火山が生み、
人が築いた文化の地層
(静岡・伊豆半島ユネスコ世界ジオパーク)
3つのプレートと2つの活発な火山の列が交差する、
地質学的にも稀少な地域である伊豆半島には、
1万年以上前から人々の暮らしがありました。
伊豆で芽吹いた文化は、火山と地球の営みと切っても切れない関係にあります。
金と温泉、
火山がもたらした
伊豆の恵み

伊豆半島の起源は、現在の硫黄島付近にあった海底火山群。長い年月をかけて変化と移動を繰り返し、日本列島と衝突して形成されました。伊豆では内陸の山中で海生生物の化石が見られます。堂ヶ島周辺の白い海岸線も、海底火山だった頃の名残です。伊豆半島ユネスコ世界ジオパークは2012年に「日本ジオパーク」に、2018年には国内9番目の「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されました。伊豆半島では縄文時代から人の暮らしがあり、現在では約60万人が居住する場所です。



火山は人々に災厄と恵みをもたらす二面性を持っています。江戸時代までは伊豆の土肥金山は佐渡に次ぐ金山でした。金や銀は地中の熱水の作用で運ばれ、地層の隙間に集まるため、金山は、地熱が高く温泉に恵まれた土地に多く分布しています。伊豆半島はそのひとつです。伊豆の歴史や文化は火山と強く結びついており、文学も例外ではありません。伊豆文学を代表する作品といえば川端康成の「伊豆の踊子」。孤独を抱えた東京の学生と温泉地をまわる一座の踊り子が過ごした日々の物語で、川端の若い頃の旅の思い出がベースだとされています。

2人の文豪が描いた
「光の伊豆と
闇の伊豆」

「伊豆の踊子」が北から南への旅であるのに対し、松本清張の「天城越え」は逆に北へ向かう物語。救済と破滅、若い踊り子と年上の女性など、複数の設定を裏返して川端が表現した「光」に対し、清張は「闇」の伊豆に挑んだ作品だと言われています。天城山は海底火山ではなく陸上でできた大型の山で、いずれの作品にも天城山に降る雨が印象的に描写されています。天城は国内屈指の多雨地域。山と海が大変近く、温かい黒潮が生む湿った空気が天城山にぶつかり、雲となり、やがて大量の雨を降らせるのです。



川端をはじめ、多くの作家や文化人にとって伊豆は都会から近いにもかかわらず非日常を味わえ、創作に集中できる場でした。天城山の北の麓にある湯ヶ島が温泉旅館街として発展したのは、峠道で宿場が必要だという地理的条件だけではなく、界隈で金が採掘できるため、その儲けを宿の整備に投資したからです。温泉・金山・文学はすべて伊豆の地質とひとつながりなのです。

『熱海』『熱川』
——熱の地を生きる人の知恵


伊豆半島の火山がもたらした地熱のしるしを、先人たちは熱海・熱川といった地名に刻み込みました。日本三大古泉である熱海の「走り湯」は湧き出た熱い温泉が走るように吹き出す場所で、明治以前は信仰の対象だったといいます。太古の人々は熱海・箱根の地下には龍がいると考え、走り湯を龍の口と捉えたのです。熱川温泉では、100℃近い高温の湯が自然に地表に湧出し、もうもうと立ち昇る湯けむりが象徴的で2023年にジオパークサイト(文化サイト)に登録されました。かつては住むには困難な場所でしたが、江戸時代から200年近い時間をかけて人々は「湯を飼い慣らす」知恵と技を蓄えていきました。吹き出す高温の温泉を受け止め、また源泉にたまる湧出物を取り除くための温泉櫓や熱川温泉に代々受け継がれる「湯守り」の文化は、現在も残されています。

伊豆は日本有数のわさびの産地ですが、栽培に欠かせない清らかな湧水も火山が作った地層が育んだもの。「静岡水わさびの伝統栽培」は2018年に世界農業遺産にも選定されました。首都圏からのアクセスが良く、人気の観光地である伊豆半島ですが、地球の活動から捉えるとまた違った魅力がみえてきます。



火山と密接に結びついた伊豆半島は、地球と人間の共生を象徴する場所。
伊豆半島ユネスコ世界ジオパークでは基本的な活動計画を策定する人材を市民公募し、
半数は女性・若者を採用。高校生と有識者が同じ立場で議論する姿は、
市民社会や多様性の新しい可能性をしめしています。
写真提供:一般社団法人 美しい伊豆創造センター





2026.02.02

