ビジネスコラム
杉本昌隆氏ベストよりベターを選ぶ。それも棋士としての矜持(きょうじ)
2025年4月公開【全4回】
第3回 努力に費やした時間と事実は裏切らない

先を読むこととは、相手を知り、自分を知ること。この言葉は、すべてのビジネスパーソンの心に刺さったのではないでしょうか。そして、若くして将棋の師匠になられた杉本棋士に訪れた、藤井少年との衝撃の出会い。将棋界の記録を塗り替え続ける天才棋士とのエピソードを、さらに掘り下げます。
──突出した才能をストレスなく伸ばすための配慮について、詳しくお聞かせいただけますか?
当時、私には4~5人の弟子がおり、藤井少年にとって彼らは兄弟子にあたります。彼の才能が頭抜けていることは誰の目にも一目瞭然です。すると兄弟子たちもまだ子どもですから、自分たちより年下で将棋も強いとなると、面白くない気持ちにもなりますよね。ですから、どちらかというと藤井少年よりも兄弟子たちのほうに目をかけるよう心がけていました。兄弟子たちとの円満な関係性が保たれることで、ストレスなくのびのびと才能を伸ばしてくれたらいいなと。それが正しかったかどうかはわかりませんが、そうした環境づくりが師匠としていちばん大切にしたことかもしれません。前回もお話しした通り、藤井少年は放っておいても勝手に成長してくれる子でしたから(笑)。
──そんな藤井少年が育った杉本棋士の「将棋研究室」は、将棋ファンの間で聖地と呼ばれているそうですね。ここで、師匠だからこそ知る“素顔の藤井七冠”を教えていただけますか?
普段はいつもニコニコしている穏やかな青年ですが、パソコンやAIの話になるとテンションが上がるようです。パソコンはいろいろなパーツを集めて自作してしまうほどです。そうした器用さにも驚かされますね。

自身の将棋研究室で、奨励会に入会したばかりの藤井七冠(小学4年生当時)に指導をする杉本騎士。
提供:日本将棋連盟
──弟子たちの心理面への配慮以外に、師匠として心がけていたことはありますか?
将棋界において50代というのは下り坂の印象が強く、引退も見えてくる年代です。私も10代のころは、50代の先生はもう将棋の勉強なんかしないものだと思っていました。そして今、自分がその年齢になってみてひとつわかったのは、いくつになってもやっぱり将棋は楽しいものだし、いつまでも研鑽を続けたいということです。年齢を重ねることによって体力、集中力が落ちますので、どうしても結果は伴いにくくなります。しかし「棋士としての情熱は失っていないぞ」という姿は、弟子に見せ続ける必要があると感じています。それが、弟子に対する指導やアドバイスにつながってくれたらうれしいですね。
──そうした絶え間ない研鑽が実り、2019年に50歳で順位戦B級2組に再昇級し、史上4位の年長記録となったことが話題となりました。
将棋界のクラスは、一度落ちると再び昇級するのが非常に困難です。落ちるということは衰えているということですので、そこから這い上がるのはとても難しい。ただあのときは、ひとつのきっかけからモチベーションを奮い立たせることができました。それは、我が子のさりげない一言です。私の子も将棋を嗜んでいるのですが、あるとき「パパは昔、順位戦でB級1組にいたんだよね」と無邪気に話しかけてきたんです。そのとき私はC級に落ちていましたので、少なからずショックを受けてしまいまして。もちろん子どもに悪気はないのですが、父として「これは頑張らなければいかんな」と。また、藤井七冠をはじめとする弟子たちの活躍も私に大きな刺激を与えてくれました。
──ちょうど藤井七冠が将棋界を席巻し始めたころですね。
師匠ということで、ファンやメディアから比較されることが少なくありませんでした。ちょうどそのころ、藤井七冠に順位戦というリーグ戦で並ばれ、同じクラスになりまして。不思議と焦りのような感情は一切なく、ものすごくワクワクしたことを覚えています。デビューから数年で追いつかれ、いずれ追い越されるのはわかっていましたけれど、同じクラスで同じ日に対局をするわけで「これは弟子の前でちょっといいところを見せなきゃいけないな」と。忘れかけていた闘争心をよみがえらせてくれたことも、昇級につながった要因と考えています。

藤井七冠と2回目の師弟対決となった第33期竜王戦(2020年)にて。弟子たちの活躍は自身の大きなモチベーションにつながるという。
提供:日本将棋連盟
──現在もなお将棋の研究を続けられている杉本棋士。継続することの大切さについてどのようにお考えですか?
将棋はどちらかが必ず負ける競技ですので、どれだけ研究しようとも勝利につながるとは限りません。ただ、研究や努力は決して裏切らないと信じています。そこに費やした時間と事実は自分に揺るぎない自信を与えてくれますし、自分が納得できるまで研究・研鑽を積んだ経験はかけがえのない財産になるはずです。もちろん、結果が伴えば何よりですが「これだけやったんだから悔いはない」──そう思えることも、研究を続ける意味なのかなと思います。