和食シリーズ企画第四弾 日本人の食卓―100年の歩みを辿る和食シリーズ企画第四弾 日本人の食卓―100年の歩みを辿る

#06 ― とんかつも洋食篇

「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されてから数年が経ちます。
「このままでは衰退する可能性がある食文化」とされた和食は、あれから歩みを前へと進めることができたのでしょうか。
2021年に創立100周年を迎えた三菱電機は、日本の暮らしとともに歩み続けてきました。
これからも家電メーカーとして日本の食文化に寄り添っていくために、
この100年間の日本人の食卓、そして家電の歩みを振り返り、次なる100年を考えていきます。

和食シリーズ企画第4弾「日本人の食卓 - 100年の歩みを辿る」。今回のテーマは、とんかつ。豚肉を油で揚げるとんかつも、100年前はあまり庶民には馴染みのない「洋食」でした。前回の「上野精養軒」に引き続き、当時の洋食について、明治創業の老舗洋食店「ぽん多本家」でお話を伺いました。

ご案内いただいたのは、
ぽん多本家4代目 島田良彦さん

1965年東京都台東区生まれ。ぽん多本家4代目。創業家の長男として生まれ、高校卒業後、山の上ホテルでの修行を経て入店。2001年から4代目として実直な仕事を引き継ぎ、明治38年創業という国内屈指の老舗洋食店の看板を背負う。

明治時代に政財界や富裕層を介して日本に入ってきた「洋食」。それから50年後となる大正時代は、今からちょうど100年ほど前に差し掛かった頃。当時の「町場の洋食」はどういう位置づけの「食」だったのでしょうか。

<ぽん多本家の歴史>

宮内省の大膳寮で西洋料理を担当した島田信治郎氏が明治38(1905)年に創業。町場の高級洋食店として名を馳せるとともに、当時上野にあった「ポンチ軒」へとんかつの技術を伝授するなど洋食の隆盛の礎を築いた。洋食に欠かせない魚のフライやポークソテーなどを長く受け継ぎ、現在は4代目の良彦さん兄弟が店を切り盛りする。

鮨屋のような値付けのない品書き

編集部
ぽん多本家の創業は、いまから110数年前の明治38(1905)年。前回、上野精養軒さんに取材したところ、当時の外食における洋食は、庶民には手の届かないものだったと聞きました。
島田さん
(以下 敬称略)
100年前というと大正時代の初頭~中頃ですよね。初代の話は祖母や父から聞いた話にはなりますが、うちも庶民のための店というより、財界人のお客様が多かったようです。
編集部
精養軒のようなホテルの洋食だけでなく、町場の洋食もまだまだ高嶺の花だった、と。

ぽん多本家4代目 島田良彦さん

島田
そうだったんでしょうね。当時はまだ品書きに値段も書かれていない鮨屋のような商売だったそうです。お代も常連さんが前金でまとまったお金を置いていかれて「これで仕入れをまかなって、なくなったら言って」というやり方。うちの常連さんが招いたお相手に値段がわかると、気を使われてしまうかもしれない。それはいけません。寛いで食事をしていただくための気遣いとして、この形になったのだと思います。

値付けのない品書き

編集部
ということは、書かれていると気になってしまうほどの値段……。「庶民派洋食」などはまだ夢のまた夢という時代だったんですね。
島田
そうですね。それこそ初代が宮内省にいた頃、厨房には一般の市場に出回らないような高級食材がゴロゴロしていたと聞いています。しかも当時の皇室の方々の口に入るものを作っていた料理人の作る本格的な洋食となると、庶民の「食」とは一線を画していたのかもしれません。調理する側にも宮内省では、非常に厳しい制限があったそうです。それこそ風呂に入り、爪を切って、着替えないと料理をさせてもらえなかったという話です。

洋食は当初、ホテルや上野精養軒、ぽん多本家のような一部の高級飲食店のみが提供していた。そして、明治時代も終わり頃になってようやく、都市部の繁華街などに“洋食屋台”が出現し始めたという。路面の高級店で出しているメニューに低価格で対抗し、繁盛している様子などが、当時の新聞記事などで伝えられている。洋食が一般的な飲食店で出され、庶民に本格的に浸透していくのは、1923(大正12)年に起きた関東大震災以降と言われている。

フライメニューの原点は天ぷら!?

編集部
当時はどんなメニューが多かったんでしょうか。
島田
魚はフライだけでなく、刺身も出していたようですが、洋食メニューはいまとほぼ同じ。カツレツにポークソテーにタンシチュー、海鮮のフライは小柱や穴子、キスにイカも揚げていたみたいです。

タンシチュー

編集部
天ぷらの素材になりそうなものが多いですね。
島田
東京湾で獲れた「江戸前」の魚を揚げた天ぷらの影響は大きいと思います。柱のフライは小柱の洋風かき揚げのようなものですし、創業当時はそれこそメゴチのような江戸前天ぷらを代表するような魚もフライで出していたようです。
編集部
当時はどういうメニュー構成だったんでしょうか。現代のように「定食」然とした提供スタイルではありませんよね。
島田
お客様がお見えになったら、まずハマグリやカキのバター焼きをお出しして、次に魚のフライ。そして肉料理のカツレツかタンシチューを召し上がっていただいて、最後にごはん、お新香、お椀を出すという流れが多かったと聞いています。ときにはオムライスを出していたこともあったようです。
編集部
「カツレツ」はいわゆる「とんかつ」ですよね。
島田
そうですね。明治時代に西洋から仔牛のカツレツ――いわゆるコートレットとかウィンナー・シュニッツェルと言われる料理が入ってきて、それを豚肉にアレンジしたものです。
編集部
明治後期というと、牛肉が軍需用の缶詰としても重用されるなどして、品薄になって価格も暴騰。安定して供給できる豚肉の需要が高まったと言われていますね。
島田
いまも東西の人の好みを指して「西の牛肉、東の豚肉」なんて言われますが、明治後期には豚肉の質も向上して、関東では豚肉が好まれるようになったのも早かったようですね。そんなこともあって、うちのカツレツは豚になったということだと思います。

受け継がれる独自のとんかつ調理法

編集部
ぽん多本家さんのカツレツは、創業当時から独特の調理法だそうですね。
島田
うちはロースについた脂身を下ごしらえの段階で丁寧に切り落として、ロース芯の部分だけを使います。同じ厚さの豚肉でも赤身と脂身では揚がるのにかかる時間が違うからです。そして、切り出した脂身は炊いてラードにして揚げ油として使います。カツレツは叩いたものを元のサイズに寄せて、塩こしょう、粉、卵、パン粉とつけたら、低温の揚げ油に入れてゆっくり温度を上げてきます。


ロースの芯だけを使用


ラードの揚げ油

編集部
下処理も含めて、実に特徴的ですね。揚げ上がったカツレツの断面はかすかにロゼ色のかかったような薄桃色。100年以上に渡り受け継がれながら、現代でもなお先端を行く揚げ加減で、とてもおいしそうです。
島田
ありがとうございます。「日本の食事」なので「ごはんに合う」は欠かせない要件なんですよね。うちのエビクリームコロッケには日本酒が入っていますし、タンシチューにも醤油ベースの隠し味を入れています。カツレツをラードで揚げるのも同じような理由で、カツレツはラードという動物性の脂で揚げることで、ごはんに合いやすくなるのではないかと考えています。

カツレツ

現代人のマナーは低下したか向上したか

編集部
「ごはんに合う」という視点があったからこそ、洋食は後に広く受け入れられるようになっていくという側面もありそうです。
島田
交通の要衝でもある上野に多くの洋食店やとんかつ店があったのも良かったのかもしれません。まだ上野にあった頃の「ポンチ軒」(※戦災で焼失)には初代が技術指導に行っていたそうです。他にもこの界隈には、大正時代に屋台からスタートした「蓬莱屋」などとんかつや洋食の店も多かった。昭和の話になりますが、食通としても知られる白洲次郎・正子夫妻もよくお見えになりました。非常にスマートな振る舞いをされる方々でしたね。
編集部
どんなところにスマートさがにじんでいましたか。
島田
まず絶対遅刻しない。「食事に遅刻したらもう終わり」というくらい時間には厳しかった。「人様のお宅にお邪魔しているんだから」とも仰っていたので、そういう感覚だったんでしょう。ですから、食べるのも早いし、食べ終わったらさっさと帰られる。見て惚れ惚れするようなカッコよさでした。

低温の揚げ油に入れてゆっくり温度を上げていく

編集部
歴代の総理大臣もいらしてますよね。
島田
先代の時も今もそうですが、個室に上がらず、僕らの目の前、そこのカウンターで召し上がるんですよ。気さくなもんです。他のお客さんが会計を終えて帰るとき、ギョッとした顔で二度見してましたけどね(笑)。
編集部
そうしたエピソードも、老舗の味わいのうちということなんでしょうね。4代目からご覧になって、この100年における「食」の変化は、どのようにお考えですか?
島田
自分に分かるのはこの数十年くらいのことだけど、1970~1980年代の高度成長からバブルの頃はみんなドバドバソースをかけてましたね。あれはうれしくなかった。ところが、この数年くらいお客さんがしっかり食べてくれるようになったんですよ。
編集部
ぽん多本家のとんかつにソースドバドバはもったいない。
島田
正直なところ、まずはそのままで食べて、塩でつまんで、ソースもちょんとかけるくらいがうれしいですよね。最近はとんかつブームだなんて言われてて、女性の一人客も増えました。「ブーム」って言うとあまりいいイメージはないかもしれないけど、「こう食べてもらえたらなぁ」ってイメージに沿って食べてもらえるようになった。こういうブームならありがたいですね(笑)。
編集部
本日はお忙しい中ありがとうございました。

食卓の定番メニュー「とんかつ」も、100年前は高級な洋食だったというエピソードには、
みなさんも驚かれたのではないでしょうか?
次回は、手間がかかってご家庭では敬遠されがちなフライ料理を、
三菱IHクッキングヒーターで油を使わず簡単に調理するレシピをご紹介します。

取材・文/松浦達也 撮影/魚本勝之
2019.02.12

CLUB MITSUBISHI ELECTRICの
和食をテーマとした
コンテンツはこちらから

無形文化遺産に登録された経緯など和食にまつわる様々な話題をご紹介!
有名料理人のインタビューや三菱調理家電で作る郷土料理のレシピを掲載!
ユネスコ無形文化遺産に登録された和食文化。未来へつなぐために今できること。