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We are from Earth. アストロバイオロジーのすゝめ

東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine

 Vol.9

土星衛星タイタンとドラゴンフライ計画

2021年4月19日、火星に着陸した探査車パーサヴィアランスから降ろされた小型ヘリコプター「インジェニュイティ」は、見事に火星の空に舞った。

小さな、といえば、確かに小さなヘリコプターによる、小さな飛行ではある。飛行したのは地表から3メートルほどの高さまでであった。

火星ヘリコプター「インジェニュイティ」の初飛行の動画。(提供:NASA/JPL-Caltech/ASU/MSSS)

しかし、地球以外の天体で、人工物が宙を飛行した例は皆無であり、人類が探査車に変わりうる移動手段を手に入れたという意味で、これは歴史的な飛行だったといってよい。

思えば、火星探査車の歴史は、そのタイヤと土壌との奮闘の歴史でもあった。

歴代の探査車は、ほぼ例外なく火星の凶暴な土壌に苦しめられた。尖った岩片によってタイヤに巨大な穴が空いたり、鋭利な砂塵で車輪が動かなくなったりと、割れたワイングラスが敷き詰められた地面の上を素足で歩くような緊張感が、常に探査車に付きまとった。前の探査車の教訓を活かして次を開発するが、また別の問題が現れてタイヤが動かなくなってしまう。未知の地面を踏査する危うさを思えば、大気中を移動する探査方法は、火星探査、あるいは太陽系天体の探査全体に対して新しい潮流となるのではなかろうか、と僕は思っている。

星探査車「キュリオシティ」の車輪。タイヤにいくつもの穴が見える(2016年4月撮影)。(提供:NASA/JPL-Caltech/MSSS)

さて現在、小型ヘリコプターを使ったもう一つの探査計画が粛々と進められている。その探査対象は火星ではなく、遥か太陽系外側にある土星の衛星タイタンである。

その計画の名を「ドラゴンフライ」という。

前回のコラムで、僕は太陽系の外側領域にある「オーシャン・ワールド」と呼ばれる氷の天体群を紹介した(参照:オーシャン・ワールド — 太陽系外側の多様な海の世界)。今回は、その続きとして、前回話しきれなかったタイタンと、その探査計画ドラゴンフライの話をしよう。

第2の地球 — タイタン

タイタンは第二の地球ともいわれる。その理由は、特異な表層環境にある。何と言っても、今も地表面に液体の海をたたえる天体は、太陽系では地球とタイタンしかないのだ。

タイタンには厚い大気が存在し、その主成分は地球と同じ窒素で、メタンが数%含まれる。メタンは、僕らにとっても馴染のある気体である。ガスコンロのつまみをひねって出てくる都市ガスの正体がメタンである。タイタンの地表はマイナス180℃の極寒であり、当然、液体の水は地表面に存在することはできない。しかし、メタンは極寒の地表面で凝結し、液体として存在することができる。つまり、タイタンの海は水ではなく、液体メタンの海なのである。

タイタンの北極付近の液体メタンの海と湖。青色の領域は液体で満たされている。5つの大きな海と無数の小さな湖が見える。(提供:NASA)

僕らの周囲は、固体・液体・気体という異なる状態をとる色々な物質で満ちている。例えば、鉄、石、セラミックスは固体、窒素や酸素は気体というように、である。そのなかでも特殊といえば、水ほど特殊なものはない。水は液体だけでなく、太陽光に照らされれば蒸発して気体の水蒸気にもなる。かと思えば、これが冷やされれば、固体の氷にもなり雲や氷河を作る。液体・固体・気体の間を、水は自由に行き来することで、河川、海、雲、氷河といった地球ならではの美しい景観を作りだす。

このような僕らの持つ地球上の物質の常識は、惑星の環境が変われば通用しない。例えば、木星衛星イオの内部は1200℃を超える高温である。イオの内部では、岩石も溶け、液体すなわちマグマとして存在する。太陽系の最果ての天体である冥王星の地表面温度はマイナス230℃であり、窒素も凍り付いて固体の氷となる。これと同じように、低温のタイタンでは、地球では気体のメタンが液体に姿を変えているということである。

ただし、それだけではない。タイタンでは、ちょうどメタンが地球の水のような役割をする。タイタンの地表温度は、奇跡的にもメタンが液体・固体・気体の間を行き来できるちょうどよい温度であり、メタンは、地球の水と同じように、川を作り、湖や海を作り、雲を作っている。地球と瓜二つの美しい景観がタイタンにも広がっている。

多様なハビタブルゾーン

NASAの探査機カッシーニは、2004年から2017年までタイタンを継続的に観測し、タイタンの北極と南極に海と呼ばれる大きさのものから小さな湖程度のものまで、数多くの液体メタンの海・湖を見つけている。これら海・湖や注ぎ込む多くの河川や、かつての氷河がつくったかもしれないフィヨルドも存在している。夏にはメタンの入道雲が生まれ、雲から雨が降り、湿地帯ができていることも観測されている。

カッシーニ探査機から切り離され、2005年にタイタンに着陸したホイヘンス着陸機。大気を降下していき、液体のメタンが作った河川の跡に着陸した。(提供:NASA)

その一方、タイタンの赤道域は乾燥しており砂漠が広がっている。砂漠といっても地球のような石の砂ではなく、有機物や氷の砂漠である。タイタンの大気では、太陽の紫外線による化学反応が起き、メタンや窒素から複雑な有機物の粒子が生まれており、それが大気中を静々と沈降して地表に堆積している。この有機物の粒子が、風に吹かれて砂丘を形作っているのである。

第8回コラムで紹介したように、太陽系外側には地下海を持つ氷でできた月たちが複数存在する。しかし、地表面に液体をたたえた天体はタイタンしかない。タイタンもオーシャン・ワールドの一つに数えられるが、他の氷の月とは一線を画す、最も地球に似た世界をもつ。

地球は太陽からほどよい距離に誕生し、ほどよい太陽光エネルギーのもと、誕生時から現在まで、奇跡的に水を液体として地表面に保つことができた。もし地球が少しでも現在より内側、あるいは外側に誕生していれば、その姿は現在の金星や火星のようになっていたであろう。このような地表面の水の存在に適した太陽からの距離をハビタブルゾーンと呼ぶ。

その意味でタイタンも、液体のメタンを地表面で持つうえで、太陽からほどよい距離に誕生したと言えよう。地球が水のハビタブルゾーンに幸運にも誕生した惑星とすれば、タイタンはさしずめメタンのハビタブルゾーンに誕生した第2の地球なのである。

さらに、タイタンは大胆な仮説を、僕らに想起させてくれる。すなわち、水やメタンの他にも、惑星の地表面に存在しうる他の物質の海を持つ惑星もあるかもしれないということである。

例えば、二酸化炭素である。二酸化炭素は火山活動によって、惑星の地表面に供給される。火星も金星も二酸化炭素の大気を持っている。二酸化炭素がちょうど液体のなる太陽からの距離 — すなわち二酸化炭素のハビタブルゾーン内に惑星が誕生すれば、その惑星には二酸化炭素の海ができるはずである。現在の太陽系では、二酸化炭素のハビタブルゾーンに惑星は存在しない。しかし、太陽系の外にはそのような惑星もあるに違いない。

宇宙には多様な海が存在しているだろう。水の惑星である地球は、その一形態に過ぎない。タイタンは、僕らにこのことを気づかせてくれた。

タイタンに生命はいるのか?

さて、タイタンに生命は存在するのだろうか。

地球生命の生存にとって、液体の水、有機物、エネルギーという三要素が必要と言われる。水は大気や大地を循環しながら様々な物質を溶かし込み、湖や海にいる生命にそれらを供給する。タイタンでも地球と同じような液体メタンの循環が起きていることからも、液体メタンが水の役割を担えるだろうことは想像に難くない。有機物は、タイタンの大気中で太陽光によって盛んにつくられている。エネルギーという意味では、太陽光エネルギーが大気や地表面に注がれている。タイタンは、地球生命の生存に必要な三要素を満たしているといえよう。

大気中の化学反応で生成した複雑な有機物は、一部は地表で砂丘を作り、稀に降るメタンの雨に溶け、また一部は河川により湖や海に集められる。そこでは、季節変化に応じて溶存種の濃縮・還元が繰り返されることで、さらなる高分子化が進むことが期待される。

また、タイタンにも隕石のような天体衝突は起きる。その時にできるクレーター内では、地表面の有機物と、天体衝突の熱で溶けた氷地殻が混ざり合い、アミノ酸を始めとする地球生命の関連分子もできると予想されている。

生命の誕生には、ただの複雑な有機物が、機能をもつ有機物、そして自己組織化する有機物へと進化していく必要があるだろう。

タイタンでは、果たして有機物はどこまで進化しているのだろうか。

生命につながるような物質があるのだろうか。

原始地球で起きた地球生命の誕生と似た過程が、タイタンでも起きているのだろうか。

ドラゴンフライ

これに答えようとする探査が、冒頭のドラゴンフライ計画である。

ドラゴンフライは、ドローン型の探査機であり、タイタンの厚い大気中を移動しながら探査を行う。厚い大気と小さな重力というタイタンの地表は、ドローンの飛行に適している。

小型ヘリコプラ―探査機「ドラゴンフライ」の想像図。(提供:NASA/JHU-APL)

着陸予定地は、赤道域の砂丘地帯である。まずは砂丘を作っている有機物の粒子を調べ、その後、着陸地点から100キロメートル以上北にある衝突クレーターに向けて空中を移動していく。衝突クレーターでは、衝突時の熱で溶けた氷成分と有機物の化学反応の痕跡を調べる。

ドラゴンフライは、惑星探査の歴史においても、最も挑戦的な計画といってもよいだろう。探査機の打ち上げは2027年の予定であり、タイタン到着は2030年代の中ごろになる。

ドラゴンフライは、タイタンへ着陸し、空中を移動しながら探査を行う。(提供:NASA)

このドラゴンフライには、ひょっとしたら日本の観測器も搭載されるかもしれないが、これはまた後でお話しできるときになったらお話しするとしよう。

タイタンは僕にとっても、特に思い入れの深い天体である。タイタンを最も愛している日本の科学者は、ともすれば僕ではなかろうか。少なくとも三本の指に入る自信はある。

今から20年ほど前、当時20代の大学を卒業したての僕が取り組んだテーマが、タイタンの起源であり、それ以来、初恋相手に対するような気持ちでタイタンの研究を続けている。ドラゴンフライが着陸するころには、僕も60歳近くになっているだろうか。研究者人生の総決算として、ドラゴンフライを見届けよう。

飛べ、ドラゴンフライ。

褐色の空の上から、僕はタイタンの美しい景観を眺めてみたい。

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