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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

「8Gで失神」元広告クリエイター、宇宙旅行への挑戦

今年冒頭のコラムで、自衛隊出身の油井亀美也JAXA宇宙飛行士が、重力を模擬する訓練で「8Gは楽」と言ってのけ、報道陣を驚かせたことを紹介した。8Gとは8人分の体重がのしかかってくることを意味し、ソユーズ宇宙船帰還時に稀に経験することがある。ロシアではこれにパスしないと宇宙に行けないため、多くの宇宙飛行士が苦労すると聞く。

油井さんの「8Gは楽」発言の数日後に「僕は8Gで失神して、一度は医学検査で落ちました」と一般人目線で率直に語ったのが、民間宇宙旅行者として1月からロシアで訓練に入った、高松聡さんだ。高松さんは国際宇宙ステーション(ISS)で史上初の本格的CM撮影を行い、ポカリスエットやカップヌードルのCMを作ったことで知られる元広告クリエイター。2013年夏に宇宙旅行会社を起業、さらに自らがISSへ宇宙出張に行くことを目指して2015年1月から800時間の訓練に突入した。当面の目標は、日本の民間人で初めてISS搭乗宇宙飛行士の認定をロシア宇宙庁から受けること。まずは9月に宇宙飛行予定の歌姫サラ・ブライトマンさんのバックアップ(補欠)クルーとして彼女と同じ内容の訓練を受けている。2月上旬、ロシアで訓練中の高松さんに現状や真意を伺った。

2月12日、ソユーズ宇宙船のシミュレーターでライフサポートの実習を受ける高松聡さん。
(提供:Satoshi Takamatsu, Space Adventures)

医学試験をパスしないと訓練を受けられない!

高松さんのところに「サラ(ブライトマンさん)のバックアップクルーをやらないか?」という話が米国の宇宙旅行会社スペース・アドベンチャーズ(SA)社から来たのは2014年夏。バックアップクルー訓練では宇宙飛行士の資格は得られるものの、「宇宙行きのチケットは自動的にはついてこない」(高松さん)。だが、ロシア宇宙飛行士の資格を得るのは大変なことで、約半年間にわたり訓練を受け、様々な試験をパスするために知力体力精神力の全てを投入しなければならない。「資格さえ得ておけば次にソユーズでの宇宙旅行者用の座席があいたときに、大きなアドバンテージになる」と判断し、高松さんは手を挙げたという。

決断から医学試験を受けるまで1ヶ月。まず取り組んだのが「不摂生の極み」と言われる広告業界でボロボロになっていた身体と向き合う作業だった。「血液検査で赤信号や黄信号だった尿酸値やコレステロール値を正常値にするために、徹底した食事制限と運動を課しました」。深夜0時過ぎにどか食いする生活を改め、糖質制限を徹底し、プロテインを飲み、野菜を食べ食物繊維を粉末でとる。ほとんど運動もしていなかったが、パーソナルトレーナーをつけて週3回×1時間半運動した。またカナヅチだったが訓練では水泳が必須のため、週1で習い泳げるようにした。こうして1ヶ月で7kgの減量に成功し、すべての血液検査の数値を正常範囲に戻すことに成功。

だが、ロシア宇宙飛行士医学検査特有の「関門」がある。その一つが冒頭に紹介した重力加速度訓練。8Gを数十秒間耐えることが求められるが、高松さんは1回目に失神寸前の状態になり不合格に。肺が押さえつけられるため腹式呼吸が鍵と気づいてマスターし、1ヶ月後の再挑戦で突破。高松さんが「もっとも辛い」というのが回転椅子だ。「時計回り、反時計回りと回る方向が変わる。さらに首を左右にふるので気持ち悪くならない人はいないと思います」と高松さん。6分で嘔吐したが飲み込んで耐えたという凄まじさ。それなのに、試験後「4分クリアすればよかったのよ」と言われ「『先に言ってよ!』と思った」と苦笑する。

宇宙旅行者にそこまでやるの?本格的訓練スタート

医学検査に合格し、2015年1月中旬にロシアへ。宇宙飛行士候補者訓練に入った。訓練の場所は、ガガーリンの時代から世界の宇宙飛行士が訓練する「星の街」(正式名称はガガーリン宇宙飛行訓練センター)。モスクワの北東にあり、生活区と訓練区が隣接している。高松さんはプロフィと呼ばれる宿舎に滞在し、歩いて訓練区に向かう。訓練は基本的に朝9時から6時。「5分遅れると電話がかかってくる」という厳しさ。1月末には着陸時に不時着した場合に備え、氷点下の雪原でNASAやロシアの宇宙飛行士と48時間のサバイバルトレーニングも受けた。2月上旬にはソユーズ宇宙船の操縦席にある「コントロールパネル」について、ロシア語表記のすべてのスイッチの名称と機能をほぼ一夜漬けで覚え(!)、試験をパスした。

さらに二日に一回のペースで4時間のロシア語の授業があり(先生は英語が話せない)、宿題あり、テストあり、筋力トレーニングありでへとへとで帰宅後は、日本でやり残した仕事を深夜一時ごろまでこなす。星の街到着約3週間は「ちゃんと夕食もとれず、一息つく時間がなかった」と疲労困憊の様子。

高松さんにとって「思っていたより大変」だったのは情報量。テキストはプロ宇宙飛行士が使っているものと同じ(2週間で終了するライフサポートシステムだけで約200頁)で授業時間も変わらない。

試験の合否基準はプロより恐らくゆるいが、その基準ははっきりしない。つまり宇宙旅行者用訓練メニューが特別に用意されているわけではない、というわけ。何故、ここまでやるのか?高松さんは2つの理由をあげる。「実際は宇宙旅行者が操作するスイッチは多くはない。でもシミュレーション訓練を受けると、3人がソユーズ宇宙船に座りハッチを閉めると相当な閉鎖空間であることに改めて気づきます。宇宙でトラブルが起こればパニックになる人もいると思います。いま船内で何が起き、船長がどういうコマンドを発動しようとしているのか理解しなくては、自分に与えられた役割もスムーズにこなせません」。

もう一つの理由は宇宙旅行の歴史にあった。これまで7人の宇宙旅行者がISSに搭乗しているが最初の宇宙旅行者デニス・チトー氏が2001年にISSを訪問した際はNASAに反対意見もあったという。チトー氏は一般人であり宇宙飛行士ではないからだ。そこでロシア側はチトー氏を宇宙飛行士として正規に訓練し、ロシアの宇宙飛行士と認定するという解決策を示した。その歴史が引き継がれているのだという。

1月末、48時間のサバイバル訓練で。過去に宇宙飛行士が着陸後約48時間救出されなかった経験から今も行われている。GPSを使う現在は救出にそれほど長時間かかることはありえないが「チームワークを育む目的で行われているのでは」と高松さん。(提供:Satoshi Takamatsu, Space Adventures)

これから━NASAで訓練

中高時代、宇宙飛行士をめざし筑波大学基礎工学類で化合物半導体の研究室を卒業した高松さんは、これまでのところ、毎週ある試験をほぼ満点で合格しているという。自分専用の宇宙服や宇宙船の椅子の型どりも終わり、「『リアル宇宙飛行士感』が日に日に増している」そうだ。これから楽しみなのはNASAでの訓練。一方、「恐怖の」回転椅子訓練は最終的に10分間クリアしなければならないし、宇宙飛行士の間でキツイと評判の「海上サバイバル訓練」が待ち受けている。

これからもできるだけ高得点で試験をクリアし、宇宙旅行者ではあるけれど胸を張って宇宙飛行士だと言えるような能力を身につけたい。そして次の宇宙旅行の席が空いた時「なぜ聡を載せないんだ?」と星の街のみんなに言ってもらいたいという。全てをシェアする宇宙飛行士になりたいという高松さんはSNSを駆使し訓練経験をアップしている。悪戦苦闘しながら宇宙飛行士に育っていく過程を見るのがとても楽しみだ。

自分専用の宇宙服の採寸も行い、「リアル宇宙飛行士感」は日に日に増している。(提供:Satoshi Takamatsu, Space Adventures)