情熱ボイス
【MELSEC iQ-R篇】1か月にわたった“会議室での日々”
ちゃぶ台返しを乗り越え、新コンセプトを探求
2016年3月公開【全3回】
第2回 一つひとつの要望に「なぜ」を3回繰り返す
2011年秋。開発チームにもう1人のメンバーが加わった。東京の営業部門から名古屋製作所に異動してきた営業部コントローラ課専任の北村清丈だ。東京では営業マンとして駆け回った北村は、「それまでは何でお客様の要望通りに作ってくれないのかと名古屋製作所に文句ばかり言っていたが、異動したらすぐにその難しさを理解した」と笑う。プロジェクトに参加してからは北村は、PRから納期管理まで北村自身の言葉を借りると「まさに“なんでも屋”」の大立ち回りをすることになる。
FAシステム第一部長の指示で名古屋市内の協力会社の会議室に通うようになったメンバーだが、場所を移したからといって、すぐに斬新なアイデアが浮かんでくるはずもない。ここでも頭を抱えるしかなかった。
結局、初心に戻ることにした。顧客からの要望をもう一度整理し、そこから盛り込むべき斬新なアイデアを創造しようと考えたのだ。
「この要望はどういう理由から出たのだろう」
「なぜ? なぜ? なぜ?」
一つひとつの要望に「なぜ」を3回繰り返したと谷出は言う。一日中、意見を出し合った。
簡単な実験ならデスクに座ったまま行えるように、デスクにシーケンサを取り付けているエンジニアも多い。
顧客のことを、顧客のことだけを想像しながら、製品イメージを描き続ける毎日。生山は「とても充実していた」と言い、小林は「本当にお客様と向き合っている感があった」と振り返る。谷出も「電話はかかってこないし、実務に邪魔されることもなかった。とにかく前だけ見ていればいいというのはエンジニア冥利に尽きる。幸せな日々だった」と懐かしんだ。そして坂本は「関連会社時代の経験からユーザーの立場で意見を言えたし、ここまで根を詰めてハードウェアチームの人たちと話し合えたのは新鮮な時間だった」と、会議室の日々を評価する。

簡単な実験ならデスクに座ったまま行えるように、デスクにシーケンサを取り付けているエンジニアも多い。
営業という立場上、缶詰めとはいかなかった北村も、できる限り顔を出してはメンバーの様子をうかがった。ある日会議室に入ると、全員がプロジェクター画面を覗き込みながら深刻に話し合っては、アイデアが浮かばず、煮詰まっている光景に出くわした。
「お客様が言うことをそんなに難しく考えちゃダメ。もっと単純に取り組めばいいんだ」
営業経験の豊富な北村は、顧客の要望に対する勘所をこんなふうに説明した。メンバーたちは、北村の的を射たそんなアドバイスにも大いに励まされた。
しかし、時間はどんどん過ぎていく。1カ月の期間もすでに後半へ突入していたが、なかなか革新的なアイデアは浮かんでこない。メンバーは全員、焦った。
メンバー以外からもアイデアを募る

そんなある日、誰かがポツリと言った、「ここにいるメンバー以外からも広くアイデアを募ってみよう」。実現の可能性は考えず、絵空事のアイデアでもかまわないので、新人からベテランまで意見を聞く……。
20人ほどの社員に自由に意見を出してもらったところ、その中から、「データベース」「メモリダンプ」といった、新たなキーワードが姿を現してきた。顧客に訴求するキーワードとして、TCO(総保有コスト)削減も前面に押し出すことにした。
メンバーは急いで報告書をまとめ、FAシステム第一部長に提出した。
「まだイマイチだけど、こんなものかな」
その言葉を聞いて谷出は「うれしいといよりは、ほっとした」。時はすでに2011年12月。発売まで、もう2年ほどしかない。すぐさま開発に取り掛からなければ間に合わなかった。

時間のない中、ケンカごしの議論も起きた
新規の追加機能は、当然ながら各チームに負担を強いる。特にデータベースやメモリダンプといった新機能のカギとなるファームウェア開発部隊の負担は非常に重くなることは、容易に想像された。
案の定、決定を持ち帰った谷出は部下たちからさんざん文句を言われた。「むちゃくちゃだ」「こんなのできると思ってるんですか」。厳しい声で追求された。
特にデータベースのファームウェア開発は、誰も経験したことがなく、苦戦が予想された。慌てて情報を仕入れ、人集めも始める。神奈川県鎌倉市大船地区にある情報技術総合研究所のメンバーに協力を要請。名古屋の単身者用アパートに半年以上泊まり込んでもらった。
システム評価試験室。ここに呼び出されるのは、評価試験の結果が良くない時。開発メンバーにとっては訪れたくない部屋だという。
坂本のエンジニアリングソフト開発チームも即座に作業を開始した。「今回は根本からソフトを作り直すことにした」と坂本はその方針を説明する。「これまでエンジニアリングソフトは改良を繰り返して機能を追加してきた。しかし、ベースになるシステムが古くなり、これ以上の改良は難しくなってきた」。さらに、ソフトの継承という問題も考慮しなければならない。それだけに作業は大掛かりにならざるを得ない。
しかもエンジニアリングソフト開発は、ファームウェア開発と連携を取りながら進めなければならないところが多い。どちらかに遅れが生じると、それぞれが相手の遅れを理由として報告を上げたため、「衝突が多かった。ケンカごしになることさえあった」と坂本も谷出も振り返る。

システム評価試験室。ここに呼び出されるのは、評価試験の結果が良くない時。開発メンバーにとっては訪れたくない部屋だという。

そんなとき、「ケンカしていてもしょうがない、やるしかないだろう」と仲裁に入るのが、北村の役割だった。
「けっして怒らない」とメンバーに評される谷出だが、とはいえ厳しい環境では切羽詰まる。ねじり鉢巻で頑張る一方、ストレスは趣味のオフロードバイクで解消した。忙しい最中でも年に5回はレースに出たという。

一方のハードウェアチームは、コストの調整に苦心していた。iQ-Rシリーズの開発に入る際、希望小売価格はQシリーズ相当に抑えることが前提となっていたからだ。
生山はこう語る。「新機能を搭載すると回路が増えたり、性能の良い部品を使ったりするので、当然コストが増える。そこをどうやって削るかに最も苦労した。部品メーカーと交渉したり、地道に無駄な回路を減らしたりして、結果的に開発当初の見通しより、10%以上コストを抑えた。」
*所属名や役職などは取材時(2016年1月)のものです
- 要旨 1か月にわたった “会議室での日々” ちゃぶ台返しを乗り越え、新コンセプトを探求【MELSEC iQ-R篇】
- 第1回 この企画じゃダメだ
- 第2回 一つひとつの要望に「なぜ」を3回繰り返す
- 第3回 苦渋の決断で発売を5カ月延期