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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

H3ロケット打ち上げ成功!「失敗で強くなった」軌跡と未来

2024年2月17日、種子島宇宙センターから飛び立ったH3ロケット試験機2号機。

2024年2月17日9時22分、H3ロケット試験機2号機は閃光を放ち、飛び立った。種子島に広がる青空の中、宇宙を目指しまっすぐ上昇していく。ものすごい振動がおなかに伝わる。しばらくしてバリバリバリと空気を引き裂く轟音が届くが、自分の胸の鼓動の方が大きいかもしれない。約1年前の記憶がよぎり、「まだ安心できない」とそのドキドキは大きくなる。

約1年前、2023年3月7日のH3ロケット試験機1号機の打ち上げも、同じ場所でファインダーを覗いていた。リフトオフ後、新規開発した第1段LE-9エンジンの燃焼を見届け、成功を確信した直後に訪れた、まさかのトラブル。従来のロケットで使われ信頼があったはずの第2段エンジンが着火せず、H3ロケットは指令破壊された。その「魔の時間」を乗り越えて、搭載した衛星を軌道投入させるまで油断できない。そんな緊張したムードが、種子島宇宙センター竹崎展望台に集まったプレスの間に漂っていた。

打ち上げ約5分15秒後、第2段エンジン燃焼が無事にスタート。鬼門突破だ!そして打ち上げ16分43秒後、超小型衛星CE-SAT-1Eの分離に成功!プレスセンターで見守っていたJAXA職員らは拍手と笑顔、涙をこらえきれない方もいる。その様子にぐっとくる。

CE-SAT-1E分離の瞬間、喜ぶJAXA職員たち。その後、TIRSAT分離、ロケット性能確認用ペイロードVEP4の分離も正常に行われた。

「ものすごく重い肩の荷が下りた」

約3時間後に開かれた記者会見でJAXA山川宏理事長は「宇宙業界に入って長いが、こんなに嬉しい日はない。そしてこんなにほっとした日はない」と安堵した表情を見せた。

打ち上げ後の記者会見で。左から二人目がJAXA山川宏理事長、左端が三菱重工業株式会社執行役員防衛・宇宙セグメント長、江口 雅之氏。

岡田匡史H3プロジェクトマネージャーは「ようやくH3がおぎゃーと産声を上げることができました。ものすごく重い肩の荷が下りた気がする。H3はこれからが勝負。しっかり育てていきたい」と喜びつつ、今後の決意を語る。

飛行結果について詳細なデータ解析はこれからとしつつ、タイミングや飛行経路を見る限り、「ほぼど真ん中。(LE-9エンジンは)おそらく予定通りの性能を発揮したと想像している」と岡田プロマネ。また搭載した衛星の投入精度についても「ほぼ狙い通りで、高度1kmも誤差がない状態で軌道に投入できている」とのこと。打ち上げは成功だ!

衛星分離の瞬間、「笑いながら泣いていました」と語る岡田プロマネ。

H3ロケットの開発が始まったのは2014年。当初は2020年度の打ち上げを目指していたが、新型エンジンLE-9の開発が難航。2度の延期を経て初打ち上げは2023年2月がターゲットに。だが2023年2月17日の打ち上げは発射0.4秒前に中止。第1段エンジンの電源系トラブルが原因だった。対策を施して再挑戦したのが3月7日。第1段LE-9エンジンの燃焼は正常だったが、第2段エンジンが着火せず失敗に終わる。

原因究明は直後から始まった。「出口がなかなか見えない時期が4か月ほど続き、暗闇の中で時間だけがどんどん流れてゆく感覚もありました」(JAXA H3プロジェクト、岡田プロマネの文章「再挑戦。」より 欄外リンク参照)。「そして8月、『3つのシナリオ以外には失敗原因はあり得ない』という結論に至った時、未来への光がようやく見えた気がしました」(同)。出口の見えない暗闇をようやく抜けた。対策を施し確認試験を重ね、ようやく迎えた成功。

H3ロケットのフェアリングにはRTFの文字。全国から集まった2,931件のメッセージが印字されている。(提供:JAXA)

過去を振り返ればH-IIロケット8号機(1999年)やH-IIAロケット6号機(2003年)が打ち上げに失敗した際は、飛行再開まで1年以上かかっている。今回1年以内でRTF(Return To Flight)成功に至った要因について、「原因究明を3つまで絞り込んだ段階でそれ以上追い込まず、3つ同時に手を打ったこと」と岡田プロマネは分析する。H3試験機1号機失敗の要因は第2段エンジン電源系機器に起きた過電流だが、具体的にどの機器に何が起こったかについては3つのシナリオまで絞り込んだ。そのすべてに対策を施すことで、ロケット開発を前に進める判断を行ったのだ。

「ロケットの怖さを知った」エンジニアの成長

記者会見でがっちり握手をするJAXA岡田匡史プロジェクトマネージャー(右)とMHI新津真行プロジェクトマネージャー。

記者会見中の言葉で強く印象に残ったのは「失敗があると、エンジニアはものすごく強くなる」という岡田プロマネの言葉だった。岡田プロマネはH-II8号機、H-IIA6号機の失敗など計4回のロケット失敗を経験している。一方、2003年のH-IIA6号機以降、約20年間、日本のロケットは大きな失敗を経験していない。「大半の(ロケット開発)メンバーには失敗経験がなく、失敗に直面したショックもかなり大きい様子でした」(岡田プロマネ)。

そもそも全機をゼロから開発する大規模なロケット開発は、日本初の全段国産ロケットH-II以来、約30年ぶりのことなのだ。技術継承がH3ロケット開発の目的の一つでもあった。

岡田プロマネは「(失敗後)先が見えない中で、とにかく前に進まないと未来がない。非常に難しい課題を突き付けられて、洞察力を働かせ答えを導いていく技術面でも(エンジニアたちが)強くなった」と言い、失敗を乗り越える過程で、エンジニアが精神面でも技術面も強くなったと説く。

三菱重工業(MHI)の新津真行(にいつまゆき)H3プロジェクトマネージャーは、失敗を通して得た強さについて「怖さを知ったこと」をあげた。「あれだけのロケットがほんのわずかな設計や製造、思いもしないところで問題を起こし機能しなくなり落ちてしまう。若いエンジニア一人一人が、担当している設計がこれでいいのか、本当に見逃していることはないのか、自ら考えられるようになったところが一番大きかった」と語る。特に指示をしなくてもエンジニアが自ら動く姿をみて「非常に嬉しく思っている」と顔をほころばせた。

MHI新津真行H3プロジェクトマネージャー。

失敗を乗り越えるには「好きなことを見つけて挑戦して」

ロケット開発は厳しい世界だ。1回打ち上げたらやり直しがきかない。その難しさと喜びをMHI新津プロマネはオリンピックの100m走に例える。「勝負は一瞬で終わる。その勝負のために、何年もの期間を費やす。H3も開発から10年かかった。ロケット打ち上げは短いと十数分で勝負が決まる。その十数分のために大勢の仲間と何年も取り組んで成し遂げるのは、何物にも代えがたい」

H-IIAロケットは残り2機しかなく、H3ロケットは先進レーダ衛星「だいち4号」や新型宇宙ステーション補給機「HTV-X」など、待ったなしの衛星や探査機が数珠つなぎで待機している。成功の重圧ははかりしれない。そして失敗は誰でもしたくない。どうしたら乗り越えられるのだろう?

「辛いことはもちろんある。チャレンジすればつまづきもある。でも好きなことなら乗り越えられる。乗り越えれば、遠くが見えると思います」と岡田プロマネは語りかける。岡田プロマネ自身がロケットエンジニアになりたいと思ったのは15歳の時、アポロ宇宙船を搭載したサターンVロケットの打ち上げをテレビで見たことだという。「勉強に全然やる気がなかった15歳の岡田が、やるしかないと勉強をやり始めた」。それから約35年かけて、夢をかなえた。「35年ぐらいロケットの仕事をやってきてよかった」とふり返る。

その時に思い描いていたロケットと、自分たちが手掛けたH3を比べると? 「H3の方がはるかにいい。15歳の時に頭にあったのは(全長約23cmの)ペンシルロケットみたいな小さなロケットです。当時の日本は(米国のロケットの技術をもとにした)N-1を開発していた時代ですから」。

「日本のロケット技術は先人たちのチャレンジのおかげで、ステップバイステップでここまでたどり着いたと思っています。特に、H-1ロケットから(全段国産の)H-IIロケットへの飛躍は、H-IIAからH3に比べたらとんでもないものだった」。H-IIロケットはそれまでの輸入技術から脱却、国産技術で全段を開発。スペースシャトルと同じ2段燃焼サイクルを採用したLE-7エンジンの開発は難航を極めた。その開発を岡田プロマネは経験している。

実は岡田プロマネ、自分は「びびり」だと打ちあける。「でも一人じゃない。みんなで一緒に目標を目指す中で、自分には与えられた役割がある。その役割の中でなら、びびりでも頑張れる」と笑う。好きなことを実現するために、仲間と力を合わせて乗り越える。そうすれば遠くの新しい景色が見渡せる。ロケット打ち上げに感動するのは、極限に挑む「人間の力」の結集を全身で体感できるからではないだろうか。

機体移動や打ち上げには全国からファンが見守った。写真は東京から駆け付けたお母さんと5歳のお子さん。テント持参!男の子の夢は「宇宙飛行士」。

「H3はこれからが勝負」今後の課題と注目点

大きな山を乗り越え、H3はようやくスタートラインに立った。勝負はこれからだ。

「H3は製造して運用して打ち上げるという全体の流れがちゃんと作れているわけではなく、非常に手のかかる状態。H3を『宇宙の軌道』というより、『事業の軌道』に乗せていくのが重要」と岡田プロマネが語るように、まずは製造から打ち上げという流れをしっかり作る。「安定して打てる信頼性の高い機体に仕上げていく。毎回打ち上げ成功を喜ぶのでなく、当たり前に淡々と打ち上げられる機体にしていきたい」(MHI新津プロマネ)

実はH3ロケットにはまだ開発課題が残っている。岡田プロマネによると大きくは2つ。「LE-9エンジンを最終形態である『タイプ2』にすることと、(H3ロケットの機体ラインアップのうち、固体ロケットブースターのない)「H3-30S」を仕上げること」。

「LE-9エンジンは全体としてかなりでき上がっているが、(タイプ2エンジンを実現するには)本当にピンポイントでどうしても解きたい問題が残っている」(岡田プロマネ)。そのため試験機2号機ではタイプ2エンジン実現手前の「タイプ1」と「タイプ1A」エンジンを採用した。タイプ2エンジンの設計は進んでいるが燃焼試験を行う必要があり、まだ完成の時期は読めないという。

H3ロケットには固体ロケットブースターやフェアリングの組み合わせで何種類かの機体形態がある。今回打ち上げられたのはH3-22S(提供:JAXA H3ロケット試験機2号機打上げ準備状況について記者説明会資料より)

そしてH3-30S。LE-9エンジン3機を備え、固体ロケットブースターがない形態だ(上図左端)。当初はH3ロケット試験機2号機で30S形態を打ち上げる予定だった。地球観測衛星などに適した太陽同期軌道に4トン以上の打ち上げ能力をもつ。従来のH-IIAロケットでは打ち上げ能力が過剰だったが、H3-30Sは最適な能力をもつため、安価に打ち上げられるようになる(打ち上げコスト約50億円は、この30形態で実現をめざす)。そのため国の衛星はもちろん、民間の衛星需要者のニーズも高まっているという。

「30形態の開発はほぼ終わっている。あとはどのタイミングで、機体とエンジンを組み合わせた大規模なCFT試験を発射場で行うかです」(岡田プロマネ)とのこと。

H3ロケットの目的は「ロケット打ち上げの自律性を維持すること」と「国際競争力の確保」。人工衛星の数が世界的に爆発的に増える一方、国際情勢の変化により、打ち上げられるロケットは限られる。まずは自国の衛星を自国のロケットで打ち上げることが必須。次に、現在「SpaceX一強」ともいえるロケット市場に食い込み、海外の衛星打ち上げを受注すること。

そのためには、打ち上げコストを低減すること、打ち上げ回数を増やすことが求められる。コストについてH3が掲げる50億円を実現するために、LE-9「タイプ2」エンジンやH3-30形態の実現が鍵になってくるだろう。三菱重工業執行役員防衛・宇宙セグメント長の江口雅之は「(H3ロケットの)10号機か15号機で競争力のある価格実現を目指す」と記者会見で語った。

打ち上げ回数を増やすことについて岡田プロマネは「ひと月に2回打ち上げられるようにしたい。具体的には打ち上げたら30日以内に次の打ち上げを絶対にやりたい」と意欲的だ。

SRB-3(固体ロケットブースター)分離の様子と噴煙が作るロケットロード。

H3ロケットの開発が始まった2014年から宇宙開発は激変した。小さな衛星を多数搭載して一度に打ち上げる衛星コンステレーションのニーズも高い。「H3は観光バス一台ぐらい入る長い衛星フェアリングが開発済み。多数の衛星は(フェアリングの)体積があるほど輸送コストが下がる。H3-24形態のロングフェアリングはコンステが主流になれば使い道が大きい」と岡田プロマネは自信を見せる。

他の宇宙機関も新型ロケット開発に苦労している中、H3ロケットが先駆けて打ち上げ成功に至った意味は大きい。そして30年ぶりの新しい大型ロケット開発で、エンジニアが失敗を乗り越えた価値ははかりしれない。これからH3がどう育ち、どう世界に羽ばたいていくのか。新たな挑戦が始まる。

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