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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

月への移住を可能に。人工重力施設「ルナグラス」
—発想の元は不安 !?

日米政府が、国際協力プロジェクト「アルテミス計画」で日本人宇宙飛行士2人が月面を歩くことで合意した。早ければ2028年にも、アメリカ人以外で初めて日本人が月面を歩く姿が見られるかもしれない。さらに2031年ごろ、日本が開発する月面与圧ローバーが打ち上げられ、日本人飛行士が操縦することを目指すという。

人類が再び月に戻り、活動領域を広げ、月に社会を築こうとしている。今年後半、月着陸を目指す日本のスタートアップispaceは、2040年頃に月に1000人が暮らし1万人が月と地球を往復する「Moon Valley」構想を掲げる。1000人が月面に暮らす頃には、人工重力居住施設が必要と考え「ルナグラス」を提案するのが、鹿島建設の大野琢也さんだ。

人工重力居住施設「ルナグラス」の完成イメージ。施設全体は幅557.46m、高さ535.78m。そのうち合力1Gとなる「ルナポイント」は半径100mのエリア。1分間で3回転することで人工重力を発生。約1万人を収容できる。(提供:鹿島建設)

大野さんは中学生のころから人工重力居住施設を考えていたという。その根底には、宇宙への憧れというより「不安」があったと吐露する。

鹿島建設イノベーション推進室の大野琢也さん。中学生の頃から人工重力居住施設を研究し続けてきた。左はルナグラスの2000分の1模型。

「宇宙に行く人は行きたいから行く。マイナス要素も気にならない。でも1000人も月で暮らせば家族ができることもあるでしょう。月で生まれた第二第三世代にとっては『地球に住むことが夢』かもしれない。(月の重力6分の1Gに適応し、1Gの)地球に自分の体で立てない可能性があるのです。そんな状況は悲劇的です。なんとか地球でも立てるようにする暮らしが月面でできないか。1Gを月面で再現する方法を考えて、天体上での人工重力居住施設を考案しました」と語る。

人工重力居住施設の3つのステップ

月面で暮らすためには様々な課題がある。真空で空気がない。放射線や隕石が直接降り注ぐ。長い夜。激しい温度差。そして意外に忘れられがちなのが「低重力」だ。

月は地球の約6分の1の重力しかない。無重力状態のISS(国際宇宙ステーション)で数か月間暮らす宇宙飛行士は、毎日約2時間の運動が課されている。それを怠れば筋力や骨量が減少し、地球に帰還後、1Gの重力下で歩くことが困難になる。骨量減少のスピードは骨粗鬆症患者の約10倍ともいわれる。月面にはわずかな重力があるから、無重力状態よりはましかもしれない。だが低重力環境で骨に負荷がかからないため、カルシウム分の放出は避けられないだろう。

骨の健康が損なわれると血液の健全性に影響が出る可能性がある。また、月面環境で妊娠・出産ができるのか、正常に発育できるかも大きな課題になるだろう。

鹿島建設の人工重力居住施設のパンフレットには「水や空気は持って行けても、地球から重力を持っていくことはできません」と書かれている。宇宙空間や他天体で、人類が安心して子供を産み、いつでも地球に帰還できる体を維持するには「人工重力居住施設」が必要と説く。

人工重力居住施設は、施設を回転させ遠心力を発生させることによって、天体固有の重力と遠心力を合成し、1Gを作り出す。いきなり1万人が暮らす施設を作るのは難しいため、大野さんは人口の増加に合わせ、段階的に施設の規模を拡大することを提案している。

まずは10人から100人の簡易施設。「H3ロケットのロングフェアリングに入るぐらいの大きさの居住施設を二つ月面に運び、ヤジロベエにして回転させるだけで人工重力を作ることはできる」(大野さん)。

月面溶岩孔内の簡易人工重力居住施設。10~100人が滞在可能。(提供:鹿島建設)
月面溶岩孔内のグラス施設。100~1000人が滞在可能。(提供:鹿島建設)

人間が月面で暮らし始める初期には、月面の地下に広がる溶岩孔が適していると言われる。2017年、JAXAは月周回衛星「かぐや」の観測データ解析から、月の火山地域の地下に、複数の空洞の存在を確認したと発表。確認された地下空洞の一つは、「かぐや」が発見した縦孔を東端として、西に数10km伸びる巨大なものだった。その天然の地下空間を使えば、放射線が遮蔽でき、隕石から防御できる。温度も月表面に比べれば安定するなど人間の居住に適している。ここに人工重力居住施設を作れば、長期間の滞在が可能になるだろう。「小さい規模なら2040年頃には実現可能」と大野さんは考えている。

次の段階は地下の溶岩孔内で100人から1000人が暮らすことを想定した施設。実現時期は「頑張れば2050年ごろ」(大野さん)。まずは月から地球に帰るためのリハビリ施設として、また妊婦さんが住む施設として使ってもらえたら、と想定している。

そして1000人から1万人が月面に暮らす時代には、ルナグラスが必要になる。

遊びは低重力エリアで、生活は標準重力エリアで。「ルナグラス」詳細

「ルナグラス」ではさまざまな重力のエリアを実現可能。1Gでの標準重力エリアに暮らしながら、火星滞在のトレーニングもできる。(提供:鹿島建設)
放射線の遮蔽は水と金属板を検討中。「巨大フレアが太陽で発生した際は、溶岩孔に避難する必要があるでしょう」(大野さん)(提供:鹿島建設)

ルナグラスはどんな施設なのか。詳細を見ていこう。全高は約536m、全幅は約557m(1Gのルナポイントは回転半径100m)。全体的にシャンパングラスのような切り立った形状になっている。回転周期は1分間に3回転。特徴は様々な重力レベルの部屋があること。

図中⑥の青い部分が標準重力エリア(1G+10パーセント)で、月面に長期滞在する人は基本的にここで生活する。ルナグラスの壁面方向に地面がある。実際の月面はほぼ垂直方向にあり、真横に月面を見るようなイメージだ。

標準重力エリアの外側が高重力エリア(⑤ピンクの部分)。④では木星の重力(2.5G)が体験できる。内側は低重力エリア(⑦黄色の部分)。③の火星腕(3/8G)で火星居住のための訓練や研究を行うことが可能だ。②には公園があり海や森、大地が再現される。

施設全体が回転しているため、簡単に外にでることは難しい。ルナグラスから仕事や遊びに行くにはルナビークルという交通機関で移動する。「ルナビークルに乗って駅に着いてから、月面を歩くことができます」とのこと。

大規模施設ルナグラスの実現には100年ぐらいかかるとみているが、課題はなにか。「放射線遮蔽を何でするか、水か金属か。ルナグラスの素材に何を使うか、回転させるエネルギー源を何にするか。超電導が将来もう少し高温で実現できれば、使えるかもしれない」。課題は少なくないが、NASA関係者から「世界中でこれほど詳細な人工重力居住施設の構想はないが、いずれは必要となる技術だろう」という意見をもらったそうだ。

京都大学と共同研究。
「宇宙に縮小生態系をどう移転するのか」もテーマに

地球周回軌道上の劇場。地球を見ながらコンサート。(提供:鹿島建設)

2022年7月、鹿島建設は京都大学と人工重力居住施設について京都大学の山敷庸亮教授主導のもと、共同研究をスタートした。月や火星で生活するためにどのような環境や施設が必要になるのか、月や火星で衣食住を可能にし社会システムを構築するには、どのような観点や技術が重要なのかが研究テーマだ。

人工重力居住施設ルナグラスはもちろん、どうやって居住施設に縮小生態系を移転できるか、惑星間を移動する人工重力交通システムを含めた3つの構想を掲げ、その実現に向けた研究を着手しているという。

実際にルナグラスの中で、空気や水などの閉鎖的な循環を実現できるのだろうか? 山敷教授によると、「ルナグラスの規模で本当にクローズドな生態系とした場合、数人程度しか住めません。いかにこの地球が人類に対してバッファ(ゆとり)をもった生態系になっているかということですね」ということだ。

大野さんは山敷教授に同行し、アメリカ・アリゾナ州にある閉鎖生態系施設「バイオスフィア2」を視察に訪れたことがある。「施設の周囲に気圧を調整する肺のような施設、電源を供給する施設などたくさんの施設がありました」。閉鎖生態系を作り出すのは簡単ではない。「どのくらいの規模の施設が必要かを、京都大学との共同研究で明らかにしたいと思っています」。1万人が暮らす際の酸素や水の供給、二酸化炭素の排出などの生命維持機能をどう実現するのか、非常に興味深い研究だ。

火星の場合は? マーズグラス

ワイングラスのようなマーズグラス外観と内部。(提供:鹿島建設)

火星の人工重力居住施設マーズグラスの研究も同時に進められている。マーズグラスはルナグラスに比べると、グラスの開口部分が大きい。ルナグラスがシャンパングラスなら、マーズグラスはワイングラスといったところか。

これは火星のほうが月面より少し重力が大きいから。重力と遠心力の合力で1Gを作るが、月の重力は小さいために遠心力が大きく、月面に対してほぼ垂直に1Gの地面ができる。その地面をつないでいくと、シャンパングラス状になる。

放射線被ばくという観点では、太陽からの距離が遠い火星のほうが居住に適していると大野さんは言う。ただし人が行くことを考えたときに火星は距離が遠すぎる。「火星に行くこと自体が難しく建設も困難です。人間がまず行って社会を築くのは月面になるでしょう」。火星へ行く前の練習台にも月面は最適だ。

人類の分断を避けるために

今年度、大野さんが本格的に取り組みたいテーマは、ルナグラスが成り立つかどうかの検証だという。「構造の成立性や、本当に施工ができるかについて実験しながら研究したい」。

実は大野さんは中学生のころから人工重力居住施設を研究していた。

「小学5年生ごろに宇宙に住めるかもしれないという記事を読んで『これはすごい時代に生まれた』と思いました。でももう少し調べると、宇宙空間や月面では重力が小さすぎて、長く暮らすと地球に戻れない体になることがわかった。『宇宙旅行ちゃうやん、人類がばらばらになるやん。これはまずいぞ』と」。

そんな問題意識を抱えていた大野さんが中学生の時に出会ったのが、アニメに登場する人工重力施設。スペースコロニーを見て衝撃を受ける。

「『これなら住める!』と思ったんです。高校生の時に、規模を小さくすれば実現可能ではないかと具体的に検討し始めました」。実は大野さんは、もともとは宇宙開発賛成派ではない。「場所の取り合い、資源の取り合い‥人類はもう少し洗練されてからでないと、宇宙に行ってはいけないんじゃないかと思っていました」

人工重力施設にこだわるのは、人類の分断を避けたいから。「月面にしか住めない人たち、火星にしか住めない人たちが増える。一方、資源は地球にたくさんある。となれば、どう考えても天体間で争いになってしまう。もっとテクノロジーが進化したらどの天体にも住めるようになるでしょう。でもそうなるには100年以上はかかるだろうし、今はまだそうではない。争いを避けるためのつなぎの100年に、人工重力施設は役立つと思います」。

火星移住を唱える民間企業や国はある。でもこれほど人類の未来を真剣に考えた構想はないかもしれない。人工重力居住施設はSFの世界と思っていたが、その実現を今から真剣に考える必要があるようだ。

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