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We are from Earth. アストロバイオロジーのすゝめ

東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine

 Vol.26

妖怪とアストロバイオロジー II
“鬼はなぜ虎のパンツをはくのか”

約1年前、このコラムの雑談として、妖怪と地球科学、アストロバイオロジーの接点を探す試みを行った。妖怪とは、古代中世において、人智を超える不思議な物や出来事に対して名付けられた名称である。当時は不思議だった物や事も、今の知見に照らせば科学で説明可能なこともあるだろう。

1年前のコラムでは「天狗」の起源を考えた。天狗は元々古代中国において隕石落下のことであった。隕石の落下を、当時の人々が天に棲む狗(いぬ)が地上に降りたものだと解釈したのである(参照:第13回コラム「妖怪とアストロバイオロジー I “天狗”」)。

今回は、“妖怪とアストロバイオロジー”第2弾として、「鬼」を考えたい。

鬼は、天狗と並び、小さな子でも知っている最も有名な妖怪である。「桃太郎」や「一寸法師」、「酒呑童子」などの古典だけでなく、「泣いた赤鬼」、「鬼滅の刃」など、現代においても多くの物語に登場する。童謡「おにのパンツ」は、イタリア歌曲に日本人歌手が歌詞をつけたものであり、あのインパクトのある歌詞は一度聞いたら忘れられない。

鬼といえば、あの独特のビジュアルである。大きな体躯に、口から牙、頭には角が生え、虎の毛皮のパンツをはいている。

しかし、なぜ鬼は虎のパンツをはいているのだろうか?

そんなこと鬼の趣味嗜好だろうと思われるかもしれないが、実は、鬼には虎のパンツははかねばならない隠れた理由があるのである。

鬼の起源

「鬼」の起源を求めれば、天狗と同様、古代中国に行きつく。

紀元前に中国で書かれた世界最古の地誌「山海経」によると、鬼という言葉の中国での意味は、死霊ということらしい。当然、中国での「鬼」は、角もなければ、虎のパンツもはいていない。幽鬼という言葉があるが、現代日本のイメージとして中国の鬼は幽霊に近く、絶世の美女であることも多いという。

鬼のあの独特なビジュアルは、実は日本人が勝手に生み出したものらしい。

この点、天狗に酷似している。天狗ももともと古代中国では隕石落下のことであったが、平安期の日本において山で修業する山伏のイメージが現代の天狗の原型となり、妖怪・天狗として独自の進化を遂げた。

鬼のビジュアルの起源については、江戸期狩野派の画師・鳥山石燕(とりやま・せきえん)の今昔画図続百鬼に重要な記述がある。今昔画図続百鬼に画かれる鬼は、現在に近いビジュアルをしている。この絵の脇に、石燕は次のような説明を書いている。

“世に丑寅(うしとら)の方を鬼門といふ 今鬼の形を画(えが)くには頭に牛角をいたゞき腰に虎皮をまとふ 是丑と寅との二つを合せてこの形をなせりといへり”

古代中国では、鬼すなわち死霊の国があると考えられており、その出入口が「鬼門」と呼ばれた。北東の方向に鬼門はあり、そこから死霊たちがやってきて暴れたり、悪い風が吹いて疫病や飢饉をもたらしたりすると考えられていた。

日本の妖怪・鬼は、その棲みかである鬼門が北東(丑寅)だから、牛と虎の両者を合体させたイメージになったのだと石燕は書いている。

鳥山石燕「今昔画図続百鬼」の鬼。左上に鬼の起源の説明がある。

なぜ北東が鬼門なのか

東西南北という方位の呼称は、昔は十二支の呼び名を使っていた。北を「子(ね)」として方角を12分割する。すると、東が「卯(う)」、南が「午(うま)」、西が「酉(とり)」となる。鬼門である北東は、ちょうど「丑」と「寅」の方角の間であり、「丑寅(うしとら)」と呼ばれる。

平安京の鬼門には比叡山が置かれ、江戸城の鬼門には上野の寛永寺が置かれ、それぞれ北東の守りとされた。寛永寺の正式名所は東叡山寛永寺、つまり東(江戸)の叡山の意である。

鬼が虎のパンツをはいている理由は、石燕が述べているように、鬼門が北東(丑寅)の方角にあったからに他ならない。頭に角があれば牛とわかるが、牙が生えているだけでは虎とわかりにくく、鬼はどうしても虎のパンツをはく必要があったのである。

しかし皆さんは、ここで鬼のパンツの謎がすべて解決されたと思うであろうか。

僕は、もう少し踏み込んで考えてみたくなる。つまり、そもそも中国ではなぜ北東が死霊の国の方角と考えられたのかということである。これについては、2つの説があるらしい。

1つには、古代中国は北方騎馬民族の脅威にさらされていたという説である。匈奴あるいはフンヌと呼ばれた民族はモンゴル高原に強大な勢力を持ち、そこからひっきりなしに攻め込んでくるため、その方角を不吉としたとする考えがある。

もう1つは、中国を含めた東アジアの気象に関連があるという説である。東アジアでは冬に寒冷なモンゴル高原から強く冷たい季節風が吹く。厳しい冬に常に風が吹いてくる方向を、死霊の国だと考えたというものである。

どちらも説得力があるが、僕は少し疑問も感じる。というのも、どちらもモンゴル高原からの影響であり、中国から見ればモンゴルは「北東」というより「北西=戌亥(いぬい)」に位置する。鬼門が北西ならば、鬼は犬とイノシシのイメージの合体になってしまうだろう。

エルニーニョ現象?

僕の想像は、後者の季節風説の変化版である。

東アジアにおいて、ときに夏に北東から冷たい風が吹いて深刻な冷害をもたらす。東日本では、「やませ」と呼ばれる北東の冷たい風である。夏は農作物にとって重要な時期であり、この時期に冷害があり十分に成長できないと、秋の収穫は見込めない。そのような大飢饉をもたらす風が吹いてくる方角を、死霊の国の方角としたのではなかろうか。

このような数年に1度の東アジアの冷害をもたらす原因は、エルニーニョ現象(エルニーニョ・南方振動)として呼ばれる地球規模の自然現象であるということが近年明らかになりつつある。

エルニーニョ現象とは、太平洋を巨大なプールに見立てたとき、その最西端であるインドネシアにある暖かい海水が、夏に太平洋の真ん中まで広がる現象のことをいう。逆に暖かい海水が全く広がらず、インドネシア近海のみにしかない場合をラニーニャと呼ぶ。

エルニーニョが起きると、暖かい海水が太平洋の真ん中に移動してしまうので、インドネシア周辺の暖かい大気はその勢いが弱まり、相対的にオホーツク海周辺の冷たい大気が日本や東アジアに吹き付けることになる。エルニーニョになると、日本が冷夏となるといわれる所以である。

そうであれば、鬼とは、太平洋という巨大な海洋を東にもち、インドネシアの暖かい海を南にもつ、ユーラシア大陸の東の果てという東アジアの地理的要因が生み出した産物なのかもしれない。特に、日本では夏に北東から季節風が吹けば深刻な飢饉になりかねず、鬼門=丑寅というイメージが強固に定着したのではあるまいか。

平常時、エルニーニョ現象時、ラニーニャ現象時の太平洋熱帯域の海水温分布と大気海洋の運動の模式図。(出典:気象庁ホームページより)

地球の大陸は、表面を覆うプレートに乗って絶えず移動している。プレートテクトニクスと呼ばれる地質現象であり、現在の大陸配置は地球史においては一瞬の状態にすぎない。また、大陸の面積自体も、46億年という地球史のなかで変化している。今から30億年前に大陸の面積は、急成長したと言われる。

大陸の配置が今と違っていたら、あるいは大陸の面積が違っていたら、エルニーニョや季節風は今のようには存在せず、鬼も生まれなかったのかもしれない。

過去10億年の大陸移動の復元モデル。白い領域が海で、黄土色と灰色の領域が大陸。図の上の数字は今から何年前かを表しており、Maは100万年前の意味。例えば、500 Maは、5億年前の大陸配置を表す。(提供:Dr Andrew Merdith, University of Lyon)

妖怪は進化する

鳥山石燕の作品群には、鬼を始めとして200を超える妖怪が描かれている。

狩野派では、妖怪を含む森羅万象が描かれた画の教材が存在していた。入門した弟子たちは、この教材の画を模して画法を習得していく。

石燕は妖怪の画を習得するため狩野派に入門し、教材にある妖怪の画を集めて本として64歳で出版した。多田克己氏によれば、石燕は生活のためではなく、隠居となって自己表現のために絵を画いていたらしい。現代風に言えば、サブカルチャーのフィクサーと言ってよいだろう。画いた200以上の妖怪のうち、1/3ほどは石燕の洒落や遊び心からなる自作だという。石燕がどういう人物だったか想像できる。

はるか後年、この石燕の妖怪画に目を付けた漫画家がいた。水木しげるである。

水木は、「墓場鬼太郎」という「ゲゲゲの鬼太郎」の原型作品を書いていた。「墓場鬼太郎」に登場するのは、主に民俗学者・柳田國男の「妖怪談義」に登場する妖怪たちであり、各地の民話伝承に基づいた画のない妖怪に、水木が独自のビジュアル(画)を与えて漫画にした。こなき爺もぬりかべも、本来ビジュアルは無く民話伝承の存在だった。

1960年代に「墓場鬼太郎」が「ゲゲゲの鬼太郎」となり、テレビ化されるに至り、鬼太郎の敵役たちが必要になった。水木は、そのとき石燕の妖怪画に、個性つまりキャラクターを次々と与えて鬼太郎たちと戦わせた。鬼太郎の宿敵ぬらりひょんも、石燕の画図百鬼夜行に登場する一妖怪である。

つまり、「ゲゲゲの鬼太郎」は、水木が柳田國男の民話伝承の妖怪にビジュアルを与えて鬼太郎派を作り、石燕による妖怪画にキャラ付けをしてぬらりひょん派を作り、世紀を超えて両者を戦わせた物語ともいえなくもない。水木が妖怪の父と言われるのはこのためである。西洋ではモンスター=凶悪というイメージだが、水木の妖怪は平気で人間とも友情を育む。現代のポケモンにも通じるこのコンセプトの一源流を、僕は水木に求めたい。

面白いことに「ゲゲゲの鬼太郎」がテレビ化した1960年代に、妖怪のもう1つの進化系統が出現している。「怪竜大決戦」という特撮映画では、それまで人間サイズだった妖怪が巨大化して巨竜や大蜘蛛が登場する。これがヒットしてゴジラやガメラといった怪獣特撮の流れを作り、ウルトラマンにも合流する。巨大生物の格闘劇は、「進撃の巨人」や「ヱヴァンゲリヲン」にもつながるだろう。

妖怪は、生命と同じく進化する。

鳥山石燕「画図百鬼夜行」のぬらりひょん。

日本や東アジアの置かれた独特な地球規模での地理的要因が、妖怪の誕生に影響を与えたと思われる例は鬼以外にも多く見られる。そして、それが先人たちの想像力と遊び心によって多様に進化し、今日本のカルチャーの一部として世界に認知され、僕らは知らずに恩恵を受けている。

石燕の墓は浅草のとある寺にある。これは江戸城本丸から見て、きわめて正確に鬼門の位置に当たる。これも彼の遊び心の1つの表現であろうか。

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