Vol.52
火星最接近とサンプルリターン・レース
このコラムを執筆する2025年1月は、火星と地球が2年2か月に一度、最接近するタイミングに当たる。
火星は地球の外側で太陽の周りを687日かけてまわり、地球は365日かけてまわる。内側をまわる地球が速く、外側の火星がゆっくりと公転しているため、2年2か月に一度、地球が火星を追い抜かすことになる。このとき、地球と火星が最接近する。
最接近時には、当然のごとく、地球からは火星が大きく明るく見える。2025年の最接近では、火星はマイナス1.4等級、つまりシリウスと同程度の明るさになる。夕暮れ時に東の空からのぼり、夜明けに西の空に沈んでいく、明るい赤い天体が見えれば、それは火星に違いない。
地球から火星に、あるいは逆に火星から地球に、宇宙船が向かうとすれば、この最接近のタイミングで両者の距離が最短となり、効率よく相手の天体に到達できる。つまり、地球から火星への旅には、最接近に合わせて、2年2か月に一度のウィンドウ(打ち上げに適した期間)があるといえる。
もっとも、地球から火星に向かう飛行時間が約半年ほどあるので、この最接近時に宇宙船を打ち上げてはタイミング的にやや遅い。最接近の数か月前に火星に向けて打ち上げると、ちょうどタイミングよく最短距離で火星につくことができる。
これが火星に人類が向かうのであれば、年単位での旅になるといわれる所以である。一度火星に行けば、次に火星と地球が接近するウィンドウは2年2か月後にしか訪れず、否が応でも、火星上で2年近く生き延びねばならない。
これまでの国際宇宙ステーションにおける、単一ミッションでの人の滞在記録は約438日であり、月面での最長滞在記録はわずか75時間でしかない。仮に宇宙飛行士が命に係わる病になった場合、宇宙ステーションや月面からはいつでも帰還できるが、火星の場合はそうはいかない。また、宇宙ステーションや月面に、食料を含む物資をすぐに届けることができるが、火星では最短でも約2年後になってしまう。
地球から完全に切り離されて人が年単位の生活をするには、まだ多くの課題がある。火星に人を送る前に、人類は月面で多くの経験を積む必要があるといわれるのもこの点にある。

フォボスに含まれる火星の砂
さて、この地球から火星への旅のウィンドウは、無人探査機においても同様である。これまでは火星への片道切符を持ち、決して地球に帰ることのなかった探査機たちであるが、今後数年間、地球に火星試料と共に帰還するサンプルリターン計画が行われる。文字通り、地球と火星の間を探査機たちが足しげく往復する時代が来るといっていい。
JAXAによる火星衛星探査計画MMXは、火星衛星フォボスへのサンプルリターン探査である。もともと2024年に打ち上げ、2025年に火星軌道に到着する予定であった。すなわち、今この瞬間の2024〜2025年の火星への旅のウィンドウに合わせた計画であった。MMXが火星衛星を旅立つのは4年半後の最接近時であり、2029年に地球へと帰還する予定であった。
このMMXが、H3ロケットのスケジュール遅延のため、現在、2026年に打ち上げ、2027年に火星到着、地球帰還が2031年と、それぞれ2年ずつ遅れた計画になっている。2年のずれというのは、この火星と地球との旅のウィンドウを1回ずつ後ろにずらしたためにほかならない。
MMXにおける科学目標は、火星衛星の起源を解明することにある(参照:第47回「火星の月はどう生まれたのか」参照)。巨大衝突説と捕獲説という2つの仮説に決定打を打つべく、衛星フォボスの表面物質を持ち帰る。フォボスを作る物質を調べれば、その起源となった過程を明らかにすることができるのである。
一方で、このフォボスの表面の砂には、フォボス以外にも、火星本体の物質も含まれていると予想されている。フォボスができて以降、火星には数多の小天体が衝突し、そのたびに大量の火星表面物質が宇宙空間に巻き上げられてきた。そのうちのごく一部は、衛星であるフォボスの表面に到達し、降り積もる。大雑把にいって、フォボス表面の砂1000粒に対して、1粒は火星本体からの砂が混じっていると見積もられている。MMXでは10グラム以上のフォボス表面物質を地球に持ち帰る計画であり、その中には10〜100粒程度の火星本体由来の砂粒子が入っている可能性がある。
この火星本体由来の物質を地球に持ち帰るのも、MMXの隠れた影の目標である。運が良ければ、火星生命の痕跡がそのサンプルのなかに入っていないとも限らない。

火星からの帰還:2つの方法
火星からのサンプルリターンを目指しているのは、MMXだけではない。
NASAおよびESAは、火星サンプルリターン計画の最中にあるが、前のコラムで述べたように、これは予算的な問題に直面している(参照:第46回コラム「岐路に立つ火星からの帰還」)。NASAの探査車パーサヴィアランスは、すでに火星が水の惑星だったころの泥の堆積物を採取し、30個ほどの帰還用カプセルに入れている。それら火星上に散らばるカプセルを回収し、地球に持ち帰るには新たな着陸機と、サンプルを載せて火星重力を脱出するロケットが必要となる。その帰還のための着陸機やロケットが予算超過により見直され、現在、当初計画が白紙となっている。
2024年、NASAはより安価な新規のサンプル帰還方法を公募した。そして、NASAや大学の研究所だけでなく民間宇宙会社からの11案が提出され、90日間スタディが行われた。その結果、2025年の年明けに2つにまで絞りこまれた。
1つはスカイクレーンと呼ばれる、これまでNASAが培ってきた火星への着陸方法で着陸機やロケットを降ろす方法である。これまでは着陸機とロケットという大重量物を降ろすため、新規の着陸方法が考えられてきた。しかし、その開発試験に多大なコストがかかるため、着陸機とロケットのデザインを見直し、両者をコンパクトにすることで旧来のスカイクレーン方式での着陸を成し遂げようとするものである。もう1つの方法は、民間会社による提案であり、詳細は明らかにされていない。
NASAは、この2つの方法を2026年まで並行して検討するという。2026年に帰還方法を決定したとしても、探査機を製作するのに2、3年はかかるだろう。つまり、サンプル帰還のための着陸機は2031年以降のウィンドウで打ち上げられ、現地でのカプセル回収作業などを終え、地球に帰還するのは2035年以降のウィンドウになるということである。
2031年に地球に帰還する予定のMMXのサンプルに、予想通り火星の砂が含まれていれば、これは衛星だけでなく、火星本体からの人類史上初めてのサンプルリターンにもなるかもしれない。
サンプルリターン・レース
一方で中国も、NASAと同様、火星本体からのサンプルリターンを計画している。天问三号(Tianwen-3)と名付けられた計画である。中国は、当初予定していた計画を、2年早めて実施するという決定を2024年末に行った。遅れることが近年の通例である宇宙探査において、計画を早めることは極めて異例といわねばならない。
新しい計画では、今年(2024〜2025年)の火星へのウィンドウの次、つまり、2028年のウィンドウに探査機を打ち上げ、当初の滞在スケジュールの通りであれば、すぐその次のウィンドウである2031年に地球に試料を持ち帰る。つまり、MMXと同じウィンドウで帰還することになる。
火星上での滞在は1ウィンドウ分の2年程度であり、まるで1泊2日で海外旅行に出かけるような忙しさである。滞在時間が短いため、サンプルも着陸地点である火星上の1地点でしか採らない。1泊2日の弾丸旅行では、観光できる都市もせいぜい1つ程度だということを思えば、これも理解しやすいかもしれない。
このような中国の弾丸火星サンプルリターンは、十分な探査をして、30個の異なる地点のサンプルを峻別したNASAやESAのそれとは趣を異にする。火星上のどこから来たかも知れない、衛星フォボスに降り積もった火星の砂を期待するMMXとも違う。
中国が計画を2年前倒した理由は様々あろうが、むろんMMXが2031年に帰還すること、そして衛星のサンプルに火星本体の砂が混じっている可能性があることも大いに影響したとみてよい。人類史上初の火星物質のサンプルリターンは、科学だけでは測れない意義があるのだろう。同じ2031年のウィンドウで地球に帰還するMMXと天问三号のどちらが先に帰還するかまだ不明だが、おそらくタッチの差程度の違いしかないだろう。
科学の観点では、どちらが早いかはあまり重要ではない。NASAとESAの計画を含めて、むしろカプセルに何が入っているのかが大事である。火星サンプルにおける科学の本丸は、生命の痕跡の発見である。幸運は、どのカプセルに宿るのであろうか。
しかし、生命の痕跡が帰還サンプル中になかったとしても、それはそれで科学の価値はある。科学者とは一般的に、大判小判を探して土を掘り、小判の代わりに瓦が出てきたとしてもその瓦を面白がる種類の人間である。どのカプセルにも、必ず発見と驚きがある。この科学のもつ画一的でない面白みがわからなければ、探査の本質的な醍醐味は味わえない。
そういった数億キロメートル先の喧噪と期待を知ってか知らずか、最接近した火星は今日も明るく、夜空にひときわ赤く輝いている。
まだ外は寒いが、望遠鏡をお持ちの方はそれを引っ張り出して、火星を眺めてみてはどうであろうか。きっと赤茶けた土壌に覆われた火星が見えるだろう。それは、肉眼で見る光の点ではなく、立体的な広がりを持った天体として、火星が皆さんの目前に現れるに違いない。
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