 顧客が想像できない価値を創造できる人材育成がカギ

 数値で表せられるような商品仕様では、差別化できない時代になってきている。人々は、商品仕様だけでなく、気持ち良い使い心地や製造プロセスでの匠の技へのこだわりなど、自身の主観から導かれる暗黙的な部分に価値を見出している。このような顧客に対して企業としてイノベーションを創出するためには、これまで主流であった論理的アプローチではなく、創造的で柔軟な視点を用いた思考法が重要となる。
 思考法の代表的なものにアート思考やデザイン思考などがあるが、このような思考法を実際の製品、サービス開発にどのように活かしていくべきなのか。製造業の経営に詳しい同志社大学 大学院ビジネス研究科の延岡健太郎特別客員教授に話を聞いた。

延岡健太郎さんの写真

同志社大学 大学院ビジネス研究科 特別客員教授

延岡 健太郎(のべおか けんたろう)

1959年広島県生まれ、81年大阪大学工学部卒業、同年マツダに入社。88年マサチューセッツ工科大学より経営学修士取得、93年マサチューセッツ工科大学よりPh.D.(経営学博士)取得、94年神戸大学経済経営研究所助教授、99年同教授、2008年一橋大学イノベーション研究センター教授、18年大阪大学経済学研究科教授、24年同志社大学ビジネス研究科特別客員教授。主著に『製品開発の知識』(日経文庫、2002年)、『マネジメント・テキストMOT[技術経営]入門』(日本経済新聞出版、2006年)、『価値づくり経営の論理』(日本経済新聞出版、2011年)、『アート思考のものづくり』(日経BP日本経済新聞出版本部、2021年)、『キーエンス 高付加価値経営の論理』(日経BP日本経済新聞出版本部、2023年)などがある。

イノベーションは技術革新ではなく価値の創出

――新たな思考法が必要とされるのはなぜでしょうか。

 今、多くの企業で必要とされているのは「イノベーション」です。イノベーションとは「技術革新」ではありません。「社会に役立つ新たな価値の創出」、言い換えれば、技術革新などの手段ではなく、結果として「社会や顧客の繁栄に結びつく新しい価値を創出すること」がイノベーションです。

 たとえばイノベーションによって、10万円の原材料から多くの顧客が50万円を出してでも欲しいよというものを造ることともいえます。つまり、「顧客が高くても喜んで買いたいと熱望する価値を提供する」こと。そのためには何よりも、大きな価値を創り出すために何をすればいいのかを構想することが先決です。そして構想するために必要となるのが、これまでの開発アプローチと異なるアート思考やデザイン思考です。

 では構想を造りあげたうえで、ものやサービスとして実現するためには何が必要となるか。私はそこに、「サイエンス」「エンジニアリング」「デザイン」「アート」の4つの手段が必要だと考えています。これを組み合わせることが、私が提唱している「SEDA(シーダ)モデル」で、アート思考はそのモデルを構成する1つの要素です。

 ここで重要なのは、4つの手段のうちすべてを上手く使えなければならないということ。つまり、アート思考に偏重してはダメですし、アート思考から始めるのもダメなのです。

※SEDAは、Science、Engineering、Design、Artの頭文字。

変貌する顧客価値は統合的価値から生まれる

――SEDAモデルを詳しく説明してください。

 1990年代以降、商品やサービスの価値の内容として、技術スペックや商品仕様などの「機能的価値」だけではなく、顧客自身が使用するコンテキスト(文脈)を拠り所として主観的に意味付ける「意味的価値」が重要になってきました。すると、数値化や言語化ができない暗黙的な価値が求められ、イノベーションが目標とするべき顧客価値も大きく変わりました。それは、機能的価値と意味的価値を組み合わせて共創される「統合的価値」です。

 平たくいえば、消費財では心を動かされる外観や、気持ち良い使い心地。生産財では、売上・利益の増加やコスト低減など、具体的に役立つソリューション価値です。イノベーションには意味的価値が必要ということで、ここでアートやデザインの重要性が高まりました。

 注意すべきなのは、暗黙的な意味的価値だけを過度に重視することを避けなくてはならないということです。暗黙的な価値の創出にも、技術革新が決定的な役割を果たす場合が多く、これらは相互依存性も高いので、複雑な統合プロセスが求められます。世間ではよく「『モノ』から『コト』へ」と呼んだりもしますが、それだけでは不十分で、私は「『モノ』から『モノとコト』へ」だといっています。

 統合的価値を効果的に構想するための概念モデルとして、提唱したのがSEDAモデルです。横軸は、機能的価値(形式知)か意味的価値(暗黙知)かという「顧客価値の暗黙性」、縦軸は、新しい価値や問題を提起するのか(問題提起・価値探索)、既存の課題を解決するのか(問題解決・価値深化)、という「顧客価値の革新性」の軸です。

SEDAモデル。主に技術革新によって機能的な価値の新たな可能性を探索し提起するのがサイエンス、機能的な価値で顧客の問題を解決するのがエンジニアリング、意味的な価値で顧客の問題を解決するのがデザイン、意味的な価値で顧客の想定を超えた革新的な問題提起をするのがアートである。

 縦軸の機能的価値にあるサイエンスとエンジニアリングの違いでいえば、ノーベル賞を取るような革新的な基礎研究で顧客も想像できない価値創出をするのがサイエンス、顧客のために非常に使いやすく、機能性も高いものを開発設計するのがエンジニアリングです。一方で意味的価値の方は、顧客が見て喜んだり、ものすごく使いやすい操作性の良さだったりを形にするのがデザイン、顧客の想定を超えたこれまでに無い商品コンセプトなどで革新的な問題提起をするのがアートです。

 アート思考とデザイン思考の最大の違いは、目指す目的設定の方向性です。デザインが顧客のニーズ・要望に対応するのに対し、独自コンセプトの自己表現を行うのがアートです。さらにいうと、デザイン思考は顧客の具体的な問題解決を最優先しますが、アート思考は社会的な使命など高度な視点から、独自に考える理想や哲学を描き、それを提起・表現するのです。

スティーブ・ジョブズは顧客に迎合していない

――4つあるSEDAモデルの手段の中で、アートは特に気を付けるべきでしょうか。

 実は、本当に成功している人は、アート思考がきちんと使えていることに着目すべきです。いい換えると、これまでの日本は機能的価値を突き詰める傾向にあり、デザイン思考はまだしも、アート思考をきちんと使える人がいなかった。よってアート思考は差別化において重要だといえます。

 わかりやすい事例として、アップル創業者のスティーブ・ジョブズを取り上げましょう。ジョブズは、顧客ニーズに対応するのではなく、パソコンやスマートフォンで、想定を超えた圧倒的な使いやすさや美しさを表現して、世界の人々を魅了しました。

 アップルの商品哲学で最も重要なのは、「Freedom(自由)」です。使いやすくストレスを全く感じることなく自由に使える商品、それがアップルの哲学です。マウスを使って子供でも簡単に扱えるOSを採用したパソコン「マッキントッシュ(Mac)」を皮切りに、顧客が情緒的に愛着を持つほどの使いやすさと自由さは、iPhoneやiPadに受け継がれています。アップルは顧客のニーズや困りごとに対応するのではなく、自社が信じる哲学を表現し続けた。これこそがアート思考です。アート思考で成功すると熱狂的なファンが生まれます。

 重要なのは、ジョブズやアップルが、SEDAの中でアートだけを使えたわけではないということ。4つの手段すべてを自由に組み合わせて使えたことが、ここまでの驚異的な成功をもたらしたのです。

 サイエンスの視点でいえば、先述したマウスの導入で操作スピードと使いやすさを向上させ、またiPhoneやiPadでは、高度な研究開発が求められるCPUやGPUを初期から独自設計しています。エンジニアリングでは、最終組み立ては外注ですが、実は高度なものづくりに徹底的に投資して製造技術を鍛えています。アップルの成功要因には、エンジニアリングやサイエンスを含めたSEDA全体としてのレベルの高さがあるのです。

想定を超えた感動を与えるのがプロ

――SEDAモデルを使って新しい価値を創出するために留意するべきことは何でしょうか。

延岡健太郎さんインタビュー中の写真

 「イノベーションを生み出すのに顧客の声や具体的な要望に頼らない」、という意識を持つことです。

 顧客のニーズや困り事を聞かなくても、顧客の想定を超えるものを創り出し、感動をもたらす顧客価値を目指すのが真のプロフェッショナルです。スティーブ・ジョブズが顧客に、「どんなスマートフォンが欲しいですか?」と聞いたなんてあり得ない。三つ星シェフは顧客に好みの味を聞きません。つまり、全ては「どういうものを作って顧客を感動させたいのか」ということであって、先に来るのは顧客にもたらす価値なのだということです。

 マツダでは、アート思考の考え方のもと、常識を超えたエンジン技術や感動をもたらすデザインなどを生み出す「魂動(こどう)デザイン」というコンセプトにたどり着きました。チームを率いたシニアフェロー ブランドデザインの前田育男氏は、「毎日、自動車の理想を考え続けているのは我々だ」「顧客の声に右往左往するのはプロとはいえない」と話していました。短期的な視点から顧客の好みに合わせたのではなく、理想を探求することで顧客の想定を超えて、感動をもたらしたのです。その結果、カー・オブ・ザ・イヤーをはじめ多くの賞を受賞しています。

 一方で、理想が高くても、商売にうまく結びつかなくてはなりません。アートを追求したゴッホの絵は生前、まったく評価されませんでしたが、同じことが企業で起こると経営学としては問題です。ですから私は、「顧客にきちんと伝わる、評価をしてもらえるところも経営学におけるアート思考には加えましょう」といっています。

 例えば生産財では、自社の製品を使ってもらうことで顧客企業が実際にコスト削減などの利益向上ができるような、具体的な提案が必要です。顧客のおおまかなコストも含めて使用実態を十分に理解した上で、プロとして顧客の想定を超えた高度な提案ですね。それが生産財のアート思考です。真のイノベーション創出には、技術者にもコンサルティング能力が求められます。顧客にとって費用対効果が高ければ、いくら高価でも喜んで支払ってくれます。

正しく目標設定ができていない日本

――統合的価値が必要とされるのには、ニーズの多様化に応えなければならなくなったことが影響していますか。

 多様化というよりも、時代がモノからコトへと向かう中にあって、機能的価値だけでは差別化できなくなり、利益が出にくくなったことがあります。仮に差別化できたとしても、機能的価値だけではすぐに模倣されます。また、顧客の求めるものが急速に高度化し、単純に仕様で表される価値を超えた価値が重要になったことがあります。

 そうなった時に、日本が抱える大きな問題が出てきます。目標設定が正しくできないということです。例えばノートパソコンなら、ExcelとWordが使える、インターネットにアクセスできるなど、求められる基本機能であればどの企業もが実現できるようになり、どんどん値段が下がってしまった。日本の企業は、「パソコンに機能を超えた意味的価値なんてだれも求めていないし無理ですよね」と諦めていた。ところが、スティーブ・ジョブズは価格が10万円高くても多くの人が欲しがる「MacBook Air」のようなものを生み出した。「持っているだけで人生が豊かになった」「自分の価値を一気に上げてくれる気分になる」といった部分、すなわち意味的価値の部分をきちんと考えた商品です。

 日本は、マスコミが悪くもあるのですが、AI(人工知能)や生体認証などのワードを切り出して、機能的価値や技術という手段に注目させて目標にしてしまう。手段の目的化ですね。一方で、デザインとアートのところばかりを強調するのも、手段を目標にしているという意味ではほぼ同じです。本当に大きな目標として、価値としてのイノベーション創出を目指さなくてはならないのです。

 これは、生産財の場合でも同じです。企業が自治体のオペレーション改革を任されたとします。「AIを使えばいろいろできる」「デジタルトランスフォーメーションを推進します」などと、提案するかもしれない。でも、自治体が期待するのは技術革新の話ではない。「皆さんも一生懸命考えておられますが、当社はプロです。任せていただけば人やコストが半分になります。市民の税金も3年後には3割減らせます」という話を聞きたいわけです。これこそが企業に期待されるイノベーションであり、大きな目標です。

統合的価値を生み出せる人材育成が急務

――企業がSEDA人材を育成するにはどうすればいいのでしょうか。

延岡健太郎さんインタビュー中の写真

 具体的に求められるのは、意思決定のための分業体制の見直しと、統合的価値の創出能力の高い人材育成です。最初に検討するべきことは文理融合でしょう。統合的価値を創出するためには、役割を分担するとうまく機能しません。技術者が開発の中で、通常は文系人材が担当している役割、消費財であれば意匠・ブランド、生産財ではソリューションなどを合わせて構想する必要があります。

 歴史的に見ると本来、設計業務の中でエンジニアがデザインも行っていました。それが、大量生産が求められる中、分業体制を取らざるを得ず、SEDA人材は減ってきました。こうした中でも、建築の世界には今でもSEDA人材が多くいます。機能的であると同時に、高い芸術性を求められる建築作品には、常に統合的価値が重要であったからです。隈研吾氏は、代表的なSEDA人材といえます。

 ただし、デザインを考慮できるエンジニアを各企業が個別に育成するには限界がある。大学と大学院教育の見直しが必須です。SEDA人材は工学部が育成を担うべきでしょう。実際に工学部の建築学科では育成してきました。工学部の大きな目的の1つは、社会にとって価値が大きいものを設計開発する技術者の育成で、これまではエンジニアリングとサイエンスが主に求められてきました。イノベーション創出が求められるようになった今、アートとデザインも加えて、4つの手段全てを網羅した人材を育成する教育にすべきです。

 デザイナーとエンジニアの両方の能力を備えた人材を、最大限に活用する取り組みを進めてきたのが、英国のダイソンです。創業時から、商品開発の多くの人材が、大学や大学院でエンジニアリングおよびアート・デザインの両方の教育を受けています。私がダイソン本社を訪問した際、600人いたエンジニアの約450人以上がデザイン・エンジニアでした。要素技術の研究者以外はほぼ全員です。同社の広報担当者は「我が社にはエンジニアもデザイナーもいません。デザイン・エンジニアだけです」と断言していたのが印象的です。

顧客にとっての価値を徹底的に考える

――イノベーション創出を目的としたら、どんなことを心掛けるべきでしょう。

 自分の得意な分野で、顧客にとって本当に大きな価値とは何なのかを発想することでしょうか。そこをスタートポイントにしてほしいし、常にそこに立ち返って構想し続けることをやり続けて欲しい。

延岡健太郎さんインタビュー中の写真

 そして、繰り返しになりますが、手段を目的化することだけは避けること。「われわれは多くの技術を持っているのでこれを何とか価値に結びつけたい」というのが昔の技術経営でしたが、技術はあくまで手段です。今の世の中は、「どのような大きな価値を作るのか」、そこから発想しないとダメです。

(写真:太田未来子)
※本記事内の製品やサービス、所属などの情報は取材時(2025年2月)時点のものです。

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