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We are from Earth. アストロバイオロジーのすゝめ

東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine

 Vol.27

火星に天体が衝突した?—インサイトの静かなる活躍

2022年10月28日、火星で天体衝突が起きたというニュースが伝えられた。NASAが大々的に報じたので、ニュースを目にされた方もおられるだろう。

衝突した天体の大きさは約10メートルと推定されている。実は、これは特別大きい天体というわけではない。この程度の天体は、地球ではおよそ1年に1回程度落下している(参照:第13回コラム「妖怪とアストロバイオロジー I “天狗”」)。地球よりひとまわり小さな火星でも、約10年に1回落下するサイズの天体であり、あり得ないような巨大天体の衝突ではない。

このニュースの本質は、火星に天体衝突が起きたことではなく、それを人類がたちどころに検知できたところにある。

検知したのは、インサイトと呼ばれる火星着陸機に搭載された高感度の地震計である。

地球では、10メートル程度の天体は、厚い大気の中を落下する間にその大半が燃え尽きる。一方で、火星の場合、大気が地球の約100分の1しかないため、10メートル程度の小天体でも地表に到達してクレーターと呼ばれる穴を作る。この地面衝突時の振動を、衝突地点からはるか3500キロメートル離れた着陸機インサイトの地震計が感知したのである。

これまでこのコラムで僕は、しばしば火星探査車を紹介してきた(参照:第25回コラム「パーサヴィアランスの火星探査速報」)。探査車はかつての湖の底に着陸し、堆積物の泥の上を走り回り、試料をドリルで採取する。かつての湖の環境が生命の生存に適しているのか、生命の痕跡はないか調べるのである。

一方で、インサイトはこれら探査車とは趣きを異にしている。かつての湖の底や峡谷に着陸するわけでもなく、また生命の痕跡を求めて走り回ることもない。

インサイトは、ただ地震計を広い平原に設置し、あとはひたすらに地震が起きるのを静かに待ち構える。火星では稀に砂嵐も起きるが、それでもインサイトは動かない。いや、動いてはいけないのである。動かず、ひたすらに静かにしていなければ、火星で起きるかもしれない地震の微弱な振動を感知できない。

これまで火星に送り込まれたどの探査機より、インサイトは静寂を愛する。今回は、インサイトの静かなる活躍を紹介しよう。

クリーンルームで組み立てられている火星着陸機インサイト。(提供:NASA/JPL-Caltech/Lockheed Martin)

火星の地震を検知せよ

「火星から届けられるデータを使って、地震が起きていないかを調べています。ちょうど医者が聴診器から聴こえる音で体の中の様子を調べるように、地震があればその地震波の伝わり方で火星内部の岩石の“硬さ”を知ることができます。」

こう話すのは、パリ地球物理学研究所の川村太一さんである。川村さんは日本人で唯一、インサイトの解析チームに加わり、地震計を開発したパリの研究所でインサイトが届ける地震計のデータを解析している。

パリ地球物理学研究所の川村太一さん。インサイトの最初期のころ、火星の地震波データを囲んで、NASAで議論している様子。(提供:川村太一)

インサイトは、2018年5月にロケットで宇宙へ打ち上げられ、同年11月に火星に着陸した。着陸機自体は米国NASAのものだが、そこに搭載された地震計はフランスのチームが開発したものである。

インサイトが解き明かそうとするのは、“火星には地球と同じように地震があるのか”という謎である。

地球では、地震は地殻変動や火山活動によって起きる。プレートと呼ばれる硬い岩盤は、地球上で絶えず動いており、そのプレート同士がぶつかる日本のような場所では地震がひっきりなしに起きる。

もし、火星に活発な地震活動があれば、それはこの惑星にも地殻変動が現在でも起きていることを示す証拠となる。川村さんの言う、地震の波から明らかになる火星内部の岩石の“硬さ”は、地中深くの温度を知る手掛かりになる。内部の温度が高ければ、内部の岩石は水あめのごとく柔らかくなるのである。

火星内部はまだ熱もあり、地殻変動も起きている“生きている惑星”なのだろうか。その謎の鍵は地震にある。果たして、結果はどうだったのだろう。

火星は生きていた

2018年11月に火星に着陸したインサイトは、1年もしないうちに結果を出した。翌年9月までの10か月間で、予想をはるかに上回る170回を超える火星の地震を観測したのである。

インサイトは着陸地点に近い地域の地震を主にとらえているが、そこでの地震発生頻度から類推すると、火星全体での地震の回数は1年で数百回程度と見積もられる。マグニチュード5にもなる大きな地震も観測した。

地球上でも最も地震の多い日本という地域にすむ僕らからすれば年数百回という回数は少なく感じられるかもしれないが(日本の年間平均地震発生回数はなんと約3000回である)、この火星での地震発生頻度は、地球の大陸の内陸地域と同程度である。このような高頻度の地震発生は、専門家も予想していなかった。

またインサイトは、いくつかの地震が集中して起きる地域、つまり、地震の巣があることも明らかにした。それは、インサイトの着陸地点から東に2500キロメートルほど離れた地域にあり、衛星画像を詳しく見ると、確かに地溝帯と呼ばれる断層が無数に存在し、溶岩が噴出した痕跡もある。川村さんは次のように言った。

「火星でも、地球と同じように活断層があり、それによって地震が繰り返し発生していました。驚きました。また、火星の内部も予想されていたより暖かく、わずかですが水分も含まれているようです。今の火星はその表面だけ見るとクレーターと砂漠に覆われた死の惑星のように見えますが、その内部は地球のように活動がある“生きた惑星”だったのです。」

火星の直径は地球の半分ほどしかなく、そのため熱が早く失われて、内部は地球より冷えやすい。月は地球の4分の1ほどのサイズでしかなく、火星よりさらに早く冷えてしまう。川村さんは続けてこう言った。

「私が一番感動したのは、火星の地震波データを見たときに、地球と月の研究がつながったと実感できたことです。インサイト以前は、活動的な地球と、内部が冷えた月の両極端の実例しか、我々は知りませんでした。火星はちょうど地球と月の中間に当たります。内部は地球よりは冷えてはいますが、まだまだ活動を失ってはいません。地球、火星、月の3天体の知見がひとつなぎにつながった気がして、深く感動しました。」

クレーターと有人火星基地

そんなインサイトにとって、今回の天体衝突による振動の検出は容易いものだったといってよい。

インサイトのデータから、衝突地点とおよそのクレーターの大きさが導かれる。その衝突地点と思しき領域を火星周回機が撮影すると、予想通り、それ以前にはなかった新しい直径150メートルほどのクレーターが突如出現していたのが見えた。

インサイトが検出した天体衝突で形成した直径150メートルほどのクレーター。白く飛び散った物質が氷だと考えられている。(提供:NASA/JPL-Caltech/University of Arizona)

クレーターの周辺には、地下の黒っぽい物質が掘り返されて飛び散っており、さらにクレーターのごく近傍には地下にあった氷と思われる物質も現れ出ていた。

このクレーターが出現した緯度は北緯35度である。これまで氷が地下数メートル以浅に確実にある証拠は、緯度60度より高緯度、つまり北極や南極の極域でしか得られていなかった。

火星の地下に広がる氷は、有人火星探査における最重要資源とされる。氷があれば、それを電気分解して水素や酸素を作ることができる。水や酸素は将来の宇宙飛行士が火星に行く際には必要とするし、水素はロケットの燃料にもなる。

ただ、氷があるからと言って、あまり高緯度だと太陽光が弱く太陽光発電の効率が悪い。発電できなければ、そこでは宇宙飛行士が滞在できない。したがって、なるべく太陽光の強い赤道に近く、同時に地下に氷が存在している場所が、将来の火星基地候補として求められている。

今回の氷が出てきたクレーターの領域は、まさに将来の火星基地候補としてうってつけである。これもインサイトがいなければ、得られなかった知見であろう。

ありがとう、インサイト

実は、インサイトには最期の時間が近づいている。

動くことの許されないインサイトの太陽光パネルには、砂が厚く降り積もり、満足な発電ができなくなっているのである。ずいぶん前からこの電力不足は深刻な問題となっていたが、苦しい状況の中、それでもインサイトは今回の天体衝突を含むデータを、僕らに懸命に届けてくれた。インサイトの公式ツイッターには、次のようなメッセージが11月2日に投稿された。

“約4年間の火星での冒険を終えて、私に長い静寂が訪れようとしています。火星で過ごした時間は夢のように過ぎ、探査チームは私が取得したデータの全てを、世界中の科学者たちが未来に渡ってずっと使えるように整理して、私を助けてくれています。”

着陸直後(2018年12月)と約3年半後(2022年4月)のインサイトの写真。3年余りで厚い砂が降り積もっていることがわかる。(提供:NASA/JPL-Caltech)

その探査チームの一員である川村さんは、東京大学で博士号を取得した後、一度、民間企業に就職した。地震波データの解析研究から、経済予測モデリングへの転身だった。どちらにも、波形データからその背後に潜む“からくり”を暴くという共通性があり、仕事にのめり込んだ。

そんなあるときフランスのチームが、インサイトを使って研究をしないかと、川村さんに声をかけた。大学院での研究が高く評価されたのである。

大きな葛藤があったであろうことは想像に難くない。若手研究職の多くは雇用期間が決められていて、そのあとの保証はない場合がほとんどである。しかし結局、ロマンや好奇心が優って、川村さんはフランスに渡り、チームの最前線で活躍している。仮にインサイトがなければ、川村さんの人生は今とよほど違ったものになっていただろう。

厳しい状況の中、ここまで頑張ってくれて本当にありがとう、お疲れ様、とインサイトに伝えたいと川村さんは言った。その言葉以上に、多くの気持ちがきっとあふれている。

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