和食シリーズ企画第四弾 日本人の食卓―100年の歩みを辿る和食シリーズ企画第四弾 日本人の食卓―100年の歩みを辿る

#02 — 100年前の食卓篇

「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されてから数年が経ちます。
「このままでは衰退する可能性がある食文化」とされた和食は、あれから歩みを前へと進めることができたのでしょうか。
2021年に創立100周年を迎えた三菱電機は、日本の暮らしとともに歩み続けてきました。
これからも家電メーカーとして日本の食文化に寄り添っていくために、
この100年間の日本人の食卓、そして家電の歩みを振り返り、次なる100年を考えていきます。

和食シリーズ企画第4弾「日本人の食卓 - 100年の歩みを辿る」。第2回の今回は、文字通り「食卓」から日本人の食風景を振り返ります。100年前の日本人はどんな食卓で食事をしていたのでしょうか。当時使われていた「箱膳」を使い、日本の食べごと文化をいまに伝える活動が行われている長野県の鬼無里(きなさ)村に伺いました。

ご案内いただいたのは、
長野県農村文化協会常任委員の
池田玲子(いけだれいこ)さん。

長野県飯山市生まれ。県内各地の農業改良普及所において生活改善活動に従事し、県専門技術員、県農業大学校教授等を歴任。退職後、長野県農村文化協会常任委員に就任し、食農教育および食文化の普及につとめる。

この100年で日本の食卓の風景は大きく変わりました。特に「食卓」そのものは、100年間で2度も大きな変革が起きています。現代で使われているテーブルの前はちゃぶ台、そして100年前には、前回の下町風俗資料館取材でも登場した「箱膳」と言われるお膳が広く使われていました。

「一汁三菜」の正しい配膳法

池田さん
(以下 敬称略)
今日は遠いところを、よくいらっしゃいました。
編集部
こちらこそお時間をいただき、恐れ入ります。こちらでは「箱膳」を使った食事体験ができると伺いまして。

箱膳を現代に伝える池田さん

池田
そうですね。そもそもは箱膳ありきではなく、昔から日本人が大事にしてきた食習慣や食の作法を若い世代に伝えようと考えるなかで箱膳を使った活動をするようになったんです。いまは田舎でも隣近所の付き合いや祭りもなくなってきている。そんななか、箱膳でなら若い世代に「食」を伝えられるんじゃないかと思ったのがきっかけですね。
編集部
実際に体験会はどのように行われるのですか?
池田
それでは、まずは体験していただきましょうか。

お座敷に並ぶ箱膳たち

座り方は車座のほか、父親を扇の要の位置に据えて子どもたちは広げた扇状に座るなど、地方・地域によってさまざまある。ごはんと汁物は「嫁」がよそい、おかずや漬け物は丼や鉢で回して各自が取る地方・地域も多い。家長にはいいおかずがつくなど序列が明確だった。

編集部
これは壮観ですね。
池田
普段は箱の中に茶碗や汁椀などをしまっておき、箱の中から取り出して、裏返したふたの上にうつわを置いて食事をします。基本は一汁一菜だと考えてください。一汁一菜とは主食のごはんに、お椀の「みそ汁」、おかず――惣菜の「一菜」を足したもの。「香の物」は数えません。
編集部
ユネスコの世界無形文化遺産に登録された「和食」の下敷きになったのは「一汁三菜というスタイルに象徴される食様式」だとも聞いています。
池田
そうですね。しかし100年ほど前、箱膳を使うような庶民の食は一汁一菜だったと言われています。貧しい農村では「一菜」もなく、代わりに具の多いみそ汁だったそうです。今日は一汁三菜ですからたいへんなごちそうです。さて箱膳の上で配置してみてください。みなさん、正しく配置できますか?

基本は一汁一菜

編集部
確か、ごはんが左手前で、椀物が右、奥に主菜と副菜が……。あれっ? 漬け物はどこに置くんだっけ。しかも、箱膳の上という限られた空間だとどう置くかが難しいですね。

一汁三菜の正しい配置

左手前に主食のごはん、その右に汁物。右奥に主菜を置き、左奥に副菜。副々菜の小鉢や香の物は主食と汁物の間に配する。

箱膳の食器は洗わない?

池田
それではいただきましょうか。今日は豪勢にもう二品ばかり大皿に盛った惣菜を回しましょう。主菜のお皿の空いたところにでも取り置いてください。


いもなます


干しなすの油炒め

編集部
こうして食べると不思議とバランスよく食べようという気持ちになりますね。ごはんと汁物とおかずが、自然と均等に減っていく気がします。
池田
食べ終えたら飯碗にお湯を注ぎ、たくあんなどの漬け物で飯碗についたごはんのおねばを洗い、湯漬けのように飲みます。もちろん、漬け物も食べます。ざっときれいにしたら、ふきんで拭いてこのまま箱膳にしまいます。あとはフタをして部屋の隅やお膳用の棚などに積み重ねておけば、場所も取りません。
編集部
洗わないんですか……!?
池田
水洗いは、多い地域でも月に数回、少ない地域だと年に数回だとも言います。当時、水は井戸や沢から汲んで来なければならない貴重なものでした。毎食洗い物に使えるほど水は潤沢なものではなかったのです。うつわが自分専用だからこそ、成立した使い方かもしれません。
編集部
当時は家族めいめいが自分専用の箱膳やうつわ、箸を持っていたんですね。
池田
そうです。小学校に上がる頃になると自分の箱膳とうつわがもらえます。ただし、うつわを含めた箱膳の管理は自分で行わなければなりませんし、箱膳を戸棚から出して並べたり、片づけたりするのも子どもの仕事。1人前扱いされるということは、労働力にも組み入れられるということです(笑)。
編集部
箱膳は一定の責任の象徴でもあるわけですね。

いまから100年ほど前の大正時代の箱膳には陶器のうつわが収納されるようになっていたが、明治以前は木のうつわを使う地域も多かった。箱膳に収納されるものは飯椀、汁椀に小皿など。

箱膳は庶民の“食卓”そのものだった

編集部
箱膳はいつ頃から使われてきたものなのでしょうか。
池田
広く使われるようになったのは江戸時代からでしょう。下級武士から庶民へと広まっていったと言われています。映画などでも役者さんが箱膳を使って食事をするシーンがよく描かれますね。
編集部
確かに、時代劇などでも見たことがあります。一人前ずつ食べられる様式は、大店の奉公人などがバラバラの時間に食事をする商家などでも重宝されたと聞いたことがあります。

100年前の食卓、箱膳

池田
地域や家風、家業にもよるようですね。私らの家は礼儀に厳しかったので、家の全員がそろわなければ箸をつけてはいけませんでした。「飯だと聞いたら火事より急げ」なんて言われたものです。家族そろって食べるのが当たり前だと考えている私からすると、「孤食」とか「個食」なんて聞くと驚いてしまいます。

箱膳を通して見える“和食”の土台

編集部
日本の食卓の風景はこの100年で大きく変わったのですね。都市部でも大正時代までは箱膳に象徴される銘々膳で食事をしていて、それが関東大震災直後の1925(大正14)年には、箱膳を含めた銘々膳よりもちゃぶ台で食事をする人が多くなったと聞きます。そして高度成長期の1971(昭和46)年にはちゃぶ台よりもテーブル派が多くなったという調査もあるようです。
池田
大きなくくりでは、日本の食文化には大きくふたつの転機があると言われています。ひとつは縄文時代の終わり頃から弥生時代にかけて稲作が伝来したとき。そしてもうひとつは、戦後から高度成長期にかけて。食の様式はその前の時代から地続きになっていて、箱膳を使えばちゃぶ台以前の食様式も体験できます。
編集部
先ほどの箱膳体験では車座になって、箱膳のほかに各自の胃袋の状態に合わせて取り分けるようにと「とりまわし」料理が隣の人に手渡されていました。しかしちゃぶ台以降での食事は、大鉢に盛られたおかずにめいめいが自由気ままに手をのばします。テーブルが当たり前になって久しいいまでは、子どもが親に「そのおかず取って」と要求することも珍しくありません。近年ではごはんや味噌汁を口にするかどうかもさえ怪しくなってきてしまっています。

意識が変わる食体験

池田
米食を基本とした「型」が崩れていますよね。私自身が箱膳体験活動をしているのは、そうした「米食」保存のためでもあるんです。日本の田んぼは、米を作らないと荒れてしまいます。水田での稲作という農業様式によって、豊富な水資源も含めた日本の風土は保たれてきました。だから箱膳という食事の道具を通して、すべての土台である米に意識を向けてもらいたいですね。
編集部
「食」による実体験で意識を変えていく。
池田
そうです。そして箱膳という食様式は、そういう力が詰まっています。食べるということは人と人との関係を作ること。ぜひ一度箱膳を使った食体験をしていただきたいですね。

箱膳を含めた銘々膳からちゃぶ台への移行時期には地域差がある。都市部では大正時代、とりわけ1923(大正12)年の関東大震災を期にちゃぶ台への移行が急速に進んだ。農村部では1934(昭和9)年頃がピークとされるが、一部の農村では昭和30年代頃まで箱膳を使っていた。

参考文献
『食卓文明論――チャブ台はどこに消えた』石毛直道(中公叢書)、『銘々膳からちゃぶ台へ――日本人の食事方法の歴史的転換点』西澤治彦(武蔵大学人文学会雑誌)、『大正・昭和前期の家事科教科書における「食卓での団らん」』表真美(日本家政学会誌)ほか

「箱膳」による、貴重な100年前の食体験。
次回は、今回取材させていただいた当時の料理などを、三菱電機の最新調理家電を使用して、現代の食卓にマッチしたレシピとしてご紹介いたします。

取材・文/松浦達也 撮影/魚本勝之
2018.12.10

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