和食シリーズ企画第四弾 日本人の食卓―100年の歩みを辿る #0 企画会議篇和食シリーズ企画第四弾 日本人の食卓 - 100年の歩みを辿る #0 企画会議篇

「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されてから数年が経ちます。
「このままでは衰退する可能性がある食文化」とされた和食は、あれから歩みを前へと進めることができたのでしょうか。
2021年に創立100周年を迎えた三菱電機は、日本の暮らしとともに歩み続けてきました。
これからも家電メーカーとして日本の食文化に寄り添っていくために、
この100年間の日本人の食卓、そして家電の歩みを振り返り、次なる100年を考えていきます。

100年前はどんな時代だった!?

司会
大好評の和食シリーズ企画もいよいよ第4弾、新シーズンに入ります。今回の大きなテーマは「日本人の食卓 - 100年の歩みを辿る」。日本人の食を中心に、家電や暮らしそのものがこの100年でどう変わっていったか。ざっくり申し上げると、100年前から現在までの家庭の生活を見つめ直そうという壮大な企画です。
編集部員A
100年前と言えば、1918(大正7)年。私たちのおじいちゃん、おばあちゃん世代が青年期を過ごしたくらいの時代でしょうか。
編集部員B
私の祖父母はまだ生まれていないですね。確か祖父が三菱電機と同じ1921年生まれですから。当時は現代まで続く大手製造業が続々と起業した時代ですよね。電機、自動車、光学機器ーーさまざまなメーカーがこの頃に創業されています。
レシピ担当
食で言うと1918年は「米騒動」があった年ですね。当時の人たちにとって、いま以上に主食だった米の価格が半年間で2倍以上にも上がるという異常事態だったそうです。余談ですが、日本で初めて国産のチョコレートが発売されたのもこの年でした(笑)。
司会
1914(大正3)年に始まった第一次世界大戦がこの年に終わり、1923(大正12)年には関東大震災が起きた。前後を含めて激動の時代だったのは間違いありません。明治維新で国の形が変わり、大正から昭和初期にかけても食生活を始めとしたライフスタイルも大きく変わっていった。ただそうはいっても、庶民の暮らし向きについては年表を振り返るだけではなかなか見えてきません。

扇風機はあった。食卓はどうだった?

編集部員A
やっぱり生活者がどんな暮らしをしていたかが知りたいですよね。それこそ家族の食事はお膳だったのか、ちゃぶ台だったのか、まさかまさかのテーブルだったのかとか。
編集部員B
さすがに100年も前にテーブルということはないんじゃないですか。昭和の頃のドラマでもちゃぶ台が残っているくらいですから。
編集部員A
100年前なら結構モダンな暮らしをしている家庭もあったかもしれませんよ。だって当時、1921年に創業した三菱電機は扇風機から始まっているじゃないですか。
編集部員B
そうだ! 三菱の「初号扇」はちょうど100年前の1918年に量産が開始されているんですよ。
司会
ちょっと待ってください。三菱電機の創業が1921年でそれより前に扇風機の量産がスタートしていたということですか?
編集部員B
そうなんです。詳しくは今後の回に譲りますが、実は三菱電機の創業よりも初号扇の発売の方が先なんです。
編集部員A
「この100年で気温が2度上昇した」なんて言いますが、言い換えれば100年前もいまの夏と2度しか変わらない。もしかすると扇風機は暮らしの必需品だったんじゃないでしょうか。
司会
大正時代は明治時代に一気に入ってきた海外の文化やアイテムが身近に感じられるようになり、生活者も手が伸ばしやすくなってきていた頃かもしれません。
レシピ担当
食べ物でも東京や大阪など都市部では、洋食も珍しくはなくなっていた頃ですよね。都内にも創業から100年以上を数える老舗の洋食店が何軒もあります。

食卓に洋食が上りはじめた大正期

司会
料理にしても、当時は明治に導入された海外の料理がだんだんと家庭に入っていく頃ですよね。明治維新で奨励された肉食が早期に普及した都市部では、市民が外国の料理を受け入れるのも早かった。このシリーズ企画は「和食」がテーマですが、「日本の食」を考えるとき、むしろ「洋食」をどう捉えるかは重要な要素になるのではないでしょうか。無形文化遺産の「和食」の概念も「一汁三菜」などの食事スタイルや、「おせち料理」などの伝統食を指します。ハンバーグやラーメンなど、個々のメニューについて線引きはしていませんし。
編集部員A
明治後期から昭和初期を舞台にしたドラマなどでよく見かけるのは、カレーやシチューといった煮込み料理に、カツやコロッケなどの揚げ物。あとオムレツやオムライスもよく登場する気がします。
編集部員B
ラーメンやワンタン、シュウマイみたいにいまや日本食として定着した、中華料理もそうですよね。当時のレシピを現代の調理家電で再現するのも楽しそうですね。食材や調理器具も違うでしょうし、もしかするとアレンジされていない原型のようなレシピもあるかもしれない。その頃にはとてもたいへんだった調理工程が、いまのIHクッキングヒーターならもっと簡単&時短でできてしまうかも!
レシピ担当
それはありそう。明治時代にはもう西洋料理や中華料理のレシピ本は結構出てるんですよ。初期の頃はまだ手に入らない材料も多く、素材を日本向けに置き換えたりとかして。現代の洋食や中華料理の原型は、そうした工夫のなかに垣間見えるかもしれません。
司会
明治中期には「和洋中」のレシピを一冊にまとめたような料理書が出版されていますし、後期には辞書のように分厚いアメリカのレシピ書も翻訳されています。
レシピ担当
思いのほか原型に近い、きちんとしたレシピもありますし、手軽にできるよう調整したレシピもありますよね。大正期になると「西洋」と謳っていない料理書にもオムレツのレシピが登場したりもします。もしかするとレシピ探しより、選ぶ作業が大変になるかもしれません。
司会
そういえば先日、1919(大正8)年に発行された「即席 珍料理の拵へ方」という料理書を見つけたんです。12か月分の時節に合わせた西洋料理が載っていましたが、かなりトリッキーな料理も載っていて楽しそうでした(笑)。
編集部員B
そういう料理もいいですね。まだ海外から入ってきた食文化が未成熟だった頃に登場しては消えていった時代の徒花のような料理はなかなか紹介する機会もありませんし。おいしいかどうかは、かなり疑問ですが。
レシピ担当
最終的には試してみないとわかりませんが、見るからに怪しいものもありそうですよね。
編集部員A
再現して食べるかはともかくとして(笑)、どういうレシピが当時紹介されていたのかは興味深いですよね。今回の企画は「正解探し」を目的としているわけではなく、100年前の食や家電を振り返ることで、当時の気風や暮らしに触れることが目的ですから。
司会
では次回から、早速100年を振り返る旅を始めていきましょう!
「100年前」といっても、みなさんのイメージもそれぞれだと思います。まずは、当時(大正時代)の暮らしぶりをリサーチすることからスタートしましょう。

司会・構成/松浦達也

2018.09.28

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