隆起する大地に、
立ち上がる独自色

(高知・室戸ユネスコ世界ジオパーク)

1年に平均1~2mmと世界でも指折りの速度で隆起する室戸の大地。
室戸岬の灯台が建つ場所も約10万年前は海の底でした。
平地がほとんどなく、山林が9割を占めるこの土地には、
厳しい自然と向き合いながら育まれてきた独自の文化や暮らしがあります。

深海から隆起して、
やがて室戸の一部に

室戸は、深海の堆積物が隆起して陸地になった大地変動の過程を詳しく観察できる貴重な場所。プレートの沈み込み帯で陸側のプレートに押し付けられた地層が、繰り返される巨大地震にともない隆起して陸地が広がり続けていることから「大地誕生の最前線」とも称されます。今も、室戸岬のわずか140km沖に位置する南海トラフ周辺では、この隆起のプロセスが続いています。100~150年ごとに繰り返される巨大地震のたびに大地は押し上げられ、その積み重ねによって、かつては深海にあった地層や海底火山の岩石が、現在の力強い大地の姿として私たちの目の前に現れているのです。

隆起と断層の影響で、西と東の地形が対照的なのも室戸の特徴のひとつです。西側の海岸には階段状の地形「海成段丘」が広がります。これは隆起と波の侵食が繰り返されることで生まれたもの。海成段丘の上には波で削られた砂利が多く残っています。水はけがいいこの砂利は野菜栽培に最適。スイカやビワ、ナス、サツマイモなどの畑作が盛んです。西側は遠浅なのに対して、東側の海岸はすぐ沖から急激に深くなり、水深1000mにも達します。急角度で落ちるこの海底の崖に沿って海洋深層水が湧き上がり、ミネラル豊富な漁場となっています。カツオ、サバ、ブリなどのほか、温暖な海域で見られるシイラやマンボウまで、多彩な魚が水揚げされます。

険しい地形と孤絶
——空海が悟りを
開く

現在は国道で行き来が容易になりましたが、かつての室戸は険しい地形にある孤絶した環境で、空海が修行のために滞在した土地でもありました。言い伝えでは、今から約1200年前に「御厨人窟(みくろど)」という海食洞で空海が悟りを開いたとされています。波が何千年もの時間をかけて岩盤を削り続けてできた洞窟。なかに座ると、視界には空と海だけが広がります。この光景が法名「空海」の由来になったという説もあります。地形は少しずつ変化していくため、若き空海が修行をした頃の洞窟は現在よりも1~2mほど海面に近かったはずです。

昔から室戸の険しい地形は人の往来に大きな影響を与えてきました。紀貫之の「土佐日記」には、室戸へは陸路ではなく船で移動したと記されています。時代は下って江戸時代。土佐藩の参勤交代でも室戸を避け、あえて山奥の野根山街道などを通って江戸へ向かったといわれています。自然も地形も、決してやさしくはない室戸でしたが、そこにも人々の暮らしがありました。

先人の知恵の結晶、
「台風銀座」の住まい

室戸は土佐捕鯨発祥の地として、江戸時代初期から昭和11年の約300年にわたって沿岸捕鯨が行われていました。海のイメージが強い室戸ですが、山間地にも人々の暮らしはあります。行き来の難しい地形は、各集落に独自の文化・風習を育みました。秋の神祭(例大祭)の季節には、室戸の各地域が盛り上がります。ここでは山仕事の安全と五穀豊穣を祈願する「中川地内の獅子舞」、800年もの歴史を誇る佐喜浜の即興劇「俄」や「狂い獅子」などが代々受け継がれてきました。羽根町の北生・黒見の両地区には、義長神社の大祭に田芋(里芋)で作った餅を263個奉納する風習も残っています。263は祭神である仁木義長とともにこの地に落ち延びた一族の人数だといわれています。

吉良川町の日南地区では段丘の台地がもたらす、水はけの良い土壌を生かしてユニークな伝統野菜を栽培しています。通常のナスの5倍ほどもある巨大な「ぼたなす」は、他のどこにもないナスとして注目を集めています。また、「台風銀座」と呼ばれる室戸では、厳しい自然と向き合う知恵として独特の伝統建築があります。前述の吉良川町では地元で採れた砂岩で「いしぐろ」と呼ばれる高い塀をつくります。他にも土佐漆喰の壁を風雨から守るために壁面を伝う雨水をすばやく地面に落とす「水切り瓦」も有名。職人の技が随所に生かされた建物が数多く残されていることで、吉良川は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。

海とともにある漁業、大地の特徴を生かした農業、閉ざされた山間部に残る風習や文化。
人々の営みが折り重なり厚みを増す様は、地層さながらです。
室戸ユネスコ世界ジオパークのエリアは室戸市全域であり、
室戸では岬以外でも観光の魅力発信や滞在して楽しめるアクティビティの開発などに注力しています。

写真提供:室戸ジオパーク推進協議会