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星空の散歩道

2013年10月16日 vol.76

栗名月と、その起源の謎

中秋の名月だけじゃない、美しい秋の月。

中秋の名月だけじゃない、美しい秋の月。

 中秋の名月はご覧になったでしょうか。前月には(「vol.75/月に魅せられた日本人」)というタイトルで、お月見の話をご紹介しましたが、今月は中秋の名月から約一ヶ月後の十三夜のお月見があります。今年は10月17日になります。前月よりもさらに大気は清涼になり、月の明りもまぶしいと感じるほどです。

 この十三夜のお月見は古くから行われていたようなのですが、実は日本にしかない風習です。本居宣長などの江戸時代の国学者らも日本独自の風習と考え、好んで十三夜の月見をしていたようです。最盛期には、十五夜で招いたお客人を、九月十三日の十三夜にも招く習わしになっていたようで、十五夜だけ観月をするのは片見月と言って忌み嫌われていたこともあるようです。

 ただ、その起源となると、実は諸説あって、あまりよくわかっていません。朱雀天皇が崩御し、その御國忌を避けて十三夜のお月見をしたことから始まったという説や、十三夜の月に対応する神様が虚空蔵菩薩であったため、真言密教や修験道の方面から広まったという説もあります。

 収穫祭としての十五夜には、秋の農産物、特に米の収穫祭としてのお月見という目的もありますが、お団子に新米を使うとすれば、稲刈りが間に合わないところもあります。とすれば、十三夜を行うことで、収穫祭のお月見という目的は達成できます。民間に広まっていった十三夜の風習には、そういった意味もあるかのも知れません。

 また、徒然草には、「八月十五日、九月十三日は、婁宿(ろうしゅく)也、此宿清明なる故に、月をもてあそぶに良夜とす」とあります。これは、もともと中国起源の星座(宿)を暦注として、それぞれの日に割り当てる習わしに由来しているものです。宣明暦のような古い暦では二十七宿を採用しており、八月十五日と九月十三日は同じ婁宿となっていました。ただ、これは暦が変わると成り立ちません。実際、渋川春海が作成した貞享暦以後は、暦注には二十八宿が採用され、十五夜も十三夜も必ず婁宿にあたるという関係が成り立たなくなりました。江戸時代の滝沢馬琴の俳諧歳時記には「或は兼好が婁宿の説の如き、又信とするに足らず」と書かれていますし、「隣女晤言」にも「十三夜 九月十三夜は、婁宿にあたれるによりて晴明なるよし、つれづれ草に書たれどさにはあらず」などと記されています。徒然草が書かれた1330年頃には、星座としての婁宿は確かに二十四節気の清明付近となっていますが、これもたまたま歳差の関係でそうなっているだけです。では、十三夜の月が星座の婁宿にあるのかといえば、そうでもありません。もともと十三夜が鑑賞されるようになった頃とされる延喜十九年(919)には、十三夜の月は壁宿のあたりにあるので、これも的外れです。やはり、婁宿起源説はかなり分が悪いと言えるでしょう。

 その起源がいずれにしても、秋の月は美しいものです。秋の味覚、特に栗の採れる季節ですから、栗名月とも呼ばれている十三夜。ぜひ秋の味覚を味わいながら月を愛でてみたいものですね。