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AIとともにある未来をデザインする

三菱電機株式会社 統合デザイン研究所
UIデザイナー
深川 浩史

新たな社会課題「AIの倫理」と向き合うきっかけを

近年、AI技術の発展にともない、自動車や家電製品の利便性は大きく向上しました。その一方で、「AIが行う判断の善悪は誰が決定するのか」「AIの判断ミスは誰の責任となるのか」といった、倫理的な社会課題も顕在化してきています。三菱電機も「Maisart®(マイサート)」というAI技術ブランドを所有していますが、私がこの課題に注目した時点では、周囲でAI倫理に関する検討は進んでいない様子でした。けれども、AI技術を提供する私たちにはこの課題と向き合う使命があるはずです。そう強く感じたことをきっかけに2017年頃からリサーチを開始し、2020年に満を持して、自由にテーマを決められる研究所内の公募型プロジェクト「Design X®」で「AI SPEC」という取り組みをスタートしました。

倫理観や価値観は、時代によって変化します。文化や個人によっても異なってくるでしょう。正解はありません。けれども議論を重ねていくことで、AIと共存する未来のあり方は見えてくるはず。この議論を起こすきっかけを作るために、アートシンキングやスペキュラティヴ・デザインといったアプローチを活用しました。ふたつに共通するのは、問題提起を通じて未来を考えさせる取り組みであること。本プロジェクトでは、こういった問いを投げかける作品を制作することにしました。 AI SPECというタイトルは、思索を意味する「Speculation」から名付けています。

最初にプロジェクトのメンバーと行ったのは、AIの活用事例や、AIが用いられている製品で実際に起きている課題の収集と整理です。「議論を呼び起こすにはどんなテーマを扱うべきか」を検討する中で、私たちがこのプロジェクトで取り上げるべきは「誰も想像したことのない驚きの未来」ではないかという考えに至ります。想像しがたい未来には、まだ誰も考えたことのないような気づきが潜んでいる。そんな世界を具体的に描ければ、受け手は自分ごととして興味を抱いてくれる。そう直感したのです。

そして構想したのが「AIの思考プロセスを理解することを諦めた世界」です。AIの抱える問題としてよくあげられるのが「AIはブラックボックスだ」というもの。AIは大量のデータをもとに自律学習し、自ら判断基準を獲得していきます。そのためAIの下した判断は、どういった根拠に基づいているのかは不透明になるのです。顕在化したこの問題を前に、世の中では多くの技術者が、AIの思考プロセスを明らかにする技術の開発を進めています。私たちは「AIの思考プロセスを理解することを諦めた未来」を具体的に描くことで、どんな問題が起こりうるかを議論できればと思ったのです。

見たこともない世界を提示し、新たな気づきを与える

この作品で扱うテーマのひとつには「AIが判断した責任の所在」があります。作品内では、「AIがある事象を判断した理由は分からないが、その判断に誰のデータが使われたのかは分かる」という未来を描きました。正しいデータに基づけば、AI は正しい判断を下せます。誤った判断がされた場合は、AIに誤った学習をさせるデータが混入していたことになります。AIが誤った判断をした場合、ここではそのデータを提供した人が責任を負うのです。原因が複数人にあれば、責任も分散されます。逆にAIに良い影響を与えるデータを提供する人は、相応の評価がなされます。このような未来は、私たちにとって理想的でしょうか。もし快く思わない登場人物がいたら、どのように振る舞うのでしょうか。こういった問いかけをしながら、ストーリーを練っていきました。

誰も見たことのない世界を表現するために選んだメディアはマンガで、作画を担当したのは漫画家・イラストレーターのカシワイさんです。三菱電機のプロジェクトでマンガを制作するのはこれが初めてでした。実写映像でも、想像した世界を他者と共有することはできますが、その場合すべてが具体的になり過ぎるため、見る側が「どんな世界なのか」と想像する余地がなくなります。これでは議論の発展につながりにくくなるでしょう。一方で小説にすると、読み手はその世界の大部分を想像できますが、活字を読むという行為には大きな負担がかかります。映像と小説、これらふたつの中間にあるマンガであれば、適度な余白を与えながら読者に想像を促していけると思ったのです。

物語に登場するいくつかの小道具も形にしました。手触りのあるアイテムが添えられると、マンガのリアリティが増すからです。主人公たちが日常的に用いるアプリもそのひとつ。これは人々がAIに提供する行動履歴などのデータが、AIの解析に良い影響を与えれば個人の資産に還元され、悪影響を与えた場合はマイナスされるというものです。また、AIから認識されやすいことに価値がある世界では、衣類メーカーも認識率の高さを訴求します。その指標を示すタグも制作しました。もうひとつは、AIから主体性を取り戻すことをポリシーとする「4A(クアッド・エー)」のステッカー。「A」にノイズをかけたロゴマークで、AIに読み取られない意志を表したものです。

AIに与える影響を金銭的価値に変換するアプリ
AIによる認識率の高さを訴求するための
指標が示された衣類タグ
AIから主体性を取り戻すことをポリシーとする
「4A(クアッド・エー)」のステッカー

オープンな対話へと誘い、AIとともにある理想の未来へ

2020年9月に所内でマンガを発表したところ、多くの反響が集まり、私たちとしても大きな手応えを感じました。とはいえ、マンガや小物はあくまで議論を生み出すきっかけにすぎません。実際のところオープンな対話を促すために、三菱電機のデザイナーやAIに携わる情報技術総合研究所の研究者とのディスカッションを複数回開催しました。ここで出てきた貴重な意見やユニークな問いかけは議事録にまとめるのではなく、議論の様子が見てとれるようなポスターに。参加メンバーの中だけに閉じることなく、誰もが議論の内容に触れられるようにしました。

その後、あらゆる社員を対象としたワークショップの開催に注力するに至ります。ワークショップではマンガを読んでもらい、まずは感じたままに意見を出し合います。それだけではなく、たとえば「自分が政治家だったらどう思うか」といった、普段の自分とは異なる立場を想定した考えも発信してもらいました。これによって生まれてくる気づきは多様なものとなります。さらなる議論が求められると感じたポイントについては、次回以降のテーマとして残していきました。ここで生まれた「AI時代の子供へのAIリテラシー教育は、どうあるべきか」「AIが生み出す様々な不公平に、どのような仕組みによって企業は向き合うことができるか」といったテーマは、三菱電機にとっても大変有意義なものです。

プロジェクトを進める中で、三菱電機の「AI倫理ポリシー」の策定や浸透を推進するチームとも連携することになりました。「社内でのAI倫理教育のプログラムのひとつに、このワークショップを取り入れられないか」といった検討が進んでいます。三菱電機の「AI倫理ポリシー」は2021年の12月に策定されましたが、まだスタート地点に立ったに過ぎません。AI SPECのような活動を通じて、自分たちが生み出した技術を厳しく見つめ、その善悪を自ら問い続けていくこと。より多くの社員が議論に参加することで、社会に広く受け入れられるAIのあり方を見出していけるはずです。

倫理の問題に限らず、自分ごとにしにくい課題は無数にあります。ですが想像力を働かせ人々に新たな気づきを与えながら、議論を喚起することが重要です。そこから生まれてくる対話にこそ、より良い未来へのヒントが隠されているのだと思います。私は常に社会のあり方に思いを巡らせて未来を描いていきたい。これこそがデザインの役目だと思っています。

「Maisart(マイサート)」「Design X」は三菱電機株式会社の登録商標です。
掲載内容はPJメンバーの見解であり、三菱電機グループを代表するものではありません。
本記事の掲載内容に関する著作権など諸権利はすべて三菱電機株式会社に帰属します。

三菱電機株式会社 統合デザイン研究所
UIデザイナー

深川 浩史

2011年入社
エネルギーシステムやセキュリティシステム、ビルシステムなど、BtoB向け製品のUIデザインを担当。新しいUIの研究開発や、未来社会を描く活動も手掛ける。