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読む宇宙旅行

ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

それでも月を走る!HAKUTOが諦めない理由

舞台は月。世界初の民間月レースで日本チームHAKUTOのローバー(月面車)がゴールする瞬間を、私は心待ちにしていた。なぜならローバー「SORATO」には、我が家の3人の子供たちの名前が刻印されているからだ。

刻印はHAKUTOが行ったクラウドファンディングのリターンの一つだった。今は「宇宙に行くなんて夢でしょ」と思っている子供たちが、いつか月を訪れ、月面にいるSORATOと対面し、その小さなローバーの前面に刻まれたわずか2mmの自分の名前を見つけ出してくれたらいいな。HAKUTOが掲げるスローガン「夢みたいを現実に」の通り、私もその夢が現実になることを願っていたのだ。私と同様の想いを抱いている人は、きっとたくさんいるだろう。

民間月レース「Google Lunar X Prize(グーグル・ルナ・エックスプライズ)」の優勝候補と言われたHAKUTOのローバー「SORATO」。全長58cm、幅53.6cm、重量4kg。(2016年8月撮影時)

だから、HAKUTOがレースの期限(3月末)までの実現は困難と判断し、レースを主催するXプライズ財団が「月レース終了」を発表したことは残念でならない。しかも悔しいのはHAKUTOが実現困難とした理由だ。SORATOの開発はほぼ終了し、インドで打ち上げを待つばかりだったのに、ロケットの打ち上げが間に合わないという。まるで選手は準備ができて走る気満々なのに、競技場に行くまでの「足」がないために試合を棄権したような状況。実際に月面で走った結果、転んで負けたのなら納得できる。だが試合をする以前に勝負が終わってしまったことに対する理不尽さ、やりきれなさを感じたのだ。

なぜこんな事態になったのか。

そもそもHAKUTOが開発したのは、月面を走るローバーSORATO。だがSORATOだけでは月にたどり着けない。月レースに参加するには、地球から月に向かう「ロケット」、さらにSORATOを載せて月面に着陸する「着陸機」の二つの輸送手段が必要だ。その二つを担当したのがインドの「TeamIndus(チームインダス)」。チームインダスは打ち上げロケット調達も担っていたのだが、ロケット(インドのPSLV)側との調整が難航、期限までに打ち上げられないことが1月に判明した。宇宙活動の要は輸送だと再認識させられる事態だ。

2017年4月、チームインダスと行った記者会見で。チームインダスはインド宇宙研究機関の専門家20名を含む120名のチームで、着陸機とローバーを開発していた。

1月に行われた記者会見でHAKUTO代表の袴田武史さんに「ローバーは準備できているのにロケットの都合で打ち上げられないなんて、理不尽と思いませんか?」と聞くと「我々は2013年にローバーに集中し、打ち上げや着陸は他チームと協力するという選択をした。難しさを納得した上での選択であり、後悔はない」と静かに言った。

さらに「ローバーに集中したからこそ、HAKUTOは(約30チームから)ファイナリスト5チームに残ることができた。もし着陸船を開発する方針をとっていれば、HAKUTOは既に解散して今ここにいないだろう」とも語る。

袴田さんはいつ取材しても、物静かで穏やか。大声で主張することもなければ、怒りや落胆で声を荒げたりひるんだりすることもない。その袴田さんが会見中、もっとも力を込めたのは次の言葉だった。

「(たとえレースが終了しても)我々はなんとしてでも月面に行く。刻印プレートを確実に絶対に月に持って行く」

ファイナリスト5チーム中、期限内に打ち上げられるチームはHAKUTOだけでなくどこも存在しなかったことから、Xプライズ財団は1月23日、勝者なしでレースを終了することを発表した。優勝者が手にするはずの2000万ドル(約22億円)は誰の手にもわたらない。それでも袴田さんは月面に行くと宣言する。なぜか。

そして、具体的にどうやって月に行くのか。

HAKUTO代表の袴田武史さん(1月の記者会見で)

賞金が目的ではない

そもそもHAKUTOは賞金を当てにしてレースに参戦しているわけではなかった。2014年に取材した際、袴田さんはレースに参加した目的をこう説明してくれた。「民間の力で宇宙開発を、世の中を変えたい」と。具体的には月に民間ローバーを走らせることで、国家プロジェクトでしか実現できないと考えられている月面探査を、民間が「安く」「早く」行えることを実証したい。民間の力で宇宙開発にイノベーションを起こすことが、月レースを主催したXプライズ財団が掲げていた目標でもあり、そこに大きく共感したのだと。

確かに今、民間の宇宙開発パワーは国家からも期待されている。世界各国は国家プロジェクトとして月を目指している。月面活動の鍵を握るのが「水」だ。水があれば地上から輸送する必要がなく、1kgで1億円かかると言われる輸送コストを劇的に削減できる。さらに水が大量にあれば、月面で人間の居住が拡大でき、月から小惑星や火星を目指す際の燃料としても使えるだろう。つまり、月に水があるかどうか、あるとしたら大量にあるか否かは、人類の今後の宇宙開発、さらには人類の将来をも大きく左右することになる。だが月に水が存在すると言われながら、どこにどのくらいあるかは、はっきりしない。

月に水の氷を探す計画の一例。レーザーを使い極域を探査するNASA・JPLの超小型衛星「ルナーフラッシュライト」イメージ図。2020年ごろ打ち上げ予定のNASAの新ロケットSLSに相乗り予定。(提供:NASA)

そこで水を探す役割として期待されるのが、民間の小型ローバーだ。国家による宇宙開発は世界的に失敗が許されない状況にある。存在するかどうかわからない水を探すために、膨大な税金を投入するのはリスクがある。ここで民間の出番。たくさんの小型ローバーを月面の様々な場所に送り込み、水を探しあてたい。ゴールドラッシュならぬ「水ラッシュ」。そんな壮大な目標を袴田さんは語ってくれた。「だからレースの優勝は目標でなく、月面探査を実現するための『最初の一歩』であり『大きな一歩』なのです」と。

そして実際、HAKUTOでローバーを開発してきた実績が評価され、HAKUTOの母体であるispace社は2017年末、101億円の資金調達に成功し、民間で日本初となる月探査ミッションを発表した。2019年に月の周りに着陸機を周回させ(ミッション1)、2020年には月面に着陸機をおろしてローバーを走らせる(ミッション2)。その後、水資源探査や月面輸送サービスを行うことを目指しているという。101億円の資金調達は宇宙分野では世界最高金額となる。つまり、月レースに参加した時から抱いていた大きな目的に向けて、すでに始動しているのだ。

その大きな目的のためにも、まずは自分たちの実力を世界にアピールしたい。「実際に月面ローバーを走らせ、月という特殊な環境で動けるロボット技術を持っていることを実証したい」とispace社の秋元衆平氏は語る。

選択肢は3つ、SORATOは月に行けるのか

では月への挑戦を継続するとして、具体的にどんな選択肢があるのか。Xプライズ財団はGoogleがスポンサーであるレースは修了するものの、新たなスポンサーを探すか、スポンサーなしのレースなどあらゆる道を探していくと発表した。ただし、新しいレースの立ち上げには時間がかかると考えられる。

1月24日の記者会見で袴田さんが語ったのは次の3つの選択肢だ。

  • 1. チームインダスと協力して打ち上げる
  • 2. チームインダス以外のチームと打ち上げる
  • 3. ispace社が2019~2020年に予定するミッションにローバーを載せる

1については、チームインダスが当初予定していたロケットPSLVでの打ち上げを断念したことが1月末に発表された。引き続きほかのロケットで打ち上げる検討を進めているそうだ。ロケットが変われば、振動条件や搭載できる重量などの条件ががらりと変わる。どの選択肢になっても、今のローバーSORATOのままで月面に行ける可能性は大きくなく、改修を余儀なくされるだろう。

3の場合は、ispace社が開発する着陸機にローバーを搭載することになる。着陸機の設計はこれからであり、SORATO開発で培った設計思想を引き継ぎ部品も共通のものを使いつつ、新しいローバーを作る可能性が大きいだろう。

ローバーSORATOは日本の様々な技術が詰まった「日本の技術力の結集」でもある。たとえば接着剤の一部には日本企業セメダインの接着剤が使われており、開発に苦労された話を聞いていた。「実際に月面を走るSORATOをぜひ見たい。開発した接着剤が本当に月でも機能するか結果を知りたい」とエンジニアの岡部祐輔さん(セメダイン)は願う。数々の厳しい条件や試験をクリアして、その性能は宇宙仕様とお墨付きをもらっても、「実際に月を走った実績のある部品」か否かでは雲泥の差がある。その意味でも、ぜひSORATOに月面を走らせてほしいものだ。

貯金残高1万円を切ったどん底の時期を乗り越えて

HAKUTOは7年を超える挑戦の過程で、いくつもの大きな困難を乗り越えてきた。

Google Lunar X Prizeがスタートしたのは2007年9月。チーム HAKUTOが参戦したのは2010年だった。当時は欧州チームが着陸機を開発し、日本はローバーを開発するという役割分担ができていた。

ところが2013年に欧州側が離脱。袴田さんがHAKUTO代表を引き受けることになる。務めていたコンサルタント会社を退職し、宇宙開発スタートアップispace社を起業した。「それからの1年が本当に厳しかった」と袴田さん。技術開発しようにも資金がない。資金調達のため1年弱で100人以上の人に会い、大企業の社長あてに200通以上の手紙を書いた。しかしなかなかうまくいかず、袴田さんの貯金残高は1万円を切る。ギリギリの状況だったが「あと1~2か月だけ頑張ろう」と踏ん張った2013年末、テレビ出演がきっかけで投資の話が進み始めたそうだ。

HAKUTOチームの皆さん。2014年12月、静岡県浜松市の中田島砂丘で。様々な専門スキルをもつボランティアが集まったプロボノが支えるのもチームHAKUTOの特徴。
2014年12月の試験の様子。親ローバーが子ローバーを引っ張って進む。この時からローバーは何度も改良を繰り返し、軽量化に成功している。

その経験からか、記者会見でレースに優勝できなかった経験を問われ、袴田さんはこう答えた。「レースでは技術開発にフォーカスされがちだが、資金調達が一番難しかった。レースが発表されてから10年、資金調達が成功し技術開発できたのは長くみても、ここ3~4年。もっと早く資金調達が進み技術開発できていれば、月でローバーを走らせることは技術的に十分達成できた難易度だと思う」と。

時間的な厳しさが如実に表れたのがレース終盤の2016年末だ。当時パートナーだった米企業アストロボティック社がレースからの離脱を決断。急きょ、パートナーを探しチームインダスと協力することになった。それまでアストロボティック社が開発した着陸機、打ち上げ予定だったファルコンロケットに合わせてローバーの開発を進めていたが、着陸機とロケットの変更に伴い、大きな設計変更を行った。民間ベンチャーであるアストロボティック社と、1970年代の宇宙技術をベースに着実な開発を進めるインドチームとは設計思想が異なった。特に通信系の変更が大きかったそうだ。それら技術的課題をようやくクリアできたと思ったら、打ち上げが間に合わないという事態。もう少し時間の猶予があれば、ロケット側との調整を乗り越えレースで優勝できたのかもしれない。

走行デモンストレーションを行うHAKUTOとチームインダスのローバー。実際に月面で走る姿が見られることを願う。(2017年4月撮影)

1月の会見で、打ち上げ時期が間に合わず、苦労が結果につながらないもどかしさは?と問われて袴田さんは 、「宇宙開発特有の難しさはあると認識している。しかし技術はかなり伸展し、失敗のリスクも大きき削減している。次の産業が始まったばかりであり、これからも色々な失敗やエラーが出てくると思う。その1回の失敗で歩みを止めてしまえば、産業の発展はない。失敗を乗り越えて次にチャレンジするやり方を模索していくことが重要で、それこそが我々HAKUTOのやろうとしていることです」と言い切った。

今がもっとも厳しい状況かもしれない。しかし袴田さん率いるHAKUTOには数々の修羅場を乗り越え、101億円もの資金調達成功を導いたタフさと粘り強さがある。

レースがなくなった今、「世界初の民間ローバーによる月面走行」を成し遂げるチームこそ、本気で宇宙開発を変えたいというベンチャー魂と技術力・資金力の総合力を全世界にアピールできるチャンスではないだろうか。その時、間違いなく世界は熱狂するはずだ。ぜひ月を駆け抜け、私たちの夢をも現実にしてほしい。

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