Vol.59
衛星エンセラダス、多彩な有機物の発見
前回コラムの“火星での生命に迫る発見”(参照:第58回コラム「パーサヴィアランス、“生命の痕跡”を発見、か」)に続いて、土星の氷衛星エンセラダスでも、生命に関係する新発見が発表された。10月1日のことである。実は、僕はその発見をしたチームの一員でもあり、これをこのコラムでご紹介したい。
エンセラダスとは、直径500キロメートルほどの氷で覆われた小さな衛星であり、その地下には液体の海—地下海が存在する。エンセラダスのように地下海を持つ氷天体が太陽系には約10個あり、これらは「オーシャン・ワールド」と呼ばれる(参照:第8回コラム「オーシャン・ワールド — 太陽系外側の多様な海の世界」)。エンセラダスがこのオーシャン・ワールドのなかでも異色なのは、その地下海が氷地殻を通じて宇宙空間に噴き出していることにある。
この噴き出す海水を、NASAの探査機カッシーニは、何度も宇宙空間で捕獲してその場で分析してきた。分析のたびに、この天体の地下海の様子が明らかになり、発見がなされた。
地下海は塩分のあるアルカリ性の海水であること、地下海には複雑な有機物が含まれていることなども明らかになった。
これまで僕もカッシーニ探査チームと一緒に、このエンセラダスでの発見のいくつかに携わることができた。これはとても幸運なことであった。
2015年には、エンセラダスの海底に地球の熱水噴出孔—海底温泉に似た環境があることを明らかにした。地球では、熱水噴出孔は原始生命にとっての食物、つまりエネルギーを生み出す場である。実際、地球の熱水噴出孔には原始的な生命が棲んでおり、原始地球における生命誕生の場とも目されている。2023年には、このエンセラダス地下海に、地球生命にとって必須元素のリンが濃集していることも発見した(参照:第34回「エンセラダスと地球のシンクロニシティ」)。
これまでエンセラダスには、液体の水、エネルギー、そして生命の材料となる有機物やリンが豊富にあることが確かめられている。地球上において、これら要素が満たされている場所には必ず生命が存在する。当然、エンセラダスでも生命の存在に期待が高まっている。今回の発見は、この地下海に含まれる生命の材料である有機物に関するものである。
土星E環の氷粒子
宇宙空間に噴出するエンセラダスの海水—これまでその海水中に発見された有機物は、実は、生命関連分子といえるものではなかった。ほとんどが炭素とわずかな水素からできている不飽和炭化水素と呼ばれる化合物であり、炭素が長い鎖のように、あるいは六角形の環状が連なるようにつながったものであった。これらは頑丈な有機分子ではあるが、そのため変化に乏しく、エネルギーを使って絶えず自己を作り替える地球生命にはあまり使われないものである。
地球生命が主に使う有機物は、酸素原子や窒素原子、リン酸など、様々な元素が多様な官能基となり炭素につながったものである。アミノ酸、核酸塩基などは、まさにこれら多彩な官能基を含んだ有機分子の代表である。官能基は英語でfunctional group、functionalとは「機能」という意味を含む。つまり、有機物が多くの官能基をもつということは、それに付随した複数の機能—正や負に帯電する、水をはじく、金属イオンを保持するといった機能—を持つ分子になる。この分子レベルの機能の積み重ねが生命現象を駆動する。
さて、今回の発見とは、エンセラダスの海水から、酸素原子や窒素原子などに関連した官能基を豊富に含んだ有機分子が見つかったというものであり、学術誌ネイチャー・アストロノミー誌に掲載された。しかし、探査機カッシーニは2017年に土星に突入してミッションを終えている。つまり、この発見の元データは2017年以前に取られたものだが、なぜこれが今になって発見につながったのだろうか。
これを説明するためには、これまで探査機カッシーニが見つけた有機物がどういったものかを説明せねばならない。
実は、これまでカッシーニ探査機は、エンセラダスの海から放出されて数万年かそれ以上経った古い海水を分析していた。エンセラダスの海水粒子は宇宙空間に放出されたあと、一部がエンセラダスの重力を振り切って宇宙空間を漂う。その漂う氷粒子は土星を取り巻き、E環と呼ばれる土星の希薄なリングを構成する。
土星のE環をなす粒子は宇宙空間にまばらに分布し、そのため探査機カッシーニがその周辺を通る時に一粒ごと丁寧に、その粒子を捉えて化学分析することが可能である。つまり、探査機は一粒ごとに味の違う小さな飴玉をゆっくり味わうがごとく、E環の粒子がそれぞれどういう物質でできているのかを個別に調べることができるのである。
E環をなす全ての粒子に有機物が含まれているわけではない。むしろ、有機物を含む粒子は少数で、それ以外は凍った海水(塩分を含む氷や塩分のない水氷)である。空間的にまばらにこれらの粒子がE環に存在することで、探査機はしょっぱい粒子(塩分を含む氷)とごく少数の甘い粒子(有機物)を区別して、甘い粒子だけの化学組成を出すことができたのである。
新鮮な海水を狙う
しかし、このE環の有機物は海から噴出後、長期間、宇宙空間に晒されているという問題がある。その間、太陽からの紫外線や宇宙放射線をひたすら受ける。紫外線や放射線は、地球生命のDNAを壊すように、E環の有機分子をもやがて破壊してしまうだろう。もともと有機物に多彩な官能基があったとしても、それらが破壊されれば、炭素の鎖や六角形の構造のような頑丈な部分だけが残るに違いない。はたして、エンセラダス海水の有機物は、最初から頑丈な不飽和炭化水素だけだったのか、あるいは多彩な官能基を含む有機分子だったのだろうか。
長い間宇宙空間に晒されることが問題なら、エンセラダスの海から噴出したての海水を、その場で調べればよいではないかと皆さんは思うかもしれない。しかし、それは容易ではない。
エンセラダスから噴出したての海水粒子は、その氷地殻の噴出孔上空に、まさに噴水のように密度濃く存在してる。そのため、E環のように一粒ごとに味わうという分析が難しい。噴水に顔を突っ込むように、探査機が噴出孔上空を通過すると100粒、200粒と、海水粒子が探査機の分析器に自然と入ってくる。口のなかに一時に200粒の違う味の飴玉がいれられて味わうようなもので、そのうちの数粒に有機物がふくまれていたとしても、正確にその粒の数やそれぞれの飴玉の味を当てることは簡単ではない。
今回、発表した内容は、7年以上の時間をかけて、丁寧に200粒の粒子から海水由来のものを取り除き、有機物が含む粒子だけの味を復元したというものである。
これを成し遂げたのは、僕らの長年の共同研究パートナーであるドイツ・ベルリン自由大学の友人たちである。主著者であるベルリン自由大学のノザイル・カワジャは、このデータ解析に膨大な時間と労力をかけた。
彼らの元には、探査機に搭載した分析装置の地上版ともいうべき装置がある。これを使って、塩水由来の粒子や様々な有機分子を含む粒子が探査機に飛び込んできたらどういうデータになるのか、地上実験においてそれを得ることができる。いわば一粒ごとの味のデータ表を実験で蓄え、それを使って海水中の有機分子を突き止めたのである。執念ともいえる努力であった。
謎のアミノ酸とエーテル
その噴出したての海水に含まれる有機物は、古びたE環のものとは異なっていた。
噴出したての有機分子には、カルボニル化合物、アルデヒド、アミン、エーテル、エステルなどが含まれていた。これらは医薬品、創薬などにも使われる化合物で、不飽和炭化水素と違って多彩な官能基が含まれている。地球生命の生体関連分子の前駆物質でもある。
僕ら日本のグループは、エンセラダス海水中に含まれる単純な分子を溶かした“模擬エンセラダス海水”を作り、これを海底の熱水噴出孔の温度条件で熱する実験を行った。模擬海水を封入したセルを高温・高圧の反応容器に入れて、100℃の環境に数日間置くのである。
その結果、海水に含まれる上記の有機分子の多くが、やはり生成することを確かめた。海水に見つかる有機分子は、エンセラダス海底の熱水環境で生まれたものと思って矛盾はない。エンセラダスの熱水環境は、多彩な有機物の生成工場だったのである。僕らの実験結果も、上の論文と同日、別の論文として学術誌イカルスに掲載された。
しかし、僕らの実験結果とカッシーニ探査機の解析結果との相違点もある。それは、僕らの実験では、海水に見つかった有機分子を量的に上回る多くのアミノ酸が生成しているのである。実験において、アルデヒドやアミンなどはアミノ酸ができる前のいわば中間生成物であり、それらがあるということは、すなわちアミノ酸も同時にできる。しかし、現実のエンセラダスの海水には、アルデヒドやアミンはあるものの、それらから必然的にできるはずのアミノ酸が見つからない。なぜエンセラダスの海にアミノ酸は見つからないのか。
1つの可能性は、エンセラダスの内部にアミノ酸を消費する何らかの別の過程があることである。海底の岩石をなす粘土鉱物は、アミノ酸を吸着し海水から除去する吸着剤となりうる。生成したアミノ酸のほとんどは、海底の岩石に吸着しているのかもしれない。あるいは、アミノ酸を食べるエンセラダス生命がいるのかも、と想像をたくましくする人もいるかもしれない。
もう1つ、噴出したての有機分子に含まれるエーテル。実は、エーテルはエンセラダスの海底の熱水反応条件ではほとんどできない。地球に落下する炭素質隕石—エンセラダスの海底岩石と似た組成と考えられる—にもエーテルは含まれるが、量はアミノ酸など他の有機分子からみれば極めて微量でしかない。なぜ熱水実験でもできず、隕石にもないエーテルが、エンセラダスには多く存在しているのか。何がエーテルを作っているのか。これも謎である。
欧州宇宙機関(ESA)では、「Voyage 2050」という中長期計画のなかで、エンセラダスへの着陸機を含む将来探査計画が述べられている。エンセラダスには噴出した海水粒子が堆積する。このなかには、もちろん有機物工場で作られた分子も含まれるであろうし、あるいは生命そのものも冷凍保存されているのではと期待を膨らませることもできるだろう。
科学は常に客観的でなければならず、また批判的に結果を見つめねばならない。が、なにやら自分に幸運をもたらしてくれたと思っているせいか、僕はこの衛星に特別の愛着を感じてしまう。
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