DSPACEメニュー

三菱電機×クーリエジャポン NASAも驚嘆した“宇宙の宅配便”「こうのとり」Text by Chihiro Masuho / COURRiER Japon三菱電機×クーリエジャポン NASAも驚嘆した“宇宙の宅配便”「こうのとり」Text by Chihiro Masuho / COURRiER Japon

NASAも驚嘆した“宇宙の宅配便”「こうのとり」
—世界に誇る日本の技術が、過熱する宇宙開発市場を勝ち抜く切り札となる①

日本の宇宙開発の実績のなかで、世界からとくに高い評価を受けているのが、宇宙ステーション補給機「こうのとり」(HTV)だ。その品質と安全性の高さから、日本の技術への信頼を高めるのに大きく貢献してきた。 こうのとりの成功の影には、長年その開発に携わってきた日本の宇宙開発の雄「三菱電機」の存在がある。こうのとりの“頭脳”部分の開発を担当した同社は、新興国の台頭や民間企業の進出で活況を呈する宇宙開発市場の現状をどう見ているのだろうか?同社の技術躍進の舞台裏と、今後の事業の展望を探った。

日本が開発した宇宙ステーション補給機。国際宇宙ステーション(ISS)に必要な物資を届けるという役割から、「こうのとり」という愛称がつけられた。三菱電機がその“頭脳”ともいえる電気モジュール部分の開発を担当(提供:NASA)

宇宙ビジネスは「戦国時代」

宇宙は、いつの世も人類を惹きつけてやまない。

美しい星空への憧れや未知の領域に対する探究心、科学的な進歩に対する達成感など、その情熱が向けられる矛先は多種多様だ。

1960年代になると、米ソ間の技術競争が過熱し、宇宙産業は飛躍的に成長。その後もこの分野の開発は、国家主導で進められてきた。

2014年にはグーグルが人工衛星ベンチャーの「スカイボックス・イメージング」(現:テラ・ベッラ)を買収。アマゾンのCEOジェフ・ベゾスは、宇宙旅行ビジネスを目指して「ブルー・オリジンズ」社を設立した。また、電気自動車メーカー「テスラ・モーターズ」の創業者イーロン・マスクも「スペースX」社を立ち上げ、宇宙ビジネスに進出。早ければ18年に、火星に無人宇宙船を打ち上げる予定だ。

こうした新規参入組のおかげで、宇宙産業の市場には資本と人材が集中。 米NPO「スペース・ファウンデーション」によれば、14年の世界全体の宇宙産業の売り上げ高は3300億ドル(約34兆6500億円)で前年に比べて9.1%上昇したという。

また、中国やインドなどの新興国の台頭も目覚ましい。

特に中国は国家事業として巨額の資金を投入し、すでに米国を脅かす存在となっている。有人宇宙船の打ち上げや、月面探査など多くのプロジェクトを猛烈な勢いで成功させ、現在は22年の完成を目指して中国独自の宇宙ステーション「天宮」を建造中だ。

一方、日本の宇宙開発は、これまで研究開発が中心で、民間の大手企業が官需を受注することで成長してきた。

1990年に「日米衛星調達合意」が結ばれ、国際競争入札で衛星が調達されるようになってからは、海外メーカーとの厳しい競争によって技術が磨かれたことで、そのレベルは世界トップクラスに達した。

だが、日本は世界的に見て政府の宇宙開発予算が少なく、欧米に比べて実績不足であることは否めなかった。

そこで、この状況を打破しようと、日本政府は2015年に「宇宙基本計画」を改訂。 日本も研究だけでなくビジネスの振興に力を入れようと、これまで横ばいだった宇宙関連産業の予算規模を今後10年で5兆円に拡大し、衛星など最大45機を打ち上げることを目標に掲げた。

宇宙開発の分野はいま、世界規模で「戦国時代」を迎えているのだ。

日本の宇宙開発の「パイオニア」

「三菱電機」は1960年代に宇宙事業に参入してから、人工衛星やその運用のための地上管制システムや大型望遠鏡など、幅広い事業を展開してきた。

特に、観測衛星の分野では「いぶき」「だいち2号」「ひまわり7、8、9号」など国のインフラを開発・製造し、地球温暖化の防止や災害の監視、気象予報に貢献。通信衛星分野でもその存在感を発揮し、2008年にはシンガポール・台湾、2011年にはトルコ、14年にはカタールから通信衛星を受注した。

その三菱電機が技術の高さを世界に知らしめたのが、宇宙ステーション補給機「こうのとり」(HTV)だ。

こうのとりは宇宙飛行士がISSで生活するために必要な水や食料、実験装置などの物資を運ぶ無人宇宙船。たとえていうなら、「宇宙の宅配便」だ。

三菱電機は、地上からこうのとりをコントロールする運用管制システム、ISSに近づいたときに通信を行う近傍通信システム、そして、軌道や速度などの誘導制御を担う電気モジュールの開発を担当。

いわば、こうのとりの“頭脳”を作り上げた。

上部が三菱電機が開発を担当した、こうのとりの“頭脳”である電気モジュール。下部は、軌道や姿勢を変更するための推力を発生する推進モジュール。写真は2号機のもの(提供:JAXA)

初期の段階からプロジェクトに関わる宇宙システム事業部の塚原克己(57)によれば、09年にこうのとり初号機のミッションが成功するまで、世界の宇宙開発における日本のプレゼンスは弱かったという。

だが、三菱電機では技術の研鑽が地道に続けられていた。

1980年代に米国がISSの建設計画を発表すると、日本も88年に参加を決め、年間400億円もの宇宙関連予算を確保。これを受けて三菱電機では、80年代後半から宇宙開発事業団(NASDA、現:宇宙航空研究開発機構、JAXA)の研究委託という形で、宇宙船が地球を周回する宇宙ステーションや人工衛星に接近し、結合するための「ランデブー」の技術研究に着手した。

その成果は、宇宙空間で実験をおこなった実験観測機を若田光一氏が搭乗したスペースシャトル・エンデバー号が回収する「SFU」ミッションや、2つの人工衛星を打ち上げ後に分離させたり、ドッキングさせたりしながら実験を繰り返す技術試験衛星Ⅶ型「おりひめ・ひこぼし」のミッションなどに活用された。

その後、国際宇宙ステーションの建設が本格化するなか、その運用には膨大な物資が必要になることから、計画に参加している諸外国もISSの物資輸送を分担することになった。

それ以前の実績が買われて、日本の補給機のランデブー技術の開発担当には三菱電機に白羽の矢が立った。そして、NASDAの指導のもと、95年頃からこうのとりのプロジェクトが始まったのだ。

だが、NASAから三菱電機に突き付けれた要望は、想像をはるかに超えるものだった。

Text by Chihiro Masuho / COURRiER Japon