情熱ボイス
日本での協働ロボット事業立ち上げに向け、欧州に駐在していた佐藤景一が任されたのは、協働ロボットの市場が成熟していた欧州のマーケティング調査だった。しかし、調べれば調べるほど、日欧の環境の違いに頭を抱えることになった。2016年春のことである。
違いのひとつは「人」にかかるコストだった。欧州では保険料をはじめ人の雇用に付随する義務的なコストがおしなべて高い。そうしたことから経営サイドは簡単に人を増やそうとはせず、結果、人手不足解消のために協働ロボット導入が速やかに進んだという背景がある。一方、日本を含むアジア地域では雇用コストが相対的にみて高いというわけではない。人の代わりにロボットを積極活用しようという機運は盛り上がりにくい環境にあった。
さらに「ロボット活用のノウハウ」が社内に蓄積されているかどうかということも大きな違いだった。
早くからその導入を志向していた欧州の各企業では、規模の大小に関係なくロボット活用のノウハウがユーザー企業の社内に蓄積されていることが多かった。しかし日本のロボット活用は、技術者など人的リソースが十分にある大企業が中心で、ロボット専任技術者が比較的少ない中小企業では普及しづらい状況であった。「企業規模に関係なく社内にロボット活用のノウハウを蓄積する」以前の問題である。
人手不足の影響を受けやすい中小企業にこそ、積極的に導入してもらいたい協働ロボット。そのためには「導入コストの低減」も重要だ。
とはいえ、人間と同じ場所で人と同じように作業する協働ロボットには従来の産業用ロボット以上に安全対策を施す必要があり、コストがかかる。実際、欧州で販売されていた協働ロボットも安価なものではなかった。しかし、専任の技術者不在で産業用ロボットを活用できなかった顧客を中心にさまざまな製造現場で導入が進んでいた。一般的な知名度は低いものの、ある分野において高い市場シェアを持つ「隠れたチャンピオン(Hidden champions)」(※)などからも一定の評価を得ていることが導入促進の後押しにもなっていた。
ロボット導入コストに対して厳しい意見を持つ顧客が多い日本。またその市場背景も環境も違うなかでは、単純に欧州方式をなぞらえるわけにいかないだろうと佐藤は考えた。
駐在が終了するまでの9か月あまりで欧州の市場調査報告をまとめなければならなかった佐藤は、最後の仕上げに奔走していた。そこで一つの興味深い情報を耳にした。「欧州では協働ロボットが産業用ロボットほどの信頼性を持ち合わせていないこともある」というユーザーの声だ。このとき佐藤は製品の信頼性を強みとする三菱電機として、コスト低減と高品質との両立を追求しなければならないと改めて心に刻んだのである。
(※)ドイツのハーマン・サイモンによって提唱された経営学上の用語。比較的規模は小さく、一般的な知名度は低いが、ある分野において、非常に優れた実績・きわめて高い市場シェアを持つ会社のことを指す。
紛糾する方針会議
佐藤が集めた情報をもとに、三菱電機としては初となる協働ロボットの基本仕様がまとめられ2017年6月に「方針会議」を迎えた。これは、製品の開発体制やスケジュール、営業方針などを最終確認し、製品化に向けて具体的に動き出すことを機関決定する重要な会議だ。
どんな会議も重要なものになればなるほど、関係者への事前の意見確認が欠かせない。佐藤を始めとしたプロジェクトチームももちろんその重要性を認識している。しかし、手はずを十分整えて挑んだはずの方針会議は、思いのほか紛糾した。
「こういうユーザーにはちゃんと聞いたの?」
「なぜそれが強みになると言い切れる?」
「そのニーズはどれぐらいあるんですか?」
出席者から次々と鋭い指摘がとび、会議は一向にまとまる気配がない。そのとき、協働ロボットという新しいものに対するイメージをちゃんと詰め切れていないことに、チームのメンバーは気づかされた。
「自分たちは協働ロボットを、産業用ロボットの延長でしか考えていなかったのかもしれない」と佐藤。ユーザー層も、活用シーンも、要件も、今までの産業用ロボットとは根本的に違うのに、取り組み方が同じでいいはずがない。会議での提案内容は差し戻され、チームは再び戦略の詰め直しを余儀なくされた。
しかしそこで詰め直した内容は、ユーザーメリットを徹底的に追求しようという会議の中で、再び厳しい指摘を受ける。
結局、方針会議のやり直しは5回を数えた。入念な事前調整により一度で終わることの多い方針会議が、5回もやり直しになったのは極めて異例のことだ。スタートから大きくつまずく形になったが、とにもかくにも協働ロボットの開発は正式決定され、開発が具体的に始まることになった。
徹底的にリソースを投入する
方針会議で決まったことの一つは、その4カ月後の2017年11月に東京で行われる「国際ロボット展」への参考出展だった。方針会議が紛糾したこともあり、開発期間は実質3カ月しかない。開発の取りまとめを担当するロボット製造部 開発第一課の寺田大祐は、いきなり難題を抱えることになった。プロトタイプレベルのものであっても、ロボットの新製品であることには変わりなく、普通に開発していたのでは間に合わない。
しかし、その寺田の不安を打ち消すように、上層部は強力な支援を提案してきた。
「ロボット展に間に合わせるためなら、
徹底的にリソースを投入する」
寺田は安堵した。予算や人員などの制約がはずされたのであれば、1台ぐらい作って出すことはできるはず。むしろその制約がないのに1台も作れなかったら、それは技術者として恥ずべきことだろう。
協働ロボットの初お目見えの場として、2年に一度しか行われない国際ロボット展は格好のステージだ。寺田ら開発メンバーはスタートからフルスロットルで開発を始めたが、開始早々大きな壁にぶつかった。協働ロボットには欠かせない「安全性」の実証に必須とされた国際規格への対応だった。
- 要旨 アナログな要件との戦いから生まれた「安全で使いやすいロボット」
- 第1回 協働ロボットは産業用ロボットの延長ではない
- 第2回 “規格” の迷路に入り込む
- 第3回 発売直前まで続いた「使いやすさ」の追求

