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We are from Earth. アストロバイオロジーのすゝめ

東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine

 Vol.30

生命の起源に月から迫る

月が今、大きな盛り上がりを見せている。

その盛り上がりの巨大な引力源は、NASAが主導し、日本も参画するアルテミス計画である。

2022年11月には、アルテミス計画の第一陣の無人機アルテミス1号がNASAケネディ宇宙センターから打ち上げられ、月を数日間周回したのち、12月に地球に帰還した(参照:読む宇宙旅行 月探査新時代へ。「月ラッシュ」始まる)。

2023年度には、JAXAによる小型月着陸実証機SLIMも着陸を目指す。着陸精度100メートル以内という驚異の高精度ピンポイント着陸の技術を確立することが狙いである(参照:読む宇宙旅行 超ユニークなSLIM探査機と2つのロボ、月着陸へ)。

さらに2024年には、宇宙飛行士が月を周回して地球に帰還し、2025年には有人月面着陸が行われるという。2026年には、月を周回する有人の国際宇宙ステーション「ゲートウェイ」の建設が始まり、ゆくゆくはこの「ゲートウェイ」から、宇宙飛行士が月面のあらゆる場所に降り立つようになるというから驚きである。

このアルテミス計画が、アポロと大きく違うのは、民間企業を巻き込んでいる点にある。

月に向かって打ち上げられるロケットには、スペースX社など民間企業のロケットも使われる。CLIPS(商業月面輸送サービス)では、NASAが宇宙企業にお金を払い、月へと観測機器や探査車を輸送してもらっている。いわば、月へ挑戦する企業をNASAやアメリカ政府が育てようとしているとも感じられる。

日本でも宇宙スタートアップ企業ispace社が、2023年4月に月への軟着陸を行う予定である。成功すれば、民間企業による世界で初めての月面着陸となり、宇宙開拓の歴史にもその名が残るだろう。

このような華々しくも夢のある月の開拓に比して、月でどのような科学がこれから行われていくのかはほとんど知られていない。

月には、科学的な価値はもう残っていないのだろうか。

否—僕は、その科学的な価値をJAMSTEC高井研さんとの対談「宇宙×深海 生命の起源を探す旅」(欄外リンク参照)で触れた。今回のコラムでは、アルテミス計画で明らかになるかも知れない“生命の起源”へのヒントと月の科学的価値について、もう少し掘り下げてご紹介したい。

JAXAによる小型月着陸実証機SLIMのイメージ図。(提供:JAXA)

「起源」への問い

「起源」の解明は、自然科学における第一級のテーマといってよい。

宇宙の起源、地球の起源、生命の起源、人類の起源—この4つの起源は、誰もが一度は疑問に思うという意味で素朴ではあるが、僕ら人間が存在する理由の根源に結びつく深い問いだといえよう。

この4大起源問題のなかでも、今日まで全くといってよいほど証拠が得られていないのが生命の起源である。

地球の表面は、プレートテクトニクスによって絶えず更新されていくため、古い記録を留める岩石ほど今日の地球上で見つけることは難しい。

地球の歴史のおよそ半分にあたる25億年前以前は、太古代と呼ばれる地質時代だが、当時の記録を留めた岩石は現在ごく限られた地域にしか産出しない。地球科学者はこの限られた岩石を使って当時の地球を調べるわけだが、いわば小さな針の穴の先から世界をのぞき見るようなものであり、太古の地球の全容を明らかにすることは事実上できない。

ましてや40億年前以前は、地球科学にとって完全なる闇である。当時の記録を留めた岩石はどこにも残っていないためである。

一方で、45.6億年前には地球はまだ存在しておらず、惑星の材料となった微惑星と呼ばれる無数の小天体が存在していたことを隕石たちは物語る。

すなわち、45.6億年前の微惑星の時代から、40億年前の太古代までのあいだ、最初期の地球がどのような惑星だったのか、物的証拠は今の地球から完全に失われているのである。

そして生命は、その証拠が失われた闇の時代にこの地上に誕生した。

最初の生命はおろか、当時の大気の組成や、海の深さ、陸地があるのかといった生命が誕生した基本的な舞台装置についても、実は全てが未解明なのである。

最初期の地球

科学者は、微惑星の時代と太古代の地球が矛盾なくつながるように、そのあいだの失われたパズルピースを想像して埋めようと努力してきた。その結果、ある人は、最初期の地球には陸地などなく、一面深い海で覆われた惑星だったと言い、またある人は、海水量は限られており岩石が多く露出する惑星だったと言う。また、大気についても二酸化炭素に富む大気だったという人もいれば、メタンガスの大気だったという人もいる。

このような舞台装置の違いに対応して、生命の起源説も多様に存在する。

深海底の熱水噴出孔で生命が誕生したという人もいれば、陸地こそ誕生の場だと言う人もいる。メタンに富む大気でできる有機物が重要という人もいれば、地球外から隕石でもたらされる有機物が必要という人もいる。千差万別である。

当然、それらの想像は科学に基づくものであり、理論上はどれも正しい。“ある条件”で地球ができれば、深い海を持つこともあるし、“別の条件”で地球ができれば、水に乏しい岩石の惑星になることも、メタンの大気を持つ惑星にもなることも理論上ありうるのである。

では、その最初期の地球の状態を決定する“条件”とは何であろうか。

それは、地球が誕生する最終期に起きたとされる、月を作った巨大衝突—ジャイアント・インパクトである。

ジャイアント・インパクトの想像図。(提供:NASA/JPL-Caltech)

このジャイアント・インパクトの衝突条件—すなわち、どのくらいの大きさの天体が、どのくらいの速度と角度で衝突してきたのか次第で、ぶつかられた側の地球がどのくらい熱せられるか、内部のマグマと金属コアがかき混ぜられるかが決まり、最初期の地球が持つ海の量や大気の組成が決定されるのである。

地球誕生後、数億年の進化のなかで海や大気も変化していく。太古代にもなれば、最初期がどうであれ、同じような海の量や大気の組成に徐々に近づいていく。したがって、最初期の地球の海や大気を、太古代の記録から決定することはできない。

同様に隕石や小惑星をいくら調べても、ジャイアント・インパクトの衝突条件はわからない。サイコロの目と一緒で、こういう衝突がこのくらいの確率で起きたかもしれないとは言えても、実際にサイコロの目がいくつになるかが直接わかるわけではない。

月は記録を留める

このジャイアント・インパクトの衝突条件を、物的証拠と共に明らかにすることができる唯一の天体が月である。

では月の何がわかれば、最初期の地球がいかなる惑星であったかを決定することができるのか。

最も重要なのは、月の中心にあるかもしれない金属コアの大きさを決めることだと言われている。ジャイアント・インパクトでは、その衝突条件によって衝突天体の金属コアが宇宙空間に広く飛び散って、その後形成する月に取り込まれる場合もあれば、金属コアが飛びちらずに月に金属がもたらされない場合もある。月に実際に取り込まれた金属の量から、衝突条件を精密に決定することができる。

月全体の密度から、月には地球のような金属コアがあっても非常に小さいと言われているが、その正確な大きさはわかっていない。

地球の内部を調べる場合と同様、月でもその内部を知ろうとすれば、地震がおこす波を計測することになる。

地震波は月の内部を伝わり、金属コアの表面で反射する。月面に広域に地震計を配置すれば、月で起きる地震波、金属コアで反射する地震波から、金属コアの詳細な三次元構造も明らかにできるだろう。

また、月の大部分を占める内部のマントルの元素組成を知ることも重要である。月と地球のマントルが元素組成的に類似しているかどうかも、衝突条件を決定する要因となる。地球と衝突天体がジャイアント・インパクト時によく混じった場合、月も地球も似たような元素組成のマントルを持つことになる。

月周回中のアルテミス1号が月周回中に撮影した月面の写真。(提供:NASA)

これまでアポロ計画で持ち帰られた試料はマグマが固まった溶岩であり、月の大部分を構成するマントルではない。月のマントルは基本的には月内部を占めているが、深いクレーターなど、いくつかの限られた場所では地表に露出している。しかし、そこからサンプルは持ち帰られてはいないのである。

月の価値とは

月での地震観測は、すでに各国で激しい競争になっている。米国、中国、フランスがすでに計画を立てているなか、日本としてはJAXAだけでなく民間企業による着陸探査も活用して機会を増やすことが必要かもしれない。なんといっても、日本は世界最大級にしてトップレベルの地震学研究コミュニティを持つ強みがある。

月のマントルについては、小型月着陸実証機SLIMが世界の先陣を切って、それが露出する露頭にアクセスしようとしている。SLIMの着陸候補地点は、マントル物質が掘り返されている直径300メートル程度の小さなクレーターである。通常、月への着陸は1~10キロメートルという着陸精度であり、1~10キロメートルの範囲のなかのどこに降りるかわからないという不確定さがある。一方、SLIMの着陸精度は100メートルであり、この超高精度着陸技術によって、マントル物質が露出した小さなクレーターへの着陸が初めて可能となる。

これらがアルテミス計画で明らかになったとき、僕らは自分たちの惑星や、自分たち生命の誕生について、これまでに比して圧倒的に明確な姿を描けるようになるだろう。

月は地球唯一の衛星である。人類が宇宙に生活圏を広げていこうとすれば、最初に進出すべき天体は月ということになろう。

この月への進出は、しばらくは大国であるアメリカと中国とが中心となり、対抗しつつ進めていくだろう。あるいはその過程で月に水資源が見つかれば、産業界も経済価値を見出して色めき立つかもしれない。これらは国民を元気にし、活力を与える一方で、このような開拓対象としての月の価値は、そのときの国際的・経済的な時勢に大きく左右される。

SLIMの着陸予定地点付近。中央の明るい放出物を伴うSHIOLI(栞)クレーターへの着陸を目指す。(提供:SELENE/JAXA)

僕は、月は単なる人類のフロンティア開拓の対象だけではないと思っている。月の科学的な重要性は、今の地球では失われた、生命誕生期の地球の姿を探ることのできる唯一の天体という点にあり、それが子供たちのもつ夢や想像力、人間や生命そのものへの根源的な興味を触発するという価値は、どんな時勢にも、国や民族にも左右されない普遍性の高いものだと信じている。

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