和食シリーズ企画第四弾 日本人の食卓―100年の歩みを辿る和食シリーズ企画第四弾 日本人の食卓―100年の歩みを辿る

#08 ― 冷蔵庫が家庭にやってきた篇

「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されてから数年が経ちます。
「このままでは衰退する可能性がある食文化」とされた和食は、あれから歩みを前へと進めることができたのでしょうか。
2021年に創立100周年を迎えた三菱電機は、日本の暮らしとともに歩み続けてきました。
これからも家電メーカーとして日本の食文化に寄り添っていくために、
この100年間の日本人の食卓、そして家電の歩みを振り返り、次なる100年を考えていきます。

和食シリーズ企画第4弾「日本人の食卓 - 100年の歩みを辿る」。今回のテーマは、冷蔵庫。明治の頃、「氷箱」として日本の家庭に登場した冷蔵庫は食品の保存のあり方を変えました。そして100年前の「氷箱」は数十年後に「電気冷蔵庫」に置き換わり、ますます食卓の風景を変えてきています。「氷箱」から「電気冷蔵庫」へ。食品の保存の変化は食卓にどんな変化を及ぼしたのか。幼少時から「氷箱」も「電気冷蔵庫」も使っていらしたという料理研究家の堀江ひろ子さんにお話を伺いました。

ご案内いただいたのは、
料理研究家 堀江ひろ子さん

1947年東京都生まれ。日本の料理研究家の草分けとも言える、堀江泰子さんの娘として生まれ、日本女子大学家政学部食物学科在籍時、19歳にして料理家デビュー。長女のほりえさわこさんも料理研究家という3代続く料理家家系。物心ついた頃から「氷箱」を使い、現在は何台もの電気冷蔵庫を使いこなす“冷蔵庫マスター”。

それまで「冷蔵」という手段がほとんどなかった日本の家庭に、「食材を冷やして保存する」ことが広まっていったのは明治時代のこと。現代に至るまでの間、日本の「冷蔵」はどういう経緯を辿り、食卓をどう変えていったのでしょうか。

<日本の冷蔵の歴史コラム>

天然氷の入手・保存すら難しかった明治初頭にはまだ「冷蔵」という言葉自体、一般にはほとんど知られていませんでした。家庭における氷式冷蔵庫(「氷箱」)が販売され始めたのは明治の後半。ただし、上流家庭においてさえ氷箱で食材を冷やすようになったのは大正から昭和の初頭にかけてのこと。電気冷蔵庫となると、耐久消費財の統計が取られるようになった1957(昭和32)年の時点でも2.8%という普及率にとどまっていました。

電気冷蔵庫のなかった時代

編集部
現代において、冷蔵庫は生活必需品です。冷蔵庫のない生活など考えられませんが、長く料理に携わっておられる立場から見た、家庭における冷蔵庫の歴史はどういうものでしょうか。
堀江さん
(以下 敬称略)
私が生まれたのは終戦直後、昭和22(1947)年です。その頃は宮崎県に暮らしていたのですが、当時は氷の冷蔵庫でした。上に氷室があって下に食品を入れて冷やす、いわゆる「氷箱」ですね。かすかにですが、氷屋さんが氷を配達しにきていた記憶があります。

料理研究家 堀江ひろ子さん

編集部
当時、その「氷箱」ではどんなものを保存していたのでしょう。
堀江
まず魚ですよね。当時、冷蔵して保存するものは肉よりも魚だったと記憶しています。鶏などは庭を走り回っているのを捕まえてつぶして、そのまま調理するような時代でしたから。スイカなどの果物にしても井戸水で冷やすのが当たり前で、氷箱に入れる習慣はありませんでした。あっ。でも、おばあちゃんが手づくりのブランマンジェを固めるために使っていましたね。

井戸水でスイカを冷やす

編集部
戦後間もない頃に、自家製のブランマンジェとは相当ハイカラなご家庭ですね。
堀江
そうですね。母が料理研究家になったのも、日本の料理家の草分け、河野貞子さん(※)の料理教室に通ったのがきっかけだったと言いますから、いわゆる「いいとこの子」だったんだと思います。

明治32年生まれ。大正8年から十数年にわたり商社勤務の夫とともに米国に滞在し、料理と家事を研究。帰国後、西洋料理の知恵を日本料理に取り入れながら新しい家庭料理を育てた料理研究家。

編集部
電気冷蔵庫の導入はもう少し後になるのでしょうか。
堀江
私が小学校に入る少し前に東京に引っ越してきて、しばらくしてですから昭和30年代前半ですね。アメリカ滞在の長かった河野先生が確か海外メーカーの電気冷蔵庫を使っていらして、「とても便利」というようなことを仰っていらして。ちょうど母も河野先生の料理助手をしていてほんの少しずつ雑誌の仕事が始まった頃でしたから、実家かどこかにねだったんでしょう(笑)。

超高級品だった黎明期の冷蔵庫

編集部
当時の冷蔵庫は大卒初任給の5か月分にも相当するという高級品で、一般家庭に電気冷蔵庫はほとんど存在しなかったと聞いています。
堀江
そうだったかもれしれませんね。公務員だった父の稼ぎでは到底買えないような高級品でしたから。当時は今ほど家庭で食べ物を冷蔵保存する習慣はありませんでした。魚、肉、野菜は毎日買い物に行くのが当たり前で、牛乳は180mlの瓶が毎日家庭に配達される。卵は近所の商店でもみがらに入って常温で売られていました。
編集部
どうしても冷蔵が必要なものは商店で保存されていて、冷蔵保存しなくてもある程度日持ちするものは「冷暗所」や「風通しのいい涼しいところ」で保管されるのが当たり前だったんですね。
堀江
そうですね。うちは母が料理を仕事にしていたので、冷蔵庫の導入が早かったんだと思います。2ドア冷蔵庫も私が中学2年生の頃ですから、1961(昭和36)年くらいにはありました。
編集部
それは早いですね。たいていの家では、昭和40年代まで1ドア冷蔵庫で、製氷室はあっても冷凍庫のないタイプが主流だったようです。
堀江
確かにその頃、世間の冷蔵庫は1ドアが主流でしたよね。実はうちの実家では、持っていた貸家にアメリカ人の駐在員が入居していたんです。彼らは1~2年で本国に戻るけど、家電製品はかさばるから置いて帰国する。残された家電製品に海外メーカー製の2ドア冷蔵庫があったんです。5月1日の私の誕生日には近所で摘んだよもぎを茹でて、よもぎ団子を作るのが毎年の恒例行事だったんですが、たくさんできてしまうので残りをラップかポリ袋に入れて、冷凍庫で保存していました。それが堀江家のホームフリージングの始まりです。
編集部
国内で家庭用ラップが発売されたのが1960(昭和35)年。しかもその年の冷蔵庫の普及率はまだ10.1%です。その頃にすでに2ドアでラップを使ってフリージングをされていたとは、時代を10年以上先取りしていますね。

海外メーカー製の冷蔵庫

堀江
ただ、早かった代わりに失敗も多かったと思います(笑)。母は研究熱心でしたし、何より生徒さんに教えるわけですから、先に失敗しておくことは大切なんですけどね。
編集部
確かに「冷凍しても味の変わらないもの」と「冷凍すると変質してしまうもの」の見極めは、大事ですよね。
堀江
私が中学校3年の1962(昭和37)年、母が初めてNHKの「きょうの料理」に出て「一週間のお弁当」というテーマで、一週間毎日出演したんですが、その頃には「冷蔵庫のあるご家庭ならこういうやり方も」という風に冷蔵庫の話にも触れるようになっていました。当時まだテレビでは「冷凍」の話はしていませんでしたが、家ではあれこれ冷凍の実験もしていたんです。

憧れの家電「三種の神器」

編集部
昭和30年代後半は東京オリンピックに向けて、冷蔵庫、白黒テレビ、洗濯機という「三種の神器」を始めとして急激に家電製品の普及が進んだ頃ですね。ただ冷蔵庫は洗濯機やテレビと比較するとゆっくりと普及していった印象があります。

家電「三種の神器」

堀江
まだ昔ながらの食様式も残っていましたから、なくても事足りるし、「氷箱」式の冷蔵庫で十分という人もいたのかもしれませんね。それでも高度成長期の頃から、冷蔵庫での保存がきくようなおかずが求められるようになってきた印象はあります。主婦も何かと忙しくなり、ご主人の帰宅も遅くなっていったり……。この頃から何かと気忙しくなっていったような気がします。
編集部
東京オリンピック以降も、冷蔵庫の普及率は右肩上がり。1975(昭和50)年、普及率は96%に達しました。
堀江
冷蔵庫の普及によって、買い物の仕方や商店との付き合い方が変わりましたよね。それ以前、例えば私の田舎の九州あたりだと魚はその日に食べられるだけ食べて、余った分は強めに塩をしたり、火を通すなどして何日か持たせたりしていましたが、冷蔵庫があれば特に工夫せずとも、何日かは持つようになりました。昔は暑い夏場に生モノを何日も取っておくような習慣はありませんでしたから、冷蔵庫の登場は食スタイルの大きな転換点でしたね。
編集部
さらに昭和50年代には冷凍室が独立した2ドアや、肉や魚専用室つき、野菜室の独立など多機能化が目立つようになります。400リットル以上の冷蔵庫が割安になったことなども相まって、冷蔵庫の大型化が進みます。
堀江
家電メーカーの技術も進化したのでしょうが、消費者側からすると電子レンジの普及もセットになっていますよね。

三菱冷凍冷蔵庫「フレッシュみどり」

編集部
そうですね。1987(昭和62)年には電子レンジの普及率が50%を越え、同じ頃に家庭用の冷凍食品も人気になり始めました。
堀江
家庭で調理するものも一度にまとめて調理して、その場で食べる分以外はいったん冷凍して、必要なときに電子レンジで解凍、あたためて食べるという食スタイルが定着しましたよね。
編集部
消費者の使い方に合わせて冷蔵庫も変化してきているとは思います。ちなみにいま、冷蔵庫にほしい機能や望むことはありますか?
堀江
個人的には少し冷蔵庫が大きくなりすぎたような気もします。

“やりくり”こそが知恵

編集部
冷蔵庫、大きくなりすぎましたか。
堀江
本当は「人」の問題なんです。冷蔵庫が大きくなった結果、「要冷蔵」「要冷凍」「常温保存」の区別を消費者ができなくなってしまったように思います。そもそも「何をどれくらい買うか」「どこに何を保存するか」という“やりくり”が台所を預かる人の知恵のはず。でも消費者の判断力が鈍くなっていて、必要のないものを買っては、混み合った冷蔵庫の奥の方でダメにしてしまっているように思えてしまいます。
編集部
便利になり過ぎるのも考えものということでしょうか。
堀江
使う側がうまく整理できればいいんですけれど。何がどれくらい日持ちするか、目の前にあるものがまだ食べられるかどうかという“食の基本”が、分からなくなってしまっていますよね。
編集部
言われてみれば「まだ食べられるかな?」とにおいをかぐなど、五感で食べ物と向き合うような光景は、ずいぶんと見かけなくなりました。
堀江
例えば茹でたほうれん草なんて、下に紙タオルを折りたたんで敷けば、冷凍する必要はありません。冷蔵庫で4~5日持ちます。にんにくやしょうがも紙タオルを敷いた密閉容器に入れて野菜室で保存。それぞれをみじん切りにしたものならラップに薄く包んで一緒にジッパー付きの袋に入れて冷凍庫に。切りかけのトマトやきゅうりなども大きめの密閉容器に紙タオルを敷いてまとめて入れて冷蔵庫に入れれば、迷子にならなくて済みますね。
編集部
食材ごとの保存の仕方の違いがわからないから、まとめて冷凍庫に「えいっ!」と放り込んでしまいます。
堀江
肉のチルド室や野菜室はわりと上手にお使いになられてる印象があるんです。しかも機能も向上していて、お肉もお野菜もびっくりするくらい持つようになりましたね。でもそれでかえって庫内がパンパンになってしまって……。
編集部
入り切らなくなって収拾がつかなくなる……と。耳が痛いです。
堀江
私も整理整頓は下手なので人様のことは言えないんです。娘も叱られてばかり(笑)。
編集部
意外です。
堀江
もし、冷蔵庫がもっともっと進化するのだとしたら、使い手の望むように自動で整理整頓してくれる冷蔵庫の登場に期待したいですね(笑)。
編集部
本日はありがとうございました。

「冷やして食材を保たせる」冷蔵庫の登場は、
家事の負担を大きく軽減するとともに、日本の食卓をより豊かなものにしました。
一方で、たくさんの「知恵」が失われつつある、というお話もとても印象的でした。
次回は、三菱電機の冷蔵庫ヒストリーにスポットを当てます。

取材・文/松浦達也 撮影/魚本勝之
2019.04.25

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