Vol.67
妖怪とアストロバイオロジーVI “トリフネ”
2026年7月5日、探査機「はやぶさ2」は、小惑星トリフネに近接通過(フライバイ)し、至近距離からの観測に成功した。
すさまじいのは、1億キロメートル先の500メートル程度の小惑星へ探査機がピンポイントで近づき、高速移動しながら鮮明な画像を撮影したその技術である。
「はやぶさ2」といえば、2018年に小惑星リュウグウを訪れ、その表面からサンプルを採取した日本の小惑星探査機である。2020年末に地球にサンプルを持ち帰った。
探査機自体は健全であったため、サンプルの入ったカプセルを地球に投下したのち、「はやぶさ2」は「拡張ミッション」と呼ばれる延長探査へ向かうこととなった。別の小惑星を近接観測すべく、再び深宇宙へと旅立ったのである。
「拡張ミッション」で最終目的地となる小惑星は1998KY26という符号で呼ばれ、リュウグウやトリフネのような名称はまだつけられていない。
「はやぶさ2」が1998KY26に到着するのは2031年の予定である。今回の小惑星トリフネの近接通過は、1998KY26に到達するまでの道すがら、たまたまトリフネという小惑星がいたのでそこに近づき観測したということである。
気になった方もいるかもしれないのは、この小惑星の名前—トリフネの由来である。
トリフネという名は、この小惑星が発見された後、「はやぶさ2」が訪れることが決まり、命名キャンペーンが開かれて付けられた。このキャンペーンにおいて、子供たちで構成される「子ども選定委員」がその名を選定したらしい。トリフネとは、日本神話における船の神、あるいは神さまが乗る船の名前で、鳥のように速く安全に航行する船だという。
まさに、宇宙空間を高速で航行する「はやぶさ2」にふさわしい名であり、卓抜した選定のセンスである。しかし、トリフネという名は、実際の鳥と船にどのように関係するのか、トリフネとは神さまなのか船なのか。トリフネを妖怪といっては怒られそうであるが、今回のコラムでは、妖怪とアストロバイオロジーのシリーズとして、トリフネを考えてみようと思う。
古代出雲への使者
さて、上にトリフネは神さまであり、船でもあると書いた。
どういうことであろうか。実は、出典によって異なるのである。「古事記」には、天鳥船神(あまのとりふねのかみ)という神さまとして登場し、「日本書紀」には、天鳩船(あまのはとふね)という船として登場する。
どちらも、古代出雲を中心に山陰・山陽地方を治めていた大国主神(おおくにぬしのかみ)に対して、神の国、高天原(たかまがはら)に住まう天照大神(あまてらすおおみかみ)が、自分の子孫に地上を統治させようと、国を譲れと交渉に遣わした使者の神さま、あるいは使者の乗り物として登場する。
いわずもがな、この高天原に住まう天照大神は、日本史的にいえば、近畿地方のヤマト王権の大王を指し、ヤマトの人々とは主に大陸から先端文明と共に渡来してきた人々であった。一方で、古代出雲に棲む民族は、それ以前から日本にいた土着の人々も含み、出雲が大陸の玄関口であったこともあり、大陸の文化・文明と融合し、たたら製鉄も行われていた。財力・軍事力ともに強力な地方勢力であった。この地方勢力がヤマトに従った話が神話になり、「古事記」や「日本書紀」に登場しているものである。
現在も出雲周辺は、汽水湖である宍道湖を中央にたたえた島根半島とよばれる半島となっている。この島根半島であるが、約4000年前の縄文時代には完全に海に隔てられた島であった。当時は、現在より平均気温が1~2℃高く、海水面が今よりずいぶんと高かった。世に、縄文海進と呼ばれる時代である。現在も地球温暖化で、海抜の低い島国が海に沈むといわれるが、縄文海進の当時、関東平野は大半が海の下にあり、島根半島は独立した島であった。
古代出雲の時代(3世紀)は、すでにこの温暖期を脱してはいたものの、かつての島と本州との陸地の接続はおぼつかなく、出雲に渡ろうと思えば、当然、船が必要となったに違いない。
鳥は天の使い
ヤマト王権から派遣された使者も、難儀な役どころであったろう。相当な抵抗や戦闘が行われたことは想像に難くない。結局、大国主神は降伏の可否を息子たちに一任した。1人の息子は降伏、もう1人は抵抗するも撃退され、長野・諏訪に追われることになる。
「国譲り」とはいうものの、そこは平和的な「譲り」があるわけではなく、新規の文明によって従属させられる土着勢力という歴史の普遍性の例外ではない。
さて、その使者—トリフネであるところの、天鳥船神あるいは天鳩船についてである。
鳥と船が結びつくのはいくつか理由があるという。
1つは、当時、船にはたいてい鳩やカラスなどの鳥が乗せられていたことがある。航海技術が低い当時、陸を片目に見ながら航海をすることになる。しかし、濃霧や潮流に流されて陸地が見えなくなることもある。そのとき、鳥を解き放つ。すると、鳥は陸地の方角へ飛んでいき、向かうべき方角が知れるのだという。
実際、この時代の古墳(東殿塚古墳)に産出する埴輪に描かれた船の絵や、船形埴輪と呼ばれる船の形を模した埴輪には、その船首部分に鳥がいるものもある。
面白いのは、もう1つの理由である。それは、鳥は死後の世界と現世を結ぶ使いという考えに基づく。船は霊魂の乗り物、鳥が古墳の埋葬品に多く見られるのは、古墳の主が無事天界にたどり着けるようにだという。
大陸と海の人々の他界観
たしかに、大陸に暮らす人々の死後の世界観には、天と地下というものがある。エジプトでは死後、太陽神ラーがいる天界である悠久の宇宙に天空船(太陽の船)で向かう。太陽神ラーは、鳥の顔と人の体を持つ。一方で、地下の国ツアトは毒蛇うごめく地獄である。
また、中央アジアに広く生活する遊牧民であるテュルク系民族では、鷹(主にイヌワシ)は天の使い、神の使者と考えられ崇められている。太古から馬にまたがり、ヤギや羊を野に追いつつ、野生動物を狩って生活してきた彼らだが、決して鷹は狙わないという。
遥かな地平線を望む大陸内部で暮らすと、地の果てと思える場所からも平然と人がやってくる。地の果てとはいえ、やはり同じ人類が暮らす場所であると実感できる。そのため、死後の他界は自分が到達できない天高く、あるいは地中深くにあると考えるのであろうか。
一方で、南方の海に暮らす人々の死後の世界観はやや異なるようである。
たとえば、パプアニューギニアのメラネシア人は海の向こうのノルマンビーと呼ばれる島にある山に他界があると考える。この山に渡るために蛇でできた橋をわたっていくという。また、ソロモン諸島では死者をカヌーに乗せて他界に送る。マレーシアのネグリトと呼ばれる人々は、死霊は海にかかる橋をわたってマピックと呼ばれる巨木のもとに行くと考え、ニュージーランドのマオリ族は、死霊は海藻の茂みを伝って海底の下界にたどり着くとする。
つまり、死後の世界は山や海底、海の向こうにあると考える。天といっても山程度、地下といっても洞窟や海底程度の地下である。大陸の人々が上下方向に他界があると考えるのと違うのは、南方の海の人々にとって、遥かな海の彼方から人が来るということは極めて稀であるためだろう。そのため、そのような人々は、人の住まない水平方向の遥か先に他界があると考えたのではあるまいか。
トリフネと日本人
以下、想像である。
日本、あるいは日本人というものの成り立ちを考えてみたい。まず、縄文人として南方、東南アジアからの人の流れがあった。そういった人々は航海術にも優れ、船を操り、海に暮らし、他のその地域の人々と同様に感覚的に水平方向、つまり海の彼方に他界があり、そこには船で渡っていくと考えていた。
一方で、日本には後年、弥生人として大陸から来た人たちが加わる。こちらの人々は、農耕をもたらし、製鉄を教え、そして天上に他界があると信じ、鳥を天の使いと考えていた。実際、天照大神の子孫であり地上統治に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、その孫の神武天皇が土着勢力を切り従える際、天の使いである金鵄(金の鷹)が弓に留まり勝利するといった象徴もある。
この縄文と弥生の人々は、滅ぼし、滅ぼされたのではなく、むしろ交じり合った。その結果、天界からの使者、あるいは使者の乗り物の描像も、船と鳥の入り混じったトリフネになったのではなかろうか。そうだとすれば、トリフネとは、いかにもあらゆることを取り入れて、文化や風習をないまぜに混ぜてきた日本らしい象徴ともいえまいか。
小惑星トリフネに話を戻す。この小惑星、よく見ると2つの丸い岩塊がくっついている。これは、かつて別の大きな小惑星に天体衝突があり、放り出された2つの岩石の欠片からトリフネができたことを示す。放り出された直後、2つの岩石は互いにクルクルと回り合う2つの連星(正しくは連小惑星)であった。それが徐々に近づき、ゆっくりと口づけするようにくっつき合って今の形になった。岩石の接触面が真新しいところを見ると、両者がくっついたのは太陽系の歴史から見てごく最近(数百万年前、数万年あるいは古墳時代かもしれない)に思える。ちょうど片方の岩石が縄文の海の文化(フネ)、もう片方が弥生の大陸の文化(トリ)であり、両者がやがてくっついたのだとすれば、この小惑星はいよいよトリフネと呼ぶにふさわしい。
今回のコラムは、話が小惑星のようにクルクルと変わる。さて、古代出雲へ派遣されたトリフネこと、天鳥船神あるいは天鳩船とは、実際どういうものだったのだろうか。興味のある方は、島根半島の先端、島根県松江市美保神社で毎年12月に行われる諸手船神事をご覧になるといいだろう。おごそかでありつつ勇壮な古代日本の“トリフネ”を想像できるだろう。そこは、僕もいつか訪れたいと思い続けている場所の1つである。
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三菱電機は「はやぶさ2」プロジェクトにおいて地上のアンテナ系を担当しています。



