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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

火星生活シミュレーション。「選ばれた人」が陥る落とし穴

この6月末から北極圏デボン島を「火星」に見立て、国際クルー7人が模擬火星基地で80日間を過ごす火星生活シミュレーション実験「Mars160」が始まる。「Mars160」は二本立て。前半80日間は昨年9月から12月に米国ユタ州の砂漠で、後半80日間は火星により近い環境である北極圏に舞台を移して行われる。実施母体はアメリカの民間団体「The Mars Society」。合計160日間に及ぶ大規模な国際実験だ。

雨も降らず植物もほとんど生えない「火星のような場所」。2016年9月から12月まで80日間の火星生活シミュレーション実験が行われたユタ州の砂漠で。(提供:村上祐資氏)

「火星?どうせ優秀な人たちが次々と難題を解決するんでしょ?私たちには遠い話」と思う方もいるだろう。確かに「火星=非日常」だ。しかし、「Mars160」チームの副隊長を務め、南極越冬隊などでの極地滞在経験を持つ村上祐資さんは、「非日常の中でどうやって『日常』を作っていくかがカギだった」と繰り返す。そして村上さんの話でもっとも意外だったのは「自分たちは厳しい選抜を経て選ばれた」と自信を持つ人こそがもつ危うさ。そして、火星という極限環境を生き抜く術は、「ストレスにあふれた地球の日常生活をいかに安定して過ごすか」にもつながると感じた。

具体的に、昨年米国ユタ州の砂漠で行われた80日間の火星生活シミュレーションで何が起こったのか、村上さんの話から紹介しよう。

水が足りない!—「不安に持っていかれ」パニックに。

大きかったトラブルは、水が足りなくなったこと。その時メンバーはどうしたか。「めちゃくちゃ議論が始まるんです」。7人の国際メンバーは3年間の選抜を経て選ばれた人たち。「どちらかと言うとありきたりの日常では満足できない。問題があっても解決できる、つまり不可能を可能にしようとする」(村上さん)。だから水があと10日でなくなりそうになった時、「しょうがないね」と流したり、「とりあえず各自が節約して数日したら状況見て考えよう」と行動に移したりせず、まず議論を始める。そして全員に適用するルールをきっちり決めようとする。

ユタ州の模擬火星基地。(提供:村上祐資氏)
火星基地内部には一人当たり約2畳の個室スペースもある。(提供:村上祐資氏)

水を何に優先的に使うのか。飲み水か、調理か、トイレか。だが正解はない。「食器をなるべく洗わないで拭くだけにしよう」と言えば、「そんなことをしたら菌が発生して感染症になる」と誰かがいう。問題を洗い出す能力が高いが故に、起こってもいない不安に対して過剰に反応してしまう。「一人が不安からパニック気味になると、自分は何が起きてもパニックにならないと思っていた人たちも不安を誘発され、気持ちが持っていかれてしまうんです」(村上さん)。

足りなくなるのは水だけではない。例えばインターネットの容量についても一日あたりの制限があった。それぞれ、ふだんの生活に比べれば節約している。しかしネットは何に容量が使われるか見えにくい。ネットを閲覧するだけで思っているより多くの容量を消費することもある。こんな時、厳しい選考で選ばれ、自信を持っている人が陥りがちなのが「自分じゃない」という罠。何か問題が起こった時に、自分が原因かもしれないという可能性を排除して、自分以外の人や環境のせいにしてしまう。「自分が不完全だと思っている人のほうが健全ではないか」と村上さんはいう。

チーム破たんを防いだ3人のキーマン

チームがパニック状態に持っていかれそうになったとき、村上さんはどうしたのか?「ある程度放っておいた。」意外なほどあっけらかんとした答えが返ってきた。「一緒に過敏になってあーだ、こーだと議論すれば、それこそ持っていかれる」というのがその理由だ。そして淡々と日常生活でやるべきことをやる。

実はこの火星模擬実験終了後、実験責任者から「3人のキーマンの功績」が指摘された。一人が村上さん、もう一人がカナダ人の軍人ミッチェル。二人ともぶれずに一貫性を持っていることが評価されたという。ほかのクルーは議論を尽くして不可能を可能にしようとする、よく言えば適応性や柔軟性があるが、ふれ幅も大きい。また、自分の名前が残ることや注目されることに力を注ぎ、名前の残らない雑用をおろそかにする傾向がある。でも、生活を維持するためにおろそかにしていいことは一つもないし、誰かが雑事をやらなければばらない。

もちろん、実験スタート直後の1週間ぐらいはみんな肩の力が入り、頑張ろうとする。「基本的には例外なくいい奴ばかり。誰かが困っていたら、自分がサポートできることを探すし、皿洗いでもなんでもやる。でもそういう過剰な状態は続かない」。そのうち、日常的な仕事がおろそかになってくる。

一方、村上さんとミッチェルは最初から肩の力も入らないし、後半まで淡々と皿洗いや植物の世話などを行ったのが、チーム全体にとっていい見本になったようだ。「ミッチェルは軍人でトレーニングされているし、彼自身の性格もある。僕は南極越冬隊でたくさんのお手本となる人たちを見てきた。一貫性が高い日本人の気質もあると思う」と村上さんは自己分析する。

そしてもう一人のキーマンはロシア人ジャーナリスト、アナスターシャ。火星移住計画マーズワンの候補者でもあり、火星に行きたいと願っている彼女は「ヘレン・ケラーのような献身的な女性。困っている人がいたら嫌味も押しつけもなく、心から何かできる人」(村上さん)

7人のメンバーは年齢の幅が広く、地質学者や生物学者など専門や経験も異なる。村上さんによると「チームがばらばらになる傾向が高かったが、3人がペースメーカーとして機能したと評価された」。火星有人飛行を模擬した同様の実験はロシアやハワイ島で行われているものの、総じて人間関係で破たんしているという。誰かが孤立したり派閥ができたり、退出する人が出たり。今回の「MARS160」前半はこの種の実験でほぼ初めてと言えるほど、時間を追うごとに人間関係ができてきた。その勝因は3人のキーマンの存在だったと。

ハロウィンの日にメンバー全員で。フランス、アメリカ、ロシア、カナダ、オーストラリアなどから参加。年齢も29歳~50代と幅広い。左から2人目が村上さん。(提供:村上祐資氏)

放っておく、目先を変える

かといって村上さんは「もっと頑張ろう」とか「仲良くやろうぜ」と声をかけたわけではない。またメンバーの中でもっとも極地経験があることから「南極ではこうだった」と切り札を出すことも封印した。村上さんがやったことは、チームが破たんしないように、いっぱいいっぱいになっている人が背負う荷物を少し背負ってあげたり、共感してあげたり。目先を少し変えてあげたりすること。

たとえば食事。「チームがどんよりしたりぴりぴりしていると、食事もさっさと食べて仕事をしようという雰囲気になりがち。そんな時はあえて手をかける。めっちゃ盛り付けにこだわってみたんだけど、という料理を急に出すとか(笑)」。うどんも粉から本格的に作る。

ストレス状態の時、サーモン缶が余っていることに対して「なんでこんなにサーモンばかりあるんだ!」とピリピリしていた。あえて村上さんはサーモンをタワーにした料理を披露。メンバーに笑顔が戻る。(提供:The Mars Society)
ある休日、植物のそばで日向ぼっこ。植物栽培が手がかかることに不満が出ていた頃。「人間も植物と同じ。太陽の光を浴びて生きている」と。(提供:The Mars Society)

みんなが嫌がる皿洗いも「だったら俺がやるぜ!」じゃなく、どうってことないことのように鼻歌を歌いながらやる。「ぼくはジュークボックスみたいなもの。音楽がかかるだけで雰囲気が変わる。全体の様子を見ながら、今はこの曲かなと音楽を選ぶ。日本ではラジオのパーソナリティもやってますからね(笑)」

いつ食べたのかわからなくなる

昨年、「MARS160」に参加する前に村上さんにお話を伺った際には「よく食べ、よく笑い、よく眠る」ことを目標に掲げていた(コラム参照:火星模擬生活に選抜!元南極越冬隊員が語る「極限環境でよく食べ・よく笑い・よく眠る極意」とは)。実践できたのだろうか?「基本的にはできたと思う。特に笑うことは一番犠牲になるので気をつけた」。とはいえ、村上さんにとっても厳しい体験だったようだ。

火星模擬生活では一週間に5日程度、船外活動として基地の外に出る。みんな外に出たがるので、あまり出ていない人がいると村上さんはチャンスを譲ったりもしていた。その結果、10日間近く基地の外に出ないこともざらにあったという。そうすると「食べたものは覚えているが昨日食べたのか今日食べたのか、わからなくなる。」毎日が単調すぎて時間の感覚が狂ってくる。そんな中で自分をもち、ペースを保つのは簡単なことではない。

船外活動中の村上さん。新しい地衣類を探すというミッションが課された。(提供:The Mars Society)

そもそも村上さんは東京大学の博士課程で「極地建築」を学び「極限環境での暮らし方」や「住まいの役割」をテーマにしている。今回も含めて十数年間、様々な極地で住んでみて言えることとして村上さんが語った中で印象的だったのは、「人は屋根の下で分かち合う。壁の中で嘘をつく」という言葉。誰かが嘘をつく時や陰口を言う時は、心の中で「壁」を感じている時。心に壁があるときは、物理的な壁の裏に入る行動が多くなるそうだ。

逆に心に壁を感じていない時は、物理的な壁を越えて顔を合わせようとする。建築そのものは変わらないが、人間の動き方で空間認識は変えられる。「目の前の壁を壁と思わせないように、目先を変えることが僕の役割」(村上さん)

模擬火星基地内のリビングで。心に壁がないときは顔を合わせる。(提供:村上祐資氏)

北極圏での火星生活シミュレーションは「よりシビア」に

6月末から北極圏デボン島での80日間の火星生活シミュレーションが始まる。環境はよりシビアになる。ユタ州の砂漠では町まで約1時間。水が完全になくなったら補充する手がないわけではない。しかしデボン島では、一番近い町までセスナを飛ばさないといけない。通信データはさらに制限されるし、白夜があり、白熊が出る恐れもある。「どうすればいいか、メンバーはさっそく議論を始めちゃっています(笑)」

メンバーは基本的に前半と同じだが、キーマンの一人、ミッチェルが当初計画通り、ほかのメンバーと交代する。また家庭の事情で一人が参加できないことも決まっている。これらも不安の要因になる。

しかし村上さんはいつも通り。不安に持っていかれたりはしない。旅立つ前に村上さんが準備した「秘密兵器」が「足裏いてーよ」という足つぼマッサージグッズ。「基地にこもるし話題も限られる。足つぼマッサージをクルーにやらせて『痛い痛い』と言わせるのが面白い。健康になるし、『日本のツボってすげぇだろう』と笑いにもなる。基本的にはいたずらです(笑)」。日常生活を淡々と。不安に気持ちを持っていかれないように、時にいたずらを仕掛け、笑いを忘れずに。厳しい火星の環境でも、村上さんは笑って乗り切るに違いない。