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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

過酷な現場で働く、タフで心優しき人たち—史上最大の天文プロジェクト現地取材③

酸素が地上の半分ほど。気温-10度以下、風速10~20mに達することもしばしば。昨年は二度の大雪で積雪は2mにも達した。標高5000mの職場は相当過酷なはずなのに、アルマで働く人たちはなぜ疲れた顔も見せず楽しそうで、とてつもなく笑顔がやさしいのか。それが取材を通して、もっとも心に残ったことだった。

標高約5000mの山頂施設でアンテナの保守作業を行う技術スタッフたち。どんな悪条件でも高い精度を数十年にわたり出し続けるには、現場の作業が欠かせない。

たとえば、DSPACE取材班が山頂施設で出会った堀江洋作さん。メーカー勤務時代、世界中で修理メンテナンスを経験。定年退職後、「海外で、技術を生かせる仕事をしたい。山登り好きなので高いところがいいな」とアルマプロジェクトに出会う。国立天文台に採用されたのとほぼ同時にチリに入り、2年目の「62歳、新人」だ。日本のアンテナの保守運用を担う。

国立天文台チリ観測所の山田真澄さん。国立天文台に入ったのは2004年。4年前からチリに赴任。
国立天文台チリ観測所の堀江洋作さん。コニカミノルタを定年退職後、国立天文台に。大学時代から山に登っていた山男。

堀江さんは、青年海外協力隊でホンジュラスに赴任した際に習得したスペイン語で、チリ人のテクニシャンに技術指導をしつつ、共に汗を流す。「冬、風が吹いて寒いと意識がぼーっとしてくるし、手がかじかんでくる。でも手袋をすると、ねじ一本絞められなくなる」。約2mの積雪に見舞われたときは、アンテナが雪解け水で水没しないように、数日かかってスコップで雪かきして水路を作った。「なかなか面白い体験でしたよ」と笑う。

この仕事につく前は、星や天文には全く興味がなかったが、山麓・山頂施設で仕事仲間が開く「星を見る会」に参加するようになり星の名前を覚えた。「星もいいものだなと思うようになりました」。休日の楽しみも、山登り。アンデスの山に出かけたり、奥様とパタゴニアに足をのばしたり。堀江さんはアルマでの体験すべてを心から楽しんでいるように見える。

それでも、仕事はやはり大変だ。前回、日本は「まるでF1のような超高精度のアンテナ16台を作りあげた」と書いた。アンテナは開発し設置すれば終わりではない。本来もつ超高精度の性能を数十年にわたって発揮し続けるには、現場でのきめ細やかなメンテナンスが必須だ。

堀江さんの上司である山田真澄さんは「日本のアンテナがもつ高い性能を出すために、手をかける必要がある。これまではF1的な発想で一台のアンテナで最高性能を出し、こまめに調整しながら使えばよかった。16台になるとどうなるか、その大変さも初めて実感できた」と語る。山田さんらは、チリ人スタッフを含め誰でも保守点検ができるように、メンテナンスのマニュアル化を進めている。

150人の技術チームを束ねる工夫—日本式朝礼+ラジオ体操

アルマ望遠鏡で観測に使われるのは日本のアンテナだけでない。欧州と米国が担当した50台と合わせ計66台のアンテナ、さらに受信機、電送系、発電施設、道路などのインフラも含めてアルマ観測所全体の技術部門を統括する日本人天文学者がいた。国立天文台チリ観測所の水野範和教授だ。水野さんは、アルマ望遠鏡を運営する国際組織「合同アルマ観測所(JAO)」の国際職員であり、昨年から技術部門150人のマネジメントとしてスタッフから絶大なる信頼を得る。アルマ観測所では約250人が働いているが、そのうち150人が技術スタッフ。つまり半数以上が水野さんの部下ということになる。ほとんどがチリ人だ。

水野さんが一番大変と実感し、心を砕くのが「自分たちが行う仕事の重要性をわかってもらうこと」だという。なぜ望遠鏡の配列を広げたり狭くしたり、たびたび変えなければならないのか、なぜ10種類もの受信機があるのか。1時間停電になると観測にどんな影響があるのか。その意図を知らずにただ指示された作業をしているだけでは、モチベーションが上がるはずがない。

国立天文台チリ観測所の水野範和教授。昨年から技術部門150人のヘッド。その前はアレイメンテナンスグループ90人を率いていた。

そこで、スタッフのやる気をかきたてるために、水野さんが始めたのは極めて日本式の流儀。朝礼とラジオ体操だ。それまでばらばらに仕事を始めていたスタッフ全員に、毎朝8時に集まってもらう。まずラジオ体操で目を覚まし、それからインパクトのある絵を見せる。「例えばアルマ望遠鏡の観測画像を見せながら、自分たちの仕事が科学成果に貢献していること、アンテナの配列を大きくすることは、カメラのレンズで言えば巨大なズームをつけることだと説明するんです」。またある時は剣道の防具を持ってきて日本文化の紹介をする。

土曜日の夜は観測所のおひざ元の町、サンペドロ・デ・アタカマにバスで出かけて飲ミュニケーション。チリ人テクニシャンたちは前職で鉱山労働や航空機メンテナンスをしていた人が多く、8日間勤務し6日間休むという鉱山の勤務形態をとっている。チリ全土から集まっているため家族と遠く離れて働く人もいる。仕事の悩みはもちろん、家庭の悩みにも耳を傾ける。

こうやって信頼関係を築くことで「技術部門のモチベーションは上がっている」と水野さんは実感している。「受け身だった対応が、『こうしたほうがいいのでは』と提案が出るようになった。サイエンスの結果についても質問が来る。これまでは家族から『どんな仕事をしてるの?』と聞かれても『オイル交換』としか答えられなかったが、その目的を誇りをもって説明できるようになったと嬉しそう」。目標が明確になれば、自分の仕事が終わっても助け合おうと頑張るところは日本人と似ている、と水野さんは指摘する。

しかし、違うのは自己主張が強いところ。「例えば、自分はこんなに仕事を頑張っているのだからもっと高いポジションを」「この給料は自分の能力からすると低すぎる」という話が毎日5件ぐらい来るという!こりゃ大変・・。そんな時も温和な水野さんは冷たくあしらったりはしない。「まずは話を聞きます。ただし約束はしない。『頑張っていれば道は開ける』といい方向に向けていくのがマネジメントの仕事です」。こうした取り組みの結果、技術部門は見本として他の部門にもいい影響を与え始めているそうだ。

観測現場にいるからこそ味わえる、醍醐味とは

2013年、日本の7mアンテナの最後の一台の設置が完了したときの写真。共に喜ぶスタッフたち。中央黄色いヘルメット右側が水野さん(提供:国立天文台)

光学望遠鏡は夜だけ観測するため、昼間はメンテナンスに使える。しかし、電波望遠鏡は昼も観測できるため、24時間観測が続く。66台のアンテナを常に観測できる状態に保持していくのは並大抵のことではない。「最低でも56台が24時間、常に動いている状態にしないといけない」(水野さん)。悩ましいのは日米欧のアンテナが手順書も違えば、修理に使うツールも異なること。「3つの異なる手順書を用意している。マニュアルの書き方も違います。オイルもねじを締めるスパナなども、それぞれのアンテナ用に揃えないといけない」

日々、戦いの連続だ。夜の観測中に起きた障害が、朝8時にリストになって水野さんのもとにあがってくる。アルマはアンテナだけでなく受信機やデータ記録装置など複雑なシステムで成り立っているため、その数はアルマ全体で1日40件になることも。「どこかが毎日悲鳴を上げているのです」。水野さんは小さな悲鳴をも逃さずに作業の優先度をつけ、観測に支障をきたさないように人員を速やかに配置、処理していく。どの装置やシステムで故障率が高いか、予備品をどのくらい確保すればいいかを把握するため、工場の保守運用のツールを導入している。「天文台ではこれまで産業的なアプローチは使っていなかったが、アルマは天文プロジェクトで初めて産業で使われているノウハウを導入しました」(水野さん)

水野さんが最初にチリを訪れたのは1997年。約20年前のことになる。名古屋大学の口径4mの電波望遠鏡「なんてん」を名古屋からチリに移設するプロジェクトに大学院生として関わった。現地との交渉を含め立ち上げから運用、観測、論文執筆まで一連の流れに携わったことが今の仕事にすべて生かされている。「『なんてん』プロジェクトと違い、アルマ望遠鏡には天文学者が観測に来ることはありません。観測し、その結果出てきた画像まで見ることができる醍醐味は、現場にいるからこそ味わえる。それが自分のモチベーションになっています」心は今も熱き天文学者。水野さん自身がアルマの観測成果に胸を躍らせ、それを生み出す過程に貢献することの喜びが全身から溢れていた。

仕事後にバスケ、自転車で身体を鍛えるアルマ人、どこまでタフ?

アルマの現場で働く人たちは様々な勤務形態がある。例えば朝8時から夜8時までの勤務形態では、1時間運動することが奨励されているという。(その後、山田さん・堀江さんは日本と電話会議を行っていた。日本とは12時間の時差だから、やむを得ないとは言え、大変だ)

過酷な現場だけに、身体が資本。標高2900mの山麓施設内にはジムやプール、ビリヤードなどが完備。夕食後はバスケットやフットサルを楽しむチリ人スタッフも多かった。さらに、山頂に向かう急な坂道をマウンテンバイクに乗る人も。手を振るとにっこり手を振り返してくれる余裕まである!アルマ観測所内でマラソン大会も行われているらしい。ここで働く人たちはいったい、どこまでタフなのか?

勤務後、夕陽を浴びながら急な坂道をマウンテンバイクで登っていく。
夕食後、バスケットやフットサルで盛り上がる。

ラボに招き入れてくれた、チリ人テクニシャン・ボニーさん

届いたばかりの超伝導受信機、バンド5のチェックを行う、チリ人テクニシャンのボニーさん。

アルマ観測所の現場には多くのチリ人スタッフが働くと聞き、彼らと接してみたいと思っていたところ、思いがけずそのチャンスがやってきた。

メディカルチェックでNGとなり、メディアツアー参加者が山頂に行っている間、「何か面白いものはないだろうか」と山麓施設をうろうろしていると、ラボ(実験室)があった。白衣を着たテクニシャンたちが、何やら作業をしているのが見える。ガラス越しに目を凝らしてみると、どうやら超伝導受信機ではないか!

超伝導受信機は遠い宇宙から届いた電波を電気信号に変える重要な役割を担う、超精密機械だ。それだけにラボのドアにはセキュリティがかかり、中に入ることはできない。じっと彼らの仕事の様子を見つめていると、テクニシャンの一人が、「入っておいで」と手招きし、ドアを開けて中に入れてくれたのだ!

彼はチリ人テクニシャン、ボニーさん。このラボで働く数人のテクニシャンのうちの一人だ。届いたばかりの受信機に問題がないかチェックしているのだという。受信機は周波数の違いによってバンド1からバンド10まである。この日ボニーさんが作業していたのは、バンド5。「輸送中に受けた振動を、ショックロガーという計測器で知ることができます。どうやらこの受信機は14Gの振動がかかっていたようです」とパソコン上のデータを見せながら、一生懸命に説明してくれる。14Gとはかなりの振動を受けるものだ。ここで様々なテストを行い、問題がなければ2018年3月までにバンド5受信機をアンテナに搭載する計画だそう。

ボニーさんは受信機だけでなく、「受信機はここにセットするんだよ」と超低温真空タンクなども見せてくれた。「ところで、なぜここにいるの?」とボニーさんに聞かれ、私は山頂に行けなかったことを説明。すると心から残念そうな表情をしながら「とにかく水を大量に飲んで、よく寝るんだよ」と親身にアドバイスしてくれる。なんていい人なの、ボニーさん(泣)。

国立天文台が開発と製造を担当したバンド10受信機。受信機の中でもっとも周波数が高い領域をカバー。その開発は最高難度とされてきた。
バンド1~10の受信機は超低温真空タンク(青い容器)に納められ、66台の望遠鏡すべてに搭載される。右端は後日説明して下さった国立天文台チリ観測所の奥田武志准教授。ボニーさんたちテクニシャンのトレーニングも行う。

若きチリ人天文学者が語る「誇り」

アルマ望遠鏡の観測を実行するコントロールルームでは、チリ人の若き天文学者ホセ・フェルナンデスさんとの出会いもあった。彼はチリの大学で物理学を、米国ボストンとドイツで天文学を学び、現在アルマプロジェクトでデータアナリストの仕事をしている。普段はサンチャゴでアルマの受信データが観測に適しているかチェックしているが、1か月に1回、ここにきて観測運用の仕事をしているという。

「チリは乾燥して、標高が高いところに開けた土地があり、天文学に適した天然資源を持っている。アルマで新しいことを学ぶ日々を心から楽しんでいるよ。アルマだけでなく30m級の巨大望遠鏡が二つも計画され、これからチリで新しい天文学がどんどん進み、科学に大きく貢献できることをチリ人として誇りに思っている」と話してくれた。

ボニーさん、ホセさんだけではない。勤務時間が終わったのに、備品を保管する倉庫まで連れて行き、日本の7mアンテナに使う換気扇の備品を見せてくれたチリ人スタッフもいた。お掃除のおばちゃんは、メディカルチェック後にうなだれる私たちにそっとクッキーを差し入れてくれた。

日本のアンテナ用備品がストックされた倉庫がいくつも連なっていた。
7mアンテナ用の換気扇が大量に!山田さんによると「意外に壊れない」そう。
勤務後なのに快く案内して下さり感謝!スペイン語しか話さないスタッフも多い。もっと話したかった。

アルマ望遠鏡の仕事にはチリ全土から多数の応募があるという。「ここで働けて幸せ」「アルマの素晴らしさを知って欲しい」という誇りと気概が天文学者からお掃除のおばちゃんまですべてのスタッフに浸透していることに、大きな感銘を受けた。過酷な現場だからこそ、笑顔で互いに助け合い「宇宙の謎を解き明かす」という共通の目標に向かっているのだろう。

ホセさんが案内してくれた観測の驚くべき現場、そしてアルマが解き明かす宇宙やアルマの将来像については次回をお楽しみに!

チリ人天文学者のホセ・フェルナンデスさんと観測を司るコントロールルームの前で。
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